7:楠原さんちのお料理教室
一息ついた後、お兄ちゃん達は「そろそろやろうか」と話をし…台所へ。
私はリビングのソファに陣取って、二人の観察を続ける。
「じー」
「…どうした、美海。部屋に戻っていても」
「興味、あるから」
「え」
お兄ちゃんは目を丸くした後、目頭を押さえながら気持ちの悪い笑みを浮かべてくる。
そりゃあ、毎回「料理とか嫌だし」「生臭いの嫌」「野菜入れないでね」と言いまくる私が、料理をしようとしている二人を見て「興味がある」なんて言えば、料理に興味があると取られていてもおかしくはない。
事実、お兄ちゃん泣いてるし。
しかし私が興味あるのは二人の関係性の方なのだ。
新菜さんは「まだ」と言ったし、お兄ちゃんに明確な好意がある。
積極性の権化みたいなことをしている新菜さんが自覚しているのは大きい。
付き合うのも時間の問題だ。
問題は我が家のポンコツこと距離感バグ男。通称お兄ちゃん。
この積極性の隣にいながら、好意に気づいているかどうかも怪しいのは大概だと思う。
今回は私がそれを第三者目線で見極めようと思う。
それにお兄ちゃん相手だと自然と厳しくなるしね。
「じゃ、じゃあ一緒に…!」
「いや、そういう興味じゃないから…」
「そうか…そう、か…」
「成海君、元気出して…」
私の興味が料理ではないことを受け入れたはいいものの、ショックすぎてその場に蹲ってしまう。
新菜さんは優しく背中を撫でてくれているけれど、これ新菜さんじゃなかったら間違いなく幻滅されているぞ。
「私の事はお気になさらず…後は若いお二人でね…」
「その台詞は一番若い奴に言われたくないんだよ…とりあえず、新菜さん。始めようか」
「お願いします」
それからお兄ちゃんは新菜さんの前で用意していた野菜を並べた後、包丁を構える。
ここからでは上手く見えないが、色々な切り方を新菜さんに見えるよう実演しているらしい。
「とりあえず、簡単なものからやっていこうか」
「キャベツのざく切りが一番簡単そうだったから、それからでいい…?」
「勿論。じゃあ、包丁の持ち方は色々あるけど…基本はこう。人差し指はみねに添えて。それ以外は柄」
「…こう?」
「そんな感じ。左手は、猫さんだ」
「猫さん?」
「指先を切らないようにしつつ、切るものを安定させられる魔法の手だ。こんな感じ」
招き猫の様なポーズを取ったお兄ちゃんを見た新菜さんの目が見開く。
遠目からでも分かる程、衝撃的なものを見てしまった様子が窺える。
しかし、相手は遠野新菜である。
私のように兄さんの天然あざとポーズに気持ち悪さを覚えたわけではない。
むしろ…。
「猫さん上手だね。可愛いね」
「…何か、喜ぶ要素あった?」
どストレートに可愛いと言い始めていた。
…強いな、新菜さん。
もうこの人、お兄ちゃんがどんな醜態を晒してきても許してきそう。
将来姉が増えて、その人の名前が楠原新菜になっても私はもう驚かないよ。
むしろお兄ちゃんの引き取り手この人しかいないでしょ。
どうしてここまで新菜さんほどの人がお兄ちゃんみたいなポンコツを好きになる理由が分からない。
むしろポンコツだからか。庇護欲をかき立てられるのか。
しかし、料理を教えて欲しいというって事は…新菜さんの料理スキルはないに等しいってことだよね。
流石に顔良し、性格良し、頭良し、家庭力有。なんて完璧超人だったら本気でお兄ちゃんを選ぶ理由がわからないから、むしろ新菜さんにも苦手な部分があってよかったというか…なんというか。
「……」
こう、遠目で見ている限り…新菜さんはかなり不器用らしい。
包丁を動かす手つきもたどたどしく、むしろ見ていて不安になる。
…いいこと考えた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ〜」
「流石にここから見ても、新菜さんの手つきが危なっかしくて心配になっちゃうよ」
「美海ちゃんの目でも危ないか〜…」
「だからさ、見守るんじゃなくて…一緒にしたらいいんじゃない?」
「「一緒に?」」
「そう。お兄ちゃんが新菜さんの手を背後から動かして、まずは感覚から掴むんだよ…!」
「そ、それは背後からほぼ密着状態になるのでは…」
「そうだよ」
「流石に…まずいのでは…」
「妹がいる前でまずいことにはならないでしょ…なるの?なったら絶縁するよ」
「うぐぅ…」
「大丈夫。近くても、平気だから。上手くなるために出来ることをしよう。成海君!お願いします!」
「……わ、わかった。背後、失礼します」
新菜さんの覇気に押され、お兄ちゃんは新菜さんの背後に回り…彼女を覆うように立つ。
新菜さんの手に被せるように、自分の手を乗せて。
基本の姿勢で、包丁を動かし始めた。
「あまり力、いれないんだね」
「…基本の」
「…んっ」
「…大丈夫?」
「ごめんね、変な声出しちゃって。耳に息、かかっちゃって。くすぐったくてさ」
「あ…この距離じゃ…。ごめん、次は気をつける」
「気にしないで。続き、お願いしてもいい?」
「勿論」
照れているお兄ちゃんの腕の中で、新菜さんは嬉しそうににんまりと微笑む。
そしてふと、私の方を見て…口パクで何かを伝えてくる。
…ありがとう。
小さくウインクをしてくれた彼女は、「切り方」が終わるまで顔を上げることはなかった。
お兄ちゃんとできる限り同じ時間を過ごしたい気持ちもあるけれど、同時に彼女なりに料理が上手くなりたいと思ってここに来ているのだろう。
真剣な面立ちで取り組む彼女。出来たことに喜ぶ彼女。
下心は、感じられない。だけど、ちゃんと距離を縮めたい気持ちはちゃんと側にある。
これ以上のサポートは無粋だろうか。
二人きりにした方がいいのだろうか。
でも、もしも新菜さんに怪我するような事があると、お兄ちゃんが大変な事になる。
悩んだ末に、私は様子を伺うことに決める。
二人きりにしたい気持ちはあるけれど、できない理由もそれ相応にあるのだから。




