2:坂道を歩いて
目的地は昨日の家用買い出しを済ませているスーパーではない。
少し道を逸れて、海辺では無く住宅街の方を進んでいく。
「今日は海辺を通るんじゃないんだね」
「ああ。少し遠回りになるけれど、野菜の直売所がこの先にあって、そこで買った方が凄くお得なんだ」
「なるほど。金銭面にも易しい設計…それでいて、朝陽ヶ丘の事も知れる。よく考えてるね、成海君」
「…まあ、そんなところ」
さりげなく呼ばれ続ける名前に何度も振り回される。
学校では呼ばなかったのに、どうして…ここではそれが当たり前と言わんばかりに呼ぶのだろう。
「どうしたの?」
「あ、いや…名前…」
「ああ…うん。やっぱり、友達なのにいつまでも苗字じゃおかしいな〜って思って」
「そ、そう…」
「でも、学校とかで呼ぶと…変な噂の的になっちゃうんじゃないかなって思ったからさ」
「変な噂って?」
「…付き合っているとか」
バツが悪そうな顔で、髪を弄りつつ…遠野さんはそう答えた。
…そう見られても構わないと思ってしまった雑念は、ちゃんと振り払う。
「た、たかだか名前呼びで…そんな訳」
「同性ならともかく、異性となるとハードル高くなるんだよ…成海君だって、私の事ずっと苗字じゃん」
「それは、そうだけど…」
遠野さんの言うとおり、名前呼びのハードルは歳を重ねる度に上がっている気がする。
同性なら、とは思うのだ。
渉のことはすぐに呼び捨てにできるようになったのに、遠野さんや足立さん、吹上さんに対してそれは何となく難しい。
名前は呼びたい。けれど、いらぬ誤解を周囲に与えて、遠野さんに迷惑をかけるのは…避けたいのも本音。
こんな悩みを抱くなら、クラスにもう一人「遠野さん」がいてくれたら良かったのにとさえ思う。
もしもそうであれば、差をつけるために名前呼びが容易だったと思うから。
「…今は、人の目はないよ?」
「……」
「…クラスメイトの目とかないし、誰にも誤解とか迷惑とかかからないから…成海君がどうしたいかって話だと思うんだ」
「…それも、そうだけど」
「成海君は、どうしたい?」
「っ…」
僕の顔を覗き込み、何かを期待するように笑う遠野さん。
…期待されている。名前で呼んでいいと思われている。
けれど、促されるままでいいのだろうか。
———本当に、そうしていいのか。
けれど、彼女の期待を無下にすることもできやしなくって。
それがうぬぼれではないことに期待しつつ、僕は絞り出すような声で、彼女の問いに応えた。
「…わかったよ、にいな、さん」
「…まさかのさん付け」
「いいだろ。流石に、ちゃん付けとか、呼び捨てとか…恥ずかしいし」
「ちゃん付けしてくる成海君がみた〜い。一回だけ。一回だけ」
「…絶対ないぞ」
「いいからいいから」
「…新菜ちゃん」
指定された通りに呼ぶと、新菜さんが動かなくなる。
…気持ち悪すぎて意識でも飛んだのだろうか。
「…はっ」
「…大丈夫?」
「うん。これはこれでいいね…。超可愛いから、よし!」
「そんなことないだろ…」
「でも、成海君の性格上、最初のが「らしい」かも」
「そうですか…」
揶揄うように微笑む新菜さんから目を逸らす。
今は、彼女の顔を直視することが出来ない。
心を軽く落ち着かせつつ、再び向き合う頃には目的地に近づいてきた頃だった。
「そういえば、今日は動きやすい格好をしてきて〜って言っていたよね」
「ああ。もうすぐ見えるんだけど、駅から商店街までの道のりが坂道多めだったから…」
「確かに。話ながら歩いていたからあまり感じなかったけど、振り返れば坂道多かったかも」
「前みたいなお洒落な服装だと、足とかやっぱり疲れるだろうからって思って…」
「ふぇ」
「勿論、商店街に着いてからも休憩できる場所はいくつか目星をつけてある。慣れない土地だ。疲れたら遠慮無く言ってくれ」
「そ、それは助かるな…」
「今は大丈夫?疲れてない?」
「へ、平気だよ!これでも体力には自信あるからね!一時間立ちっぱ通学組だから!足腰自信あるよ!」
「そっか。でも、無理はしないように」
「勿論!」
数歩後ろにいた新菜さんは、僕と並ぶ前に何かを呟く。
「———気遣いが手厚すぎる。ズルいってば」
ぼそっと呟かれた言葉は、僕の耳には届かない。
それから新菜さんは僕の隣に並んで歩いてくれる。
目的地は、もう少し。




