36:8月5日
時は進んで約束の日…の、一週間前。
あの日以降、新菜さんは部屋に忍び込んできたり、揶揄うような事を言ってきたりはしなかった。
僕は小遣いとお年玉を貯めていた封筒を片手に、姉さんの部屋にやってきていた。
「…で、用件は?」
「これで服を見繕っていただけないでしょうか…」
「いつもはシモムラで適当に買うじゃない」
「…それでは、流石に不釣り合いかと」
言ってしまえば、水族館に二人で出かけるシチュエーションというのは、世間的にはデートと言うのではないだろうか。
そんな場に、普段着を着ていくのはなんというか気が引けて…。
だからといって、しっかりとしたよそ行き用の洒落た服を持っているわけでもない。
それに、僕のセンスは正直微妙だ。
これまで服を適当に選んでいた僕が、姉さんに適当に選んで貰っていた僕が、一人で洒落た服を買えるわけがない。
「なによシモムラの品質が悪いって言いたいの?」
「…異性とのお出かけに、普段着は、流石にと思いまして…衣服から、ちゃんとしたいなと」
「…そういうの、早く言いなさいよ」
「すみません。あ、予算は潤沢にあるから…」
「うわっ…封筒の中に五万円…」
こういうときに頼りになるのが姉さんだ。
姉さんはいつも僕の服に小言を言ってくる。買う時だって「これにしておきなさい」「あんたにはこの色よ」と迷う時間を与えず、選んでくれる。
相当頼りにしているというか、頼りっぱなしなのは自覚しているし、将来自立しないとまずいなとは思うけれど…ここは姉さんのセンスを頼らせて貰いたい。
「なんで予算がこんなにあるのよ」
「お年玉、貯まっていたから…。足りないなら追加できるけど」
「お年玉も小遣いも全然使わないもんね…わかったわ。明日出かけるわよ。御姉様がちゃんと見繕ってあげるから」
「…助かります」
「そんな萎縮しなくて良いから。ほら、明日の準備ちゃんとしてきなさい」
姉さんに促され、翌日を迎える。
そこで予算を大幅に下回る額で、姉さんは出かける時の服をささっと見繕ってくれた。
「疲れたでしょ。ステバで何か飲む?姉さん好きだろ?」
「今、ダイエット中だからなし。私に使う金があるのなら、水族館の売店でプレゼントでも買いなさいよ」
「でも…お礼は大事…」
「今日の晩ご飯当番変わる程度でいいから…」
「それでいいのか?」
「それがいいの。私なんかいいから、新菜ちゃんとのことを考えなさいよ」
「…僕、新菜さんと出かけるとは…まあ、そうだけどさ」
一言も言っていない。誰にも言っていない。
まあ、異性と出かけるという括りでは、もう新菜さんしか候補はいないけれど…こうも断言されると、むず痒い。
「新菜ちゃん以外に誰がいるのよ」
「み、美海かもしれないだろ」
「美海なら「異性」じゃなくて「妹」だろうし、洒落た格好とかしないでしょ」
「…ぐぬ」
「いい?成海。下手な隠し事は墓穴を掘るの。将来取り返しがつかないことにもなるだろうから、そういうのやめなさいよ。特に新菜ちゃんの前ではね」
「…そうしたいけれど」
「そうしたいけれど、そうできないならちゃんと伝えるのも大事なことよ。これ、姉からの助言ね。聞いておいて損はないわ」
「姉さんはいつも名言っぽいこと言うよなぁ…」
「二年多く生きている分、成海より色々知ってるのよ」
「そ」
姉さんの助言は、真に受けておいた方がいい。
心にそれを刻んで、僕は挑む。
自分の立ち位置が大きく変わる、8月5日へ。
◇◇
「あら、新菜。今日はお洒落さんね」
「ま、まあね…!今日、水族館に出かけるからね!」
朝。珍しく揃った両親へ最初に見せることになる衣服。
髪型は大人びて見えるようにアレンジを施し、一海さんが作ったバレッタを留めた。
暗い空間でも映えるように、真っ白のワンピースをチョイスして、若葉に教えて貰った通りにメイクを施す。
いつもとは違う、気合いを入れた私。
これなら、成海君も意識せざるを得ないと思うんだよね…!
「へえ、水族館。誰と行くんだい?」
「成海と行くの」
「こっちで出来た女の子の友達かぁ〜。楽しんでおいで、新菜」
「ありがとう、お父さん」
ふと、お母さんの方を見ると…若干呆れられている。
それもそうか。お父さんにも誤解をさせたから。
しかも、お母さんと同じ方法で。
「本当に仲がいいわね、新菜」
「うん」
「でもね、流石にちゃんと「成海君」っていうところよ」
「じゃあ行ってくるね」
これ以上の追求を避けるため、少しだけ早く外出を行う。
お父さんの追求は、帰ってから嫌と思うほど聞こうじゃないか。
「え…母さん、今なんて?」
「新菜がいう成海は、楠原成海君。男の子よ。礼儀正しい子だから、心配はしていないけれど…」
「面識が、あるのかい…?」
「電話とメッセージだけね。新菜、成海君に料理も教わっているから」
「二人が「いい人」と言うのなら、心配はしないけれど…彼氏とかは!早くないかい!?」
「寂しがり屋で、別れるのが辛いから「仲のいい友達」を作ってこなかったあの子が、ちゃんと仲良くなりたい、この人がいいと決めたのなら、応援してあげなさいよ…」
「…それも、そうか」
お父さんは静かに私の後ろ姿を見守る。
「転勤で、沢山苦労させたもんなぁ…一緒にいたいって思えたなら、応援してあげるべきなのか…いや、しかし…」
「貴方今日も仕事でしょ。早く準備しなさい」
「はい…」
お母さんは見送りには来ないけれど、優しい眼差しを玄関の方へ向けて、私の背を押してくれる。
8月5日。成海君の誕生日。
プレゼントは持った。出来ることはやり終えた。
後は、答えを手に入れるだけだ。




