20:室橋浩樹の矜持
『うっそ、室橋ってこんなん書いてるの?』
『ありえね〜!』
『うわ、風呂場で鉢合わせとかないでしょ。双方共に馬鹿すぎ!』
雑音が聞こえる。
自分は影が薄いから、執筆を教室でやってもバレないだろうという発想が甘かった。
人とは違うことをしていたら、誰かの興味を惹いて…奪われて。
馬鹿にされて、何もかもが嫌になりかけた。
でも、何よりも嫌な事が二つあって。
一つは、自分の子供の様に大事にしているキャラを馬鹿にされたこと。
そしてもう一つは…何も言い返せず、肩を震わせるしかできない自分が…惨めで仕方なかった。
『何やってんの?』
『あ、楠原。室橋の小説見る?』
『へー。小説書いてるんだ』
ああ、また一人。厄介な人がやってくる。
楠原一海さん。クラスの中心的な人なんだけど…物言いとかきつくって、あまり、関わり合いにはなりたくない人。
楠原さんは、周囲が馬鹿にしてにたつく空気の中、無表情を貫き通しつつ…俺の小説を手に取る。
ぱらっとめくるかと思いきや、意外とじっくり読み進めてくれていた。
何か、晒されるより恥ずかしいな…。
『凄いね。普通はこんな大量に書けないし、ましてや人に読ませるんでしょう?私にはできないわ』
『そ、その小説さ…主人公っぽい男がヒロインらしき女の子の風呂上がりに鉢合わせするシーンとかあるんだよ』
『え?うち、弟とか妹と風呂場で鉢合わせすることあるよ。古い家だから、風呂場の入口前にトイレの入口あるし。洗面所が脱衣所兼ねてるし』
『…い、いや。流石に弟はキモくない?うちの弟で想像したらさぁ…』
『人間腹壊すこともあるじゃん。慌てていたら仕方ないって。うちの弟、風呂場で遭遇する時、大抵お腹ピンチだし。落ち着いたら謝ってくるし。話し合いで解決できるから。あんたの弟は違うの?』
『…』
『この家の間取りもそんな感じなんでしょう?室橋君、だっけ?』
家の間取りは決めていなかった。
けど、話を落ち着かせるためには、楠原さんの話に乗るしか無かった。
『よ、よくわかったね…古い家を参考にしてみたんだ』
『でしょ。ほら、あり得ない話じゃないし、あんたはこんなすんなり読めてわかりやすく書ける文章書けるわけ?書けないなら馬鹿に出来ないでしょ』
『それは…』
『室橋君もさ、自分が作った作品に誇りぐらい持ちなって。私はそうしてるよ』
『楠原さんも、小説書いてるの…?』
『そんなの書けないって。私、家が硝子工房なの。硝子でアクセとか作ってるから、創作者って意味合いでは同じだよ』
『…』
『私は誰よりも一番だって、自分自身で自分の作品を誇ってる。自信のなさなんて周囲に見せたらダメだって、私は思うけどね』
『…』
『人の大事なものを笑う人間もだけど、自分の大事なものを守れない人間も格好悪いでしょ』
楠原さんはやっぱり、苦手なタイプな人だと思う。
思ったことはズケズケ言うし、今後の対人関係なんて微塵も考えていないし。
俺なんか庇ったところで、彼女には何のメリットもないし。
何も考えていないんじゃ無いかと思ってしまう。
———けれど。
自分の矜持をしっかりと保ち、言葉で誰かの心を動かせるところは、とても格好良いなと感じた。
しかし、それを面白く感じない人は一定数いる。
俺の一件から、楠原さんは一部の女子からいじめられ始めた。
物がなくなったり、ゴミ箱に捨てられたり…色々とされていた。
『一海、そろそろ先生に相談した方がいいって。言いにくいなら、うちから…』
『いいよ和葉。気に食わない人間に面と向かって「気に食わない」の一つも言えない雑魚のことなんて眼中に入れても時間の無駄でしょ。気にしたら負け』
『でも、実害が…』
『かまってちゃんに構うほど、私も先生も暇じゃないから』
『そういう問題をもう過ぎてるよ〜!』
見涯さんを初めとする周囲から先生に相談するよう促されても、一海さんは適当に受け流していた。
…流石に申し訳なかったので、僕が先生に相談し…いじめの主犯だった女子生徒はクラスを分けられた。
分けられた先でもいじめの話で上手く馴染めず、結局は辞めてしまったらしいけど、身から出たサビだろう。俺たちが気にすることではない。
…とにかく、だ。
俺はかつて、楠原さんに本人無自覚とはいえ救って貰った過去がある。
同時に、大事にしなければいけない精神を受け取った。
俺が大成できたのも、彼女のおかげだ。
苦手と言えば苦手。
だけど、尊敬できる人。
俺が尊敬している楠原一海は、そんな人。
これは、そんな彼女からのお願いだ。
恩を返したい。同時に、少しでも彼女の世界へ足を踏み入れていたい。
近くにいられるチャンスがそこにあるのなら、利用させて貰おう
その気持ちを胸に、俺は挑む。
ノックを三回。室内から声かけを貰った後、扉を開く。
「失礼いたします」
面接は初めて。でも、授業でやったとおりにやれば今はどうにかなるだろう。
声は室内に通るように、腹からしっかり出す。
指先や視線の細かいところまで意識する。
…去年、厳しい先生に当たった成果は、出ているはずだ。
「御名前をお願いします」
「室橋浩樹と申します。本日は、よろしくお願いいたします」
「はい。では、どうぞ座ってください」
「失礼いたします」
足取りは良好。背もたれは使わない。
拳を軽く握り、膝の上。
正面を向いた先には、楠原さんを育てたお父様…と、校長先生だったかな。
緊張することはない。気を楽に。たった一つの目的を意識しろ。
…楠原さんの期待に応えるためだ。全力を尽くそう。




