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Fragment2:楠原美海の8月5日

8月5日は、大事な日。

お兄ちゃんの誕生日で、お母さんの命日。

誰かの誕生日は、誰かの命日なんて言うけれど…お母さんも少しは空気を読んで欲しい。

お兄ちゃんの誕生日に死んじゃったりするから、何も悪くないお兄ちゃんがありもしない罪をあんたの兄に課されて、苦しむことになったんでしょう?


「…」

「美海、いつもこの時期は嫌そうね」

「お母さんの方の親戚と関わるのが嫌なだけ。皆性格悪いから」

「…まあ、否定はしないけどさ」


いつもは「まあまあ、美海」なんて、窘めるお父さんも、今日は何も言ってこない。

お父さんも、口にはしないだけでそう思っているから。

本当なら、お兄ちゃんと留守番しておきたい。

悪いと思っていても、空気は読むから…新菜さんとのお出かけに連れて行って欲しかった。

自分自身が空気を読まない行動をしてでも、あの空間には行きたくなかった。


8月5日は大事な日。

あんな人達と故人を偲ぶ時間なんてものを過ごすぐらいなら、お兄ちゃんの誕生日をちゃんとお祝いしたいから。


車に揺られて、窓の景色を眺める。

景色は綺麗。だけど、この先に待つ場所はドブ沼より醜いだろう。


◇◇


法事が終わり、宴会に移る。

お母さんの親戚は酒癖が悪い。

お父さんから「美海と一海は外で散歩でも」と促してくれたおかげで、お酌もする必要がなかった。


「ねえ、美海。私、ちょっと行きたいところがあるの」

「どこにいくの?」

「…おじさんのところ。墓の件、お参りだけでも交渉できないかなって思っているの」

「無理だよ。あの人全然人の話聞かないじゃん…」

「それでも、話してみるだけ」


「…せめて、お父さんがいるところでして。何があるかわからなくて、怖いから」

「…わかったわ。お父さん、来るまで待ちましょう」


その後、お姉ちゃんはお父さんと合流して…お母さんのお兄ちゃんのところへ向かった。

この人が「ダメだ」と言っているから、うちのお兄ちゃんはお母さんの墓参りに行ったことがない。

墓地に監視カメラまでつけて、わざわざ確認している変な人。

どうしてそこまでするんだか。全然分からないし、理解もしたくない。

正直関わりたくは無いけれど、お父さんとお姉ちゃんは「成海に一度だけでも墓参りを許して欲しい」という気持ちがあるらしい。

多分、その交渉。


しばらくして、不機嫌なお父さんと悲しそうに顔を俯かせるお姉ちゃんが帰ってきた。

やることなすことおかしい人じゃん。

話が通用する相手じゃない。関わるべきでは、ないのだ。


◇◇


いつもより早い時間で、家に帰ることが出来た。

帰路は静かだった。

一縷の希望を抱いていたお姉ちゃんはそれが崩されて、結構ショックを受けていた。

多分相当酷い言葉を浴びせられたのだろう。お父さんの表情は、あの家から離れた今も歪んでいた。

時折、お姉ちゃんとお父さんは口を開く。


「…あそこまで話ができないとは思わなかった」

「透さんも、出来れば近づくなと言っていたからなぁ…なんか、実の妹からもそう言われるだけあってなかなかキワモノ…」

「キワモノで済ませて言い訳?」

「いや、全国のキワモノさんに悪いな…。あれは刑務所にぶち込まれていないのが奇跡みたいなものだろ…」

「私もそう思う…」


気がつけば、家に到着していた。

重い空気を纏う私達を、出迎えてくれたのは…。


「おかえりなさい」

「あれ、新菜さん?今日はお兄ちゃんとおでかけじゃ…」

「それが…」


こんなところで会うとは思っていなかった新菜さんに、私達はリビングへ案内される。

リビングのソファで、お兄ちゃんが横になっていた。


「成海、どうかしたのかい?」

「出かけた先で具合を悪くしちゃって…自宅まで」

「わざわざありがとうね、遠野さん」

「いえいえ。それから、その…成海君の保険証と行きつけの病院の診察券ってどこにありますか?熱が出ているみたいで…」

「うそ。今何度?」

「三十八度八分です」

「あちゃー。遠野さんが離れなかったのはこれが…ごめんね。遠野さん。うちの息子が最後まで…」

「いえいえ。お気になさらず」


お父さんと新菜さんが話す横で、私はお兄ちゃんの頬を突く。


「お兄ちゃん、ほっぺ膨らませてどうしたの?」

「…みう、いたい」

「…?」


ただの風邪なら、頬を突かれて痛くなるわけはないのに。

どうしてなんだろう。


◇◇


その日、お兄ちゃんは帰ってこなかった。

おたふくで入院ってどれだけ酷かったんだろう。


お姉ちゃんが用意していたお兄ちゃんの誕生日ケーキを三人で分けつつ「小さい頃にかかっておいてよかったや〜」なんて他愛ない話をした。


本当はお兄ちゃんの誕生日祝いをしたかった。

法事で私達はいなくなって、帰ってくるのは基本的に夜遅く。

それまで一人で留守番をしていたお兄ちゃんの大事な日を、少しでもいいものにするために、誕生日のお祝いは必須だと、思っていた。


けれど、今日はその役目を…新菜さんが担ってくれたみたい。


水族館の袋に入った、ぺんぎんの赤ちゃんぬいぐるみ。

新菜さんに影響されて買ったのだろうか。

ぬいぐるみなんて趣味でもないのに、ぬいぐるみを買っちゃうあたり…凄く楽しかったらしい。

…どことなく、優しげな雰囲気が新菜さんに似ているのは、気のせいだよね?

とりあえずこれは袋のまま部屋に置いておこう。


これで私の一日はおしまい。

どうでもいい話と、どうでもよくない話を過ごした、ある年の8月5日の話。

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