第11話:1時間の魔法と、橘くんのまっすぐな瞳
朝の通学路。
ヒカリは、制服の裾を揺らしながら、にんまりと笑っていた。
「ふふん♪ 今日は完璧。朝食も済ませて、髪も整えて、スカートのプリーツも最高!」
昨日までバタバタだった登校が、今日は余裕しゃくしゃく。
この世界に来て初めて、優雅な足取りで校門をくぐる。
──が。
「あれ……?」
教室に入った瞬間、ヒカリの足が止まる。
席はすでに埋まっていた。
生徒たちは着席し、先生も黒板の前に立っている。
「え……時間、間違えた……?」
慌てて時計を見る。登校時間は間違っていない。
いや、むしろ早めに来たはずだった。
「授業、1時間早まったって聞いてないのか?」
隣の席の御影レイ(転校生)が、冷たく囁く。
「……まさか……」
ヒカリの中に、昨夜の記憶がよみがえる。
「このままじゃ時間足りなくない……? 明日から、ちょっと……時間、増やせたらなぁ……」
「……願ったな、私……」
自分の妄想が、またもや現実になったのだ。
⸻
「はい、じゃあこれにて午前中の授業は終了〜!」
先生の軽快な声に教室がざわめく。
「午後は各自、自由行動です。部活見学や交流イベント、行ってらっしゃい!」
(自由時間、倍になってる……!)
やったー!と叫びたい気持ちを胸に、ヒカリは廊下を飛び出す。
「よーし! 今日はまず……橘くん!!」
⸻
午後、校庭。
橘くんは一人、トラックを走っていた。
肌を焼いたような小麦色。額に浮かぶ汗。
まっすぐで、まるで少年漫画の主人公みたいな目。
「たっちばなー!!」
「……ひかり? お前、ここ来るの3回目くらいじゃない?」
「うるさい!今日の私は、全力で青春してんの!」
橘は少し照れながら笑い、ランニングを止めた。
「じゃあさ、俺のタイム、計ってくんない? 一番いい記録が出たら、俺の話……聞いてくれる?」
「お、やば、なにそのフラグっぽいの……全力でいくわ」
⸻
彼の100m走。
風のように走り抜けるその姿は、まさに“努力と情熱の塊”。
走り終えた橘は、肩で息をしながら水を飲み、ふっと笑った。
「中学のときさ、事故で1年走れなかったんだ」
「……え?」
「持病でもあったし、ずっとリハビリ。医者にはもうダメかもって言われてさ」
「それが……今、こんなに走ってるの……?」
「……どうしても、諦めたくなかったんだよ」
風がふたりの髪を撫でる。
「本気で走れるって、ただそれだけのことが、俺にとっての夢だったんだ。
だから、応援してくれる人には、ちゃんと……恩返し、したいって思ってる」
「……ばか……そんなの、好きになっちゃうじゃん……」
「え?」
「な、なんでもないっ!」
彼の目は、まっすぐだった。
だからこそ、ヒカリの胸の奥が、ほんの少し痛くなった。
(やば……橘くん、良すぎる……これ、どのルート行くか決められる!?)
恋愛シミュレーション第一弾。
“熱血陸上男子・橘くん”との青春、始動。
この世界は、ヒカリの青春をすべて叶えてくれる。
だからこそ――
(……この世界、もっと長くいたいかも)
そんな思いが、初めてヒカリの中で芽生えた。