Praesens1:あの日も今も、君はズルかった
ダンボールが積み重なったリビングにて
引っ越しの荷解きの最中で見つけた高校時代のアルバムとそれを眺めつつ、僕は息を吐く。
あれから八年。新菜と出会って、もう八年が経過している。
八年で随分変わったものだ。
「新菜」
「何〜」
「あの日の折りたたみ、無くしたって言っていたけど」
「そうそう。どこかにしまい込んじゃって」
「アルバムと同じ箱の中に入っていたぞ」
「嘘。荷造りの時に一緒にしちゃったのかな…」
別室で荷ほどきをしていた新菜は慌てて僕の元にやってきて、折りたたみを受け取ってくれる。
嬉しそうに、大事に抱えるそれは随分色褪せた。
色々なところに連れて行き、使い続けたからだ。
「なんでこんなことにしまい込んでいたんだ…」
「だって、高校時代の成海を思い出す度にこの傘が愛おしくなっちゃって…」
「そういうものか?」
「成海に見立てて頬擦りしてみたりしてて…」
「本人にしてくれよ」
「まあ、とにかく!そういうことばっかりしていたから、なんだかんだで一緒にしちゃったんだと思う」
「よくわからん…」
この傘の購入時、彼女が何を考えていたか。それは今の僕に伝えられている。
この時から好意を自覚していた彼女は、自分の好きな色より僕が選んだ傘を使いたかったらしい。
僕は僕で、無意識に自分の好きな色を選んでいた。
僕の目と同じ色だったのは…本当に偶然だ。
古びているそれをそろそろ買い換えたらどうだと話をしたことも何度かある。
再び僕が選ぶことで、新しい折りたたみを持ち歩くようにはなってくれたが…この傘を処分しなかった。
大事な思い出だから…ずっと、持っておきたいらしい。
変わっているけれど、気持ちは理解できるから…僕はそれを尊重したい。
だからこそ気にかけていた。
無くして落ち込んでいた彼女を、早く立ち直らせたいと思うほどには。
「傘を成海に重ねるほど、成海のことが大好きだからだよ〜」
「…よくストレートに言えるな」
「むしろ成海が遠回しすぎるから…でも大丈夫だよ。言わなくたって成海が私の事大好きなのはちゃんと理解しているからね〜。キスする?」
「…掃除中だぞ。後で」
「後でならいいんだ〜」
「…後でならな」
「も〜。照れちゃって〜。私の成海は可愛い。世界一可愛いね」
「頬を突かないでくれ。それから世界一可愛いのは新菜の方だからな」
「いや、成海の方だから…これだけは譲れない」
「なぜそこで張り合う!?」
事実、照れてはいない。
アルバムに映る自分のように、もう初心では無いのだ。
キスどころかそれ以上だって両手ではもう数え切れないほどしている。
しかし、経験があるからといって、新菜の翻弄を軽く受け流すことは出来ないのだ。
彼女は昔からズルかった。すぐに僕の心を翻弄させる言動を繰り返す。
今も、変わらない。
そういうことも、好きだから…構わないのだけれど。
「てか、成海。荷ほどきサボってアルバム見てたの?」
「まあ、少し休憩ってことで…」
「まあ、朝からずっと頑張ったもんねぇ…休憩も必要だよね」
新菜はさりげなく隣に腰掛けて、僕の肩に頭を乗せる。
彼女もここで休憩をするらしい。
アルバムを開き、クラスの写真を眺める。
十八歳の僕たちが、映っている。
「高校時代の成海、凄く可愛いよね」
「冗談はよしてくれ。新菜の方が可愛い」
「それこそ冗談でしょ…」
「でも、アルバムの記念撮影の為にわざわざ髪をセットしてきて…」
「き、気合い入れたいじゃん…!?」
「おかげで可愛い新菜が卒業生全員に渡ってしまった…」
「い、いいでしょ…みっともない写真が出回るよりは」
それもそうだけど、普段よりも気合いを入れている彼女の写真を、僕以外の全員が持っている事へ若干の不服を感じている。
「何ふてくされているの?」
「…むぅ」
「こんな普通よりちょい上の私より、デートで成海に可愛いな〜って思って貰うために気合いを入れた本気の私を何度も見ているのに」
「それはそう…」
「そんな成海は贅沢ものなんだぞ〜」
「そうだな。僕には勿体ないぐらい、素敵な人だよ。君は」
「そんなこと…あるかも」
腕を絡ませ、指先まで繋ぐ。
新菜の指の付け根にあるそれが触れる度に得る奇妙な感覚にはもう慣れた。
最初は何か当たっているなと感じたが、今ではそこにあるのが当たり前。
むしろ、あって貰わなければ困る。
「そういえば、その箱の中に“あれ”が入っていなかった?」
「何?」
「高校時代、成海が私に料理を教えてくれたでしょ?その時の記録」
「ああ。あったあった。アルバムの下になっていた」
アルバムの箱をどけ、ノートを数冊取り出す。
高校時代に交わした約束。
実際、料理を教えていたのはたったの一年。
気がつけば新菜の腕も上達していて、教える必要もなくなって。
それぐらいの時期に色々あって、料理をする約束は…一緒に料理をする時間に変わった。
新菜は教えた料理も、一緒に作った料理も写真付きで記録をしてくれていた。
それがこのノート。何十冊にもなったそれは、新菜にとっては勿論、僕にとっても大事なものだ。
「見た?」
「いいや、見ていない」
「このノートの最初の一ページ目、実は最初に教えて貰った料理じゃ無いんだよ」
「そうなのか?」
「うん」
開かれたノートの一ページ目。
その中に書かれていたのは、誕生日のチーズケーキ。
僕が新菜の誕生日祝いに作った、最初のケーキだった。
「凄く嬉しかった上に、美味しかったから。これを最初に記録したの」
「そうだったのか…」
「あの日は楽しかったよね。今も凄く楽しいけど、付き合う前のこと、思い出す度に凄く恥ずかしいんだけど…楽しいことが沢山で———」
新菜は僕の左手をとり、自分の左手を重ねる。
———お揃いの指輪が、よく見えるように。
「成海と出会えて、こうして夫婦になることが出来て、改めてよかったなって思えるんだよ」
「僕も同じだよ。ま、最初は嘘から始まった話だけど」
「それはもう時効にしてほしいな」
「忘れないよ。時効になんかしない」
それがあったから変われたし、今があるから。
忘れてしまったら、それがなかったら、僕は新菜とこうして一緒にはなれていないだろうから。
大事な思い出として、一生抱えていくのだ。
「ね、成海。せっかくだから教えて」
「何を?」
「あの時のチーズケーキ、何を思いながら作ったの?うろ覚えじゃないでしょ?私に関することなら、全部はっきりしてるんだから」
「うぐっ…」
「私の背中にあるほくろの位置と数まで覚えている成海なら余裕だと思うけどなぁ〜」
「ええっと、あの時は…」
からかいには、からかいで返される。
別にいい。これがむしろ心地いい。
記憶を振り返る。
僕らが歩んだ八年の記録。
これは、僕らが歩んだ時間を振り返る物語。
再び戻ろう。
高校一年生の夏に———。
彼女の誕生日を、初めて祝ったあの時間へ———。