8:繊細な僕と私
午後三時。
春先らしく暖かく、しかし吹く風はどこか冷たい時間。
先程までは姉さんと美海がいたから賑やかに会話を弾ませることが出来たけれど…二人きりとなるとそうはいかない。
「……」
「……」
会話のネタを探し、周囲を見渡し…何も見つからなくて、いつも通り目を逸らす。
けれど、これでいいのだろうか。
いや、このままではいけない。
「あのさ、遠野さん」
「…なあに?」
「改めて今日は、わざわざありがとう。こんなところまで教科書届けに来てくれて」
「本当に気にしないで!元はと言えば持ち帰った私が悪いんだし…!」
「でも、遠かったし、迷ったって…」
「そういうのも、お出かけの醍醐味だから!」
「そ、そう…」
そこまで言うなら、それ以上は言わないようにしよう。
この話は、おしまい。おしまいにしてしまわないと…。
でも、この話が終わってしまったら、何を話したら。
「それよりも私こそ、楽しい時間をありがとう。凄く楽しかった。今日、来てよかったよ」
「そっか」
「楠原君とも、沢山話せたしね」
「…遠野さんは、皆と友達とか目指しているタイプの人?」
「そんなことないよ?どうしてそう思うの?」
「いや、そうじゃないと…僕と話せてよかったとか、考えがでてこないと思って」
「そんなことないよ。ずっと話す機会、伺っていたんだから」
「僕と?」
「うん。だって、ずっと気になっていたから」
木漏れ日に照らされた遠野さんは、大人びた顔で微笑んでくる。
その仕草に一瞬だけ、心が跳ねたのは何故だろうか。
「窓の外、ずっと見てたよね」
「よく、見てるね」
「ずっと見ていたから。何を見ているんだろうって。何を考えているんだろうって。知りたいなって」
「……」
「やっと、正面から話せたね。楠原君」
遠野さんは数歩先に進んで、僕の方へ振り返る。
確かに、そうだ。
こうしてちゃんと正面で、彼女としっかり向き合うのは…今日が初めて。
店先にやってきてくれた時に一回。
そして、これで二回。
「何、見ていたのか聞いていい?」
「…ただ、外を見ていた」
「どうして?」
「人付き合いが、苦手なんだ」
「だから鷹峰君以外と、関わろうとしないの?」
「…そんなところ」
小学生の時、色々あった。
失ったものは取り戻せない。
出来たことが沢山あったと思った。
———「僕があの時、母さんにもっと強く「病院に行って」と言っていたら」
その言葉と共に、あの日の後悔は僕に失う恐怖と、言わなければいけない使命を植え付けた。
それがきっかけで、僕はある問題を起こし…他者から拒絶を受けた。
その一件があっても、僕の癖は直らなかった。
皆は事情を知っていたから、強くは責められなくて…。
事情を知らされた被害者の子も、僕のことを責めないどころか、励ましてくれた。
それがとても、苦しかった。
あの日から僕は、大事な人を作らないように…他者との関わりを最低限にし続けた。
「苦手なことを無理強いする言葉に聞こえちゃうかもだけど、私は勿体ないと思うな」
「……」
「私はまだ楠原君の事を全然知らないよ。でも、一海さんと美海さんと一緒に過ごす楠原君見て、私の中から物静かな人ってイメージが消えたの」
「そんなイメージ、だったかな」
「何も知らないから、イメージでしか語れないの」
「…そう、だね」
「でも、少なくとも私は、楠原君がいい人だってことを知っているよ。律儀で、優しくて、暖かい人で、好きなことに夢中になれる人!」
「…そんな風に、見てくれたんだ」
「今日だけで、沢山の姿を見れたよ。でも、まだ足りない」
胸に手を当てて、深呼吸をしてから…遠野さんは目を逸らさずに伝えてくれる。
そこから逃げるなんて選択肢は、僕にはない。
「もっと、君を知っていけたらって思う。だから、だからね…その、お友達から…その、始めませんか?」
「とも、だち…」
「人付き合いをこれ以上しないために、交友関係を広げない気でいるなら、諦めるよ。でも、でもね!やっぱり高校生活って、学生生活の中で一番華がある時期だと思うの!」
「…確かに、そうだろうね」
小学校と中学校より出来ることが増えて、活動範囲も広がった高校生活。
確かに一番楽しい時期と言えるかもしれない。
「一人の高校生活は楽かもしれない。でも、誰かと一緒に過ごす高校生活は、楠原君にも楽しい時間になるって、私が保障します」
「どうして、ここまで…」
「…気になる人だから。それじゃあ、理由に…なりませんか?」
「…確かに一人で浮いている人は、気になる人だよね」
「そうかな…。そうかも?」
「?」
「とりあえず、そういうことで」
「は、はぁ…」
自分でも何故か分かっていないらしく、遠野さんは不思議そうに口元を押さえ、首を傾げていた。
「それで、楠原君。急かすようだけど、返事は?」
「…僕で、よければ」
「てっきり断られるかと。そう考えた理由を、聞いてもいい?」
「頼まれたから、なんて言えば体がいいかもしれない」
「そうだね」
「でも、そんな理由じゃなくて。なんとなくだけど…今、このきっかけを逃したら、変われない気がしたんだ」
これが今出せる僕の本心。
ここで友達を作るきっかけを失えば、僕自身一生変われないと思った。
だから彼女の誘いに乗る。
彼女となら、大丈夫だと信じて。
「わかった。そしてありがとう。私と、友達になってくれて」
「お礼を言うのは、僕の方だと思うけど…」
「この選択が、君にとって大事なきっかけにしてみせるよ。絶対に」
「ありがとう…そして、よろしくお願いします、遠野さん」
遠野さんは笑みを浮かべたまま、今度は僕の隣に立つ。
海が陽光を反射し、キラキラと瞬く。
今、ここにある空気すらも輝いているように感じつつ、歩いて行く。
小学生の様に、いとも容易く友達になりましょうなんて言えなくて。
だからといって、いつの間に友達になっているのはハードルが高くって。
それでも僕らは友達として一歩を踏み出せたのだろう。
そう、思いたい。