Extra9:昼2時。待つことも、支えること
工房に到着し、車を止めて…自宅スペースから工房の方へ移動しようと話し合う。
自宅玄関に向かうと、そこでは…。
「成海達まだかしら…」
「まだだって…その台詞、もう一分前にも聞いたよ、一海ちゃん」
「だって」
「だってもヘチマもないの。今、成海君と新菜さんが暮らしている家から、どんなに飛ばしても三十分はかかるじゃないか」
「わかっているわよ、そんなこと…」
「それに、急がせて事故にでも遭ったらどうするんだい…」
「それはそうなんだけど…」
「ただいま、姉さん。室橋さんも、こんにちは」
「ほら、待ち人が来たよ。シャキッとして」
「おかえり成海。お客様がお待ちよ」
「…」
玄関を開く前は、どう聞いても狼狽えていた一海さんはいつも通りに振る舞いつつ、成海の前では「頼れる姉」として立つ。
一緒に玄関先で待っていた浩樹さんは苦笑いを浮かべつつ、一歩引いたところで二人の様子を伺っていた。
「ついて早々申し訳ないけれど、準備を整えてくれる?」
「もうバッチリだよ…行こうか」
「ええ。浩樹、新菜ちゃんにお茶を出してあげて。運転してきて疲れていると思うから」
「あ、ありがとうございます!でも…」
「新菜、休んでいて」
「…一人で大丈夫?」
工房にはどうやら成海一人だけを連れて行くらしい。
一緒に行く気でいたけれど…流石に、重要なお客様のところで部外者は…。
「大丈夫。資料ありがとう。でも、流石に一緒にはダメだ」
「…部外者だから?」
「そうじゃない。作品のことを話しに行くんだ。僕自身がちゃんと話さなくっちゃ」
「うん」
「それに、新菜に支えられているままじゃ、僕は高校生時代から…いや、それ以前の僕から何も変わらない」
不安で差し伸べた手をしっかり両手で包みながら、語りかけてくれる。
「僕は君とこれからの人生を一緒に歩きたい。支えてくれる気持ちは嬉しい。今後も支えて欲しい。けれど、今は…ちゃんと一人で立って見せるから。待っていて」
「しょうがないなぁ…早く終わらせてきてね。まだ、引っ越しの準備、終わっていないんだから」
「わかってる。行ってきます、新菜」
「いってらっしゃい、成海」
不安はほぐれ、手の力も緩んで…離れていく。
名残惜しいけれど、やるべき事がある。
私には、このまま待つこと。
彼には、作品とお客様に向き合うこと。
互いに、進むための時間へ歩み出す。
その背をしっかり見送り、幸先が良くなることを心から祈った。
◇◇
「じゃあ、僕が余所様の家で元余所様にお茶でも淹れようと思うよ」
「言い方」
そうして、工房の方へ向かった成海と一海さんの背を見送り、私はリビングでのんびりお茶を飲んでいた。
なぜか、浩樹さんと一緒にだ。
「…一緒にいなくていいんです?」
「君と一緒で部外者だからね」
「やっと、ここに入ることが許されたんですね」
「随分前から許して貰えているよ。部屋には未だに立ち入り禁止だけどね」
「そりゃそうでしょうね」
「でもさ、おかしくない?一海ちゃんは俺の家の合鍵持ってるのに。未だに部屋に入れて貰えないんだよ!?」
「特定の男以外を部屋に入れたいと思うんですか…?」
「それはそうか」
「…まだ、付き合えていないんです?」
「うん」
「じゃあなんで一海さんは合鍵持っているんですか!?」
「預けたら預かってくれた」
「…それ、使われたことあるんです?」
「ないねぇ」
…この人達、何年こんな奇妙な間柄を続けているんだろう。
清々しく付き合うとか、そろそろ関係性が変わって欲しいと第三者目線では思ってしまう。
…私達が付き合う前の森園夫妻もこんなことを考えていたのだろうか。
見ていてもどかしい。むず痒い。さっさと動け…的な。
「と、いうか。付き合う気あるんです?」
「お互い三十歳になって、特定に相手がいなかったら一緒になっておこうか的な話はした」「時間との勝負を選んだんですね…」
「俺は君みたいに行動力の権化じゃないからね」
「そんな私が成海を手に入れるためにあれやこれやと行動をしたみたいな…」
「事実一目惚れした男の魅力が周囲にばれる前、露骨な態度で周囲を牽制しつつ、手際よく彼を手に入れた君が、行動力の権化でなかったら、何が行動力なのか。俺に提示して欲しいね」
「…」
浩樹さんとこうして長時間会話をすることは、珍しい話ではない。
だが、言葉でお金を稼ぐ彼を、私は一度たりとも言い負かせたことがない。
彼と話をする時間は結構好きだ。
成海の話を気兼ねなく出来る貴重な相手だ。彼は彼で一海さんの話を気兼ねなく出来る相手として私を選んでいるだろう。
早急に私の心を見抜いてさりげなくサポートをしてきた彼と、そんな彼の言葉で覆い隠していた感情を表に晒した私。
互いに協力し合うには、十分すぎる存在なのだ。
「では、一つ確認しておきますが…」
「何かな?」
「時間との勝負は、何も結婚だけでないことをお忘れなく。特に貴方は体力が壊滅的にないのですから…」
「…何が言いたいのかな?」
「さあ?ちなみに一海さん、子供は沢山欲しいタイプらしいですよ」
「なぜわかる」
「…結婚式を挙げない理由として、早く子供が欲しいという話をした私に一海さんは話してくれました。もしも自分が結婚して、親になるのなら子だくさんがいいと。だから気持ちは凄く分かるとも」
「…」
「最低、二人は欲しいそうです」
「そういう情報は、早く提示してくれないかな?」
「あら、話してくれなかったんですか?」
「…言うようになったね、新菜さん」
「貴方と話していれば、自然と」
「あははははは」
「ふふふふふふ」
産まれた時から楠原家に住んでいない人間達の、不気味な笑いがこだまする。
待つことは支えること。それは私にとって成海に限った話。
でも時に、支える為に…待つことを、待ってしまうことをやめさせる必要だって、あるのだ。