26:二時間早い到着
結局、二時間早く楠原硝子工房に到着してしまった。
「…どうしよう」
まあ、どうしようもないので…とりあえず、成海君へ連絡を入れてみる。
しかし、既読はつかない。
やっぱり朝の家事をしている最中かな…。
ふと、思い至り一海さんの連絡先を開く。
一海さんにも同じ文章を送ると、すぐに既読がついてくれた。
『早く着いちゃったんですけど…どうしたら』
『あらあら。今どこにいる?駅?』
『…工房の前に』
『了解。うちで待ってなよ。今、うちは私と美海しかいないけどさ』
一海さんと美海ちゃんしかいない…?
成海君はどこへ行ったのだろう。
疑問が思い浮かんだと同時に、一海さんが門前に来てくれる。
一海さんは制服ではなく、私服。
すごく…おしゃれ。格好良いな。
「おはようございます、一海さん」
「おはよ、新菜ちゃん。今日からよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「時間が来るまで、うちでゆっくりしていてくれていいから」
「ありがとうございます」
一海さんに案内されて、いつものリビングに通される。
そこには、フレンチトーストを食べている美海ちゃんの姿があった。
「らっしゃい、新菜さん」
「おはよう、美海ちゃん」
「あんたね…それ、おかわり何杯目?朝から何枚食べるのよ…」
「あるだけ食べるに決まっ」
「将来は豚ね。うちはいつから養豚場になったのかしら」
「…はぅ」
「美味しいのはわかるけど、加減ぐらい考えなさい」
「はぁい…」
「成海にも作りすぎるなって言っておかないとね…」
「その成海君は、どこに?何かあったんですか?」
「ああ…あ」
説明しようとして、口を開きかけた一海さん。
何か思い当たる事があったようで、すぐに口を閉じ…こちらへにんまりと笑みを浮かべてくる。
「見た方が早いわね。荷物、ここに置いておいて良いから、今すぐ工房に行きましょう」
「工房、ですか?でも、まだ…」
「売店の方は十時からだけど、その裏はもう稼働しているわよ」
「裏、ですか?」
荷物を置いた後、一海さんに案内を受け…楠原家自宅スペースから工房売店へ。
そしてそこに併設されている工房が見える窓に、手招きされた。
「やっと、工房に張り付けるなぁ、なるぼう」
「なるぼうはやめてよ、藤介さん」
真っ白なバンダナに黒い半袖Tシャツ。
しっかりとした体格が見える衣服、それに加えて前髪が無い状態だと、大人びて見えた。
周囲にいる初老の男性達を含め、あそこにいる人達が楠原硝子工房を支えている人達。
硝子職人さんだ。
「皆、正輝に影響されてなぁ。何か可愛いし、いいだろう」
「まあいいか…」
「それで、なるぼう。朝から何作ってんだ」
「いつもの」
「鳥の置物か」
「母さんみたいな作品を作りたい気持ちは、変わっていないから」
「透みたいな作品は透にしか作れんよ。なるぼうはなるぼうらしい作品を作れ」
「僕らしいって…」
「「ド繊細。触れるのを躊躇うぐらい脆い印象を抱くやつ」」
「ありゃ、透にも作れんよ」
「前作ってたのどこへやった。鳥が羽ばたく瞬間のあれ…翼がどえらい奴」
「父さんが部屋に持っていった」
「「あれなら俺たち余裕で買うんだけどな…海人から奪うか…」」
「…そこまで?ありがとう」
大人びているけれど、大人の前ではちゃんと子供。
柔らかく笑う姿は、学校でも見たことがない。
きっと、あの場所にいる人達は、成海君にとって信用できる人達。
それも、心から…。
「てか、張り付くって…無理だって。売店の仕事、今年も人手がギリギリなんだろう、父さん」
「それは一海と高校生コンビに任せておけばいい。どうにかするさ」
「…遠野さんには無理をさせてくれるなよ」
「それは運次第。硝子細工の時間、今まで確保してやれなかったからな。今年の夏は思う存分、工房で過ごすといい」
「…じゃあ、お言葉に甘えて」
「あ〜。でも、流石に目標が無いと、成海もやりがいが少なそうだからなぁ〜夏休みの宿題だ。硝子で涼しさを感じる作品を作ってくれ」
成海君達のお父さんはわざとらしく、大げさに振る舞いながら…成海君へ一言。
夏休みの宿題。学校で聞くと嫌な響きだけど、こういうところで聞くと、無関係なのにわくわくしてしまう。
硝子の作品を作る夏休みの宿題。
成海君の新しい作品が見られる…!
