Fragment1:鷹峰陸の進路
彼と出会ったのは、小学一年生の時だった。
「……」
今月から朝陽ヶ丘にやってきた俺は、一緒の学校に行けることを喜んだ幼馴染も、幼稚園の友達もいない環境で一人肩をすくめていた。
知り合いは誰もいない。
朝陽ヶ丘の事も何も知らない。
友達はちゃんとできるだろうか。そんな不安に駆られているとき、前の席から俺の顔を覗き込む子が一人。
「どうしたの?顔暗いよ?お腹痛い?」
「…ううん。そうじゃなくて…怖くって」
「怖い?」
「…僕、四月の初めに朝陽ヶ丘に来たから。知っている人も、誰も…」
「そっかー。じゃ、僕が最初になる。朝陽ヶ丘の事も教えるよ」
俺とは真反対で、新生活が心から楽しみに笑う子。
前の席に座っていた彼こそ、楠原成海。
将来俺の親友になる男の子との出会いだった。
◇◇
友達になってから、俺はよく彼と遊んでいた。
今とは真逆とも言えるぐらい、成海は社交的な性格だった。
「こんにちは〜」
「お、楠原のところの成海君か。こんにちは」
長い歴史を持つ家の子供だからか、地域の人なら誰でも知っているような存在だった。
以前住んでいたところは都会だったから、人付き合いが良くも悪くも希薄だった。
だから、こうして大人にも名前が知られている成海の存在は、当時の俺からしたら何か凄くって…格好良く見えた。
彼は朝陽ヶ丘の至る所に俺を連れ回してくれた。
おかげでこの町のことに詳しくなれたのは、言うまでも無いだろう。
いつも明るかった。
太陽のように眩しくて、光を常に透き通らせた存在。
けれど、この時の俺はまだ楠原成海の存在が眩すぎて、直視できていなかった。
光の中にあるのは、硝子細工だったことに気づけていない。
気づけたのは、彼のお母さんが亡くなった後の事だった。
◇◇
成海はお母さんが病気で亡くなってから、塞ぎ込むようになった。
小さい頃からお母さんっ子で、お母さんが硝子細工を作る様を眺め続けていた。
お母さんの後を常についていき、家事の手伝いもなんでもこなしていた。
けれど今、彼がついて行っていた人はもういない。
部屋の中でお母さんが硝子で作った鳥の置物を眺めながら、毎日泣き続けていた。
休みがちになり、来たとしてもお母さんの事を思い出して泣き出す成海を、皆が心配した。
でも、流石に死に触れるのはデリケート。
皆、どう声をかけたらいいかわからなくなっていた。
成海がいない日、先生がわざわざ道徳の授業の中で、人が死ぬこと、残された人にどう接するべきかなんて議題を出したのは懐かしい。
小学二年生は必死に考えて、静かに見守るとか、いつも通りにするとか答えを出し合ったっけ。
そんな毎日が続いていた頃、俺は成海の前で怪我をした。
指先を紙で切るような、些細な怪我。
痛かったけれど、仕方ないと思い…傷口を水場へ洗いに行こうとすると…様子がおかしい成海に引き留められた。
腕を掴まれ、勢いよく飛び込んで来た成海に押し倒された俺は、彼に強く責め立てられる。
何て言っているか分からないほど泣き叫び、合間合間の呼吸は浅く…目は見開いていた。
唯一聞き取れた単語は、早く病院に行ってくれ。
先生が止めるまで、それはずっと続いていた。
当時の俺はまだ、彼の身に何かあったか全貌を把握していなかった。
だから、思ってしまった。
成海が化物になったみたいで、凄く怖かった。
あの日の事は、今でも覚えている。
…嫌でも忘れられない。
楠原成海が、明確に壊れたことが周知された日なのだから。
◇◇
その日の晩、俺の家に成海のお父さんが謝りに来た。
その際、お母さんとお父さんが、成海のお父さんからどうしてああなったのか…推測を含め、話を聞いた。
母親の体調不良に気づいていた成海は、葬式の場で、伯父から責め立てられたそうだ。
どうして早く病院に行くように言わなかったんだ。
気づいていたのに黙っていたのか。
母親に死ねと思ったのか。悪魔め。
子供でもわかる言葉で、成海のお父さんや親戚が止めるまで続いたその時間。
成海の心は大きく傷ついていた。
葬式会場からも追い出され、今後の法事にも墓参りにも顔を見せるなと言われたらしい。
とてもじゃないが、子供にやることではないだろう。
…反吐が出る。
「…あの人も、妻が唯一の家族でしたから、気持ちはわかるといえばわかるのです。ただ、子供相手に…あんなことを」
成海のお父さんは、同情を見せていた。
俺の両親も、気にしないでくださいと成海のお父さんに同情的だった。
…伯父もだけど、俺はこの瞬間から成海のお父さんが心底嫌いになった。
そんな奴に同情なんてしなくていいんだよ。
俺の大事な友達を傷つけた人間なのに
俺の大事な友達が傷つく瞬間を、止められなかった人間なのに。
同情する価値なんてないじゃないか。
◇◇
