Extra8:昼13時。工房からの呼出
昼食を終えて、では最後の一押しをと立ち上がったと同時に、成海のスマホが震える。
着信先は「実家」
ちゃんと「家」から「実家」にしてる〜。律儀〜…って、そうじゃなくて。
工房の電話から成海にかかってくることはあるけれど、自宅の電話からかかってくることは非常に少ない。
家の事で何か起きたか…お客様の前で話せないような事が起きた時。
「もしもし?」
『ああ、もしもし。成海君?』
「室橋さん?」
『そうだよ。君の未来の義兄だよ』
「冗談はよしてください」
電話の口調から察するに、相手は浩樹さんのようだ。
高校卒業後も一海さんにくっついて回るために、楠原硝子工房でずっとバイトを続けているそうだ。
そんな彼から、楠原家自宅スペースより電話。
万年自宅には出禁を食らっていたのに、遂に一海さんへ入れて貰えたのか…と思うと同時に、彼の出禁を解くぐらいの有事が工房に訪れているのか、不安になる。
「それで、何かあったんですか?室橋さん」
『ああ…実は工房の方にやんごとなきお客様がやってきていてね』
「やんごとなき、ですか」
『君は知っている?巳芳のお坊ちゃま』
「…何番目ですか」
『長男坊』
「…噂の長男さんか」
『オーナーとして一海ちゃんが対応していたけれど、作品のことは職人本人に聞きたいんだと。大物は君をお呼びだ』
「姉さんは、なんと」
『休みだからこられないとは言えないような相手だからね。君が今すぐ来れるかどうか、隣でそわそわしている』
『そ、そわそわなんてしていないから…!』
『何度も水を飲むぐらい緊張しきっていてね』
『言わなくていいから!』
「まあ、機嫌次第でうちの工房を即潰せるようなお方ですからね…」
『休みのところ申し訳ない。存続の危機と思って、駆け付けてくれるかい?』
「勿論です。三十分お待ちいただいてください。必ず向かいます」
『頼んだよ』
重い声で電話を切った成海は、申し訳なさそうに私へ向き合う。
「すまない新菜…。重要なお客さんが」
「大丈夫!私も行くからね!」
「いいのか?」
「成海じゃ会話、途中で途切れるし…」
「うぐっ」
「私と二人で会話を繋ごうね。大丈夫。資料は色々用意しているから」
「いつの間に!?」
「さ、お出かけの準備しよ」
「あ、ああ」
成海は仕事用の鞄を、私はいつものお出かけ鞄を持って、家を出る。
少しだけ青い顔をしている成海の背を撫でながら、駐車場までの道を歩いた。
「大丈夫?私が運転しようか?」
「お願いしていいか…?なんだか不安で…」
気持ちはわかる。なんせ今から成海が相手をするのは、巳芳覚。
大企業の御曹司という生物なのだ。
工芸品、芸術品、装飾品に目がないらしい。特に茶器にはこだわりがある様子。
幼少期、親へ誕生日プレゼントとして某国の茶葉加工工場と茶畑を買収したそうだ。
紅茶にはこだわりがある様子だと、とある筋から情報を得ている。
…同じく紅茶にこだわりがある魔法使いは、紅茶とマシュマロで買収できたからね。
うちの顧客になりそうなやんごとなきお方の情報はちゃんと網羅しているよ、成海。
私だって出来ることをしているからね。
年齢は二十代前半。資産はほぼ無尽蔵と思っていいそうだ。
性格はまともな部類。ただ、女癖が悪いと聞く。
今は落ち着いているらしいが、果たして…。
助手席で私が用意した調査資料を眺め、成海はため息を吐く。
元々職人として工房に引きこもることが多い彼は顧客と話す機会が皆無。
いつもは一海さんが対応してくれるが、今回は直々のお呼び出し。
こちらも果たして、どうなることやら…。
ハンドルを握りしめ、朝陽ヶ丘の方へ車を走らせる。
こうして運転をするのは久しぶり。
免許は高校時代、成海や渉君、若葉の四人で取りに行った。
三人はすんなり合格していたけど、私はなかなか仮免に辿り着けなかったなぁ…。
卒業もちょっと時間がかかったし…。
苦手と言えば苦手だけど、できないことではない。
通勤に利用していたし、運転技術はかなり上がっているはず。
それに、こんな状態の成海に運転させるわけにはいかない。
道中はちゃんと集中して欲しい。
しかし、だからといってこれからの事に気を取られていては精神と体力を消耗させてしまう。
話題を、逸らさないと。
せっかく免許の話を思い出したんだし、二人の話題にしようかな。
「そういえば、成海」
「なんだ?」
「免許の流れで思い出したんだけど、最近渉君と若葉から連絡あった?」
「あ〜。今年から子供達が幼稚園!って話以降、全然だな。二人とも忙しいんじゃないか?家のこととか、子供の事とか。一人ならともかく、双子だし」
「そっかぁ…成海もかぁ…」
高校時代の友達…特に一年から行動を共にすることが多かった四人とは、よく連絡を取り合っていた。
しかし、何かと私達を応援する内に仲良くなって付き合い始めていた渉君と若葉は就職前に授かり婚をして…そのまま忙しくなって。
陸君は県外の大学に進んで、美咲は県外の企業に就職を果たした。
成海は実家の工房に入り、私は高陽奈にある短大へ。
それぞれの生活が始まって、毎日の様に交わしていた連絡も…一週間、一月…半年、
不定期と途切れ、今ではほとんどやりとりをしていない。
年末年始や互いのお祝いの時にはメッセージを送り合っているから、完全には途切れていないけれど…ふとした瞬間に途切れてしまいそうな間柄となってしまった。
「高校時代の時は毎日顔を合わせていた友達も、大人になって生活が変わると…全然なんだな。なんか寂しく感じるよ」
「そうだね。二人も仕事や子育てで大変だろうなって考えて、連絡も控えちゃうしね…」
「陸や美咲とも、連絡がつきにくくなったし…」
「今度、集まってみないか聞いてみようよ。若葉と渉君には子供も一緒にどうだ〜って聞いてさ」
「そうだな。聞いてみるだけ、聞いてみよう」
「だね」
善は急げ。後で早速連絡をしてみようと思う。
皆、良い返事をしてくれたら良いのだが。
「…四人は大事な存在だから、できる限り縁を切りたくないんだ」
「成海にとって、四人は特別?」
「ああ。新菜が前へ手を引いてくれた存在なら、四人は僕の背中を押してくれた存在。こうして今を過ごせているのは、四人の支えもあるからさ」
「そっか」
調理実習の後、倒れた成海を受け入れて、ずっと付き合ってくれた四人は成海にとって大きな存在なのだろう。
大事にしたいと彼が願うのなら、私の気持ちも同じ。
勿論だが、私個人の気持ちもちゃんとある。
引っ越し続け、切れる縁ばかりを持ってきた私が持つ、切れていない縁。
これからも切れないよう、大事にしていきたい。
車が高陽奈から朝陽ヶ丘へ。
もう少しで、工房に到着だ。