「え、風鈴とか?」
「やだ〜!お父さん、水を感じる作品がいい〜!我が家らしく、海っぽいの〜!」
「わざとらしくてキモいぞ海人」
「お前、経営と子育て以外さっぱりじゃねえか。演技の勉強しに行けよ」
「うるせー!とりあえず、これがテキストだ。ありがたく受け取れ、成海」
「テキストって…水族館のチケット?しかもペア…」
「一人で二回行く虚しい子になるなよ」
「えっ…」
「お前、そうする気満々だったのかよ…お父さんちょっと泣くぞ…。高校で友達出来たんだろ。二人で行ってこい」
「え…あ、ありがとう」
「マジかなるぼう。友達できたんか?」
「どんなこどんなこ?おなご?」
「…どうでもいいだろ。ほら、仕事しよう」
「へいへい。なるぼうは真面目だなぁ」
「その真面目さ、親父に少し返還できねぇの?で、親父のいい加減なところをなるぼうに少々…」
「いいねぇ!できねえの、なるぼう」
「できません!」
年上の職人さんに揶揄われつつ、成海君は軍手を手に取り、それを…。
「…もう来てるの!?」
「お、おはよう成海君」
「お、おはよう新菜さん…」
嵌めようとした瞬間、窓の外にいた私と目が合った。
驚いた成海君は息を荒くしつつ、売店スペースにやってくる。
珍しく目が見開いている。かなり驚かせているようだ…。
「今日は、よろしくね…」
「こちらこそ、お世話になります。ね、成海君」
「な、何…?」
「まだ時間あるし、窓越しに様子見ていていい?」
「いいけど、僕のはさほど…」
「それでも見ていたいんだ。どんな風に、作品作ってるのかなって…ダメかな?」
「…わかった。じゃ、姉さん。新菜さんのことは、よろしく」
「任せなさい。で、成海」
「何?」
「お父さんから貰った水族館のチケット、誰に使うの?」
「…一人で」
「一人で水族館は悲惨よ。回りは家族連れかカップルの中、一人で全部見て回れる?あんたのメンタルじゃ無理でしょ」
「うぐっ…」
「ね、新菜ちゃん。そこのところどう思う?」
「た、確かに…このシーズンだったら、一人で行くとちょっと違和感あるかも…行くなって話じゃ無いんだけどね。色々な人から、変な目で見られたり、注目されたりとか」
「…だよなぁ」
「付き合ってくれる友達ぐらいいるでしょ」
「り、陸は夏期講習でしばらくは」
「なんで陸を使おうとする!?」
「…陸が手頃かと」
そう言った瞬間、成海君は一海さんに「こっちこい」と低い声で脅されつつ、店の角に連行される。
「…おい、目の前に新菜ちゃんいるのになんで誘わないんだよ」
「だろうと思ったよ!?人前で誘えるわけないだろ!?」
「勢いに乗れ!」
「そう簡単に乗ってたまるか!ちゃんと自分で誘う!」
「え、マジ?」
「あっ…」
「今日中に誘えよ、愚弟?言質は取ったからな〜?」
「…はい」
「新菜ちゃん、そろそろもう一人の馬鹿が電柱に張り付く頃だから確保してくるね。ここでしばらく成海観察しておいて」
「え、あ…はい」
項垂れる成海君と、ウキウキな足取りで次の獲物を捕獲しに行った一海さん。
なんとも言えない中、放置された私は…とりあえず、落ち込み続ける成海君の背をさすっておいた。