それから俺は、成海に会いに行き…あることを誓った。
成海が大丈夫になる日まで、ずっと一緒にいる約束。
重すぎるかもしれないけれど、これぐらいの方が今の成海は安心するだろう。
勿論 両親には相談した上でやった。
こうして学校に、地域に馴染めたのも成海が手を引いてくれたから。
だから今度は、俺が手を引きたいと。
両親は俺の意志を尊重し、思うようにやりなさいと声をかけてくれた。
しかし、いくら支えても…成海の根本的な問題は解決しないまま。
俺の後も沢山の問題を起こし、気がつけば成海の友達は俺だけになっていた。
心療内科に通ったり、カウンセラーの人との面談の時間が増えて…一緒にいられる時間がめっきり減った。
五年生ぐらいになると、クラスに馴染めなくて…保健室登校になっていたっけ。
それでも定期的に遊びに行った。
成海が一人にならないように。
彼が、一人ではないことを伝えるために。
◇◇
中学になると、成海は通常のクラスに戻ってきた。
学校側に頼んで、成海と三年間一緒のクラスにして貰ったのは懐かしい。
気がつけば人付き合いが苦手になってしまっていたけれど、温厚な性格は変わらない。
クラスメイトとの接点はほぼ壊滅した状態。
彼が打ち込めていたのは、勉強だけだった。
おかげで成海の成績は上位に位置するものに。
俺はそれに焦りを感じて、両親に塾へ通いたいと頼んで成績を底上げした。
迎えた三年生。
成海は県内随一の進学校を狙えると進路相談で言われたそうだ。
俺は俺で進学校かつサッカー強豪校の推薦が取れる話。
サッカーは好きだし、推薦校も憧れではあった。
進学することが叶えば、将来的に困ることもないだろうと感じるぐらいに。
けれどこれでは、進路が分かれてしまう。
早めに、成海の進路を確認しておかないと。
自分がどうするか方針を定めないと。
「成海、高校どこにするの?」
「浜商、近いから」
「ふーん」
彼の進路を聞いた後、俺は親に進路を浜商にすると話した。
憧れだった高校はいいのかと聞かれるだろうと思い、適当にプランを練った。
将来的に大学進学を目指している。理想は経済。
浜商は最寄りで通学時間を大幅にカット出来るので、勉強に割く時間が作れる。
それに浜商から、大学…それも経済学部の進学率は高い部類だ。
無知で進むよりは商業科目を学んだ上で進学した方が将来的にも効率がいいなんて、適当をでっち上げた。
ま、どうせ成海が浜商だから浜商にしたんだろう…とバレたけど。
しかし両親の反応は普通だった。
怒ることも、焦ることもない。
言ったからにはやれと言われ…塾付きの条件で浜商への進学を許して貰った。
「…どうして許してくれたの?」
「確かに進路のことは滅茶苦茶だけど…成海君の事、大事に思っていることは知っているから」
「陸がそうしたいっていうなら、父さん達は応援しようって思ってな。自分でやりたいって思えることがあるのはいいことなんだぞ」
やりたいことを応援し、背中を全力で押してくれるいい両親で、心から嬉しかった。
本当にいい両親に巡り会えたと思っている。
進路希望を提出した日、成海が焦った顔で我が家に押しかけた。
自分が原因で、進路を自分と同じにしたのではないかと思ったらしい。
両親は俺の意志を尊重し…「そうだ」とは言わず、嘘の方で成海を丸め込んでくれた。
ちゃんと自分達とも話し合って決めたこと。
そして、成海のことは俺の進路には無関係だとも。
その言葉に安心した成海は、胸を撫でおろした。
◇◇
その日から数ヶ月後。俺は足を怪我した。
入院して、手術して…選手生命が絶たれた事をゆっくりと受け入れる中、成海はずっと寄り添い、リハビリにも付き合ってくれた。
「サッカー好きだったのに、残念だったな」
「まあ、仕方ないよ。こういうこともあるさ」
「…うちの硝子工房、遊びに来るか?」
「いいけど、なんで?」
「…新しく打ち込めることがあった方が、気も晴れるかなと」
「いいね。でも、高校進学したら、勉強で忙しくなるからさ」
「そっか」
「たまに付き合わせてよ。今までサッカーばっかりだったから、したことないことに挑戦したいんだ」
「わかった。いつでも声をかけてくれ」
「ありがとう、成海」
こうして普通に歩けているのも、サッカーが出来なくなってからも普段通りに過ごせているのも…彼がずっと付き添ってくれたおかげだ。
「陸。おはよ」
「おはよう、成海」
今日もまた、いつも通りの生活が始まっていく。
それは勿論、俺にとっての話。
この日の六時限目、成海は人生の転機に立たされる。
午後の陽光が、成海に降り注いだ。
彼の隣に座る少女は、成海に教科書を貸して欲しいと頼み…席をくっつけた。
これが彼女との出会い。
成海が将来一緒に歩き、支え合うことを誓った存在。
そして、成海を救えた少女との出会いとなる。