32:距離は変わらず、すぐそこに
十二半時を迎え、少し遅めの昼休憩に。
自宅冷蔵庫に保管していた作り置きを食べる前に、休憩室の方へ向かった。
新菜さんと、室橋先輩が昼休憩を取っている頃だと思うから。
工房から見ていた程度だが、今日は人の入りが多かった様に見受けられた。
初日から大変だっただろう。困ったことは無かったか。
力になれることは、あるだろうか。
包装紙のような理由で、ただただ話したいだけの気持ちを包み込み、扉をノックしようとすると…その中から、談笑の声が聞こえてきた。
何を話しているかはわからない。
けれど、声は明るくて…困っている様子なんて微塵も感じられなくて。
「…そうだよな、新菜さんって元々こんな」
誰隔てなく、関わることができて。
皆と仲良しで、決して遠野新菜と話すことは…僕にとって特別でも、周囲からしたら普通のことだ。
すぐに誰でも仲良くなれるのは才能だ。
同級生でも、先輩でも…きっと、後輩でも。
僕は関わらずとも、新菜さんはどこでも上手くやれる。
初めてのアルバイトも、先輩と姉さんと協力しながらやり遂げてみせるだろう。
僕の手助けは、必要ないだろう。
別世界の入口に背を向けて、一番落ち着ける場所に戻る。
大丈夫。新菜さんは、問題ない。
問題があるのは、ちっぽけな理由で関わろうとした…どこにでもいるその他大勢の分際で、彼女の心配をしていた僕ぐらいだ。
やっぱり、僕にはあの舞台が遠い。
華やかな世界。物語の主人公の様に真ん中へ立つ彼女と、舞台上の木程度の僕では…住んでいる世界が違いすぎた。
…同じ舞台に立とうとした事すら、おこがましく感じてしまう。
それでも、この気持ちは捨てられない。
好きな気持ちには、変えられない。
でも、側にいることには、躊躇をし始めた。
…背景は主役と並んで引き立つけれど、背景と主役は一緒に歩けないのだから。
◇◇
昼食を摂り終え、楠原家の自宅スペースへ向かう。
工房にいた職人さんに成海君の居場所を尋ねると、家に昼を食べに行ったらしいから。
楠原家の自宅スペースに繋がる廊下を歩き、リビングへ。
「あれ、新菜さん?」
「美海ちゃん、朝ぶりだね。成海君は、その…」
「お兄ちゃん?んー…戻ってきたのかな」
美海ちゃんは成海君がいた形跡を探してくれる。
机の上、台所…食器籠。
そこにあったのは、成海君が普段使っているお茶碗とお箸だった。
「ご飯は食べ終えてるっぽいから部屋じゃないかな」
「…お部屋」
「案内しようか?」
「是非」
美海ちゃんに案内されて、行ったことがなかった二階へ。
三つの扉が並んだ廊下には、それぞれ手作りのルームプレートがかけられていた。
「私達の部屋にかけられてるこれ、お父さんの手作り」
「いいねぇ」
「…均一ショップで買ってきたパーツをボンドで貼り付けただけだよ」
「それでもだよ〜」
それぞれが好きそうな色のプレートに、木製のひらがなパーツをくっつけただけの代物。
誰でも簡単に作れると言ってしまえばそれまでだ。
けれど、あの忙しそうなお父さんが三人分手作りしているところが…なんだかいいなと思えた。
「家族みんな、互いが大好きなんだね」
「…かも。新菜さんのところは違うの?」
「私はお父さんもお母さんも大好きだし、二人とも同じ気持ちだと思っているけれど、毎日会えるわけじゃ無いからさ。忙しすぎて、こういう手作りとかもして貰ったことないし…羨ましいなって思えるよ」
「そっか…色々な家があるんだね」
「そういうこと〜」
階段に一番近いのが一海さん、真ん中が美海ちゃん。
そして廊下の奥にあるのが成海君の部屋。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。少しいい?」
美海ちゃんが何回かノックをして、成海君へ声をかける。
しかし返事はない。
「…工房に入った後、よく寝るんだよね。疲れるみたいで」
「体力的な問題?」
「集中力的な問題。とりあえずドア開けるねお兄ちゃん」
「えっ」
家族らしい距離感のなさと共に、容赦なく開けられた成海君の部屋の先。
部屋は洋室。机の上は片付いておらず、デザイン画らしき物が置かれていた。
所々に鳥のスケッチも置かれている。うわ…上手い…。本物みたい。
冷房がうっすらと効いた部屋の中、足がないベッドの上で寝息を立てている成海君。
やっぱり、お疲れだったらしい。
「…あ」
ベッドサイドにある、横にカラーボックス
サイドテーブルとして使っているのだろう。その上にも筆記具とデザイン画が散らばっていた。
そして、端の方にはケースに飾られた小鳥の置物。
楠原硝子工房のロゴ…その元になった小鳥が、成海君が将来作り出す作品と彼自身を見守るように置かれていた。
「ここ、いて良いから。休憩終わり、一時半だよね。終わる前には戻ってね」
「ありがとう」
部屋には二人きり。
少しだけ暑さを感じる部屋の中。
それは冷房が成海君仕様だからなのか。
好きな人の部屋に、二人きりの現状に自分が熱を帯びるほど喜んでいるのかは、定かでは無かった。
そんな中、成海君の顔が顰められる。
起きるかと思いきや、顔は険しくなって…辛そうに唸り出す。
「…魘されてる?」
ベッドサイドはカラーボックスが邪魔して座れないので、ベッドに乗り上がり…彼の手を握り締めながら、背中を撫でる。
…大丈夫だと、怖くないよとあやすように。
彼が目覚めるまで、ずっと。




