表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/213

38:少し遅い誕生日プレゼント

レジ前に掲示されている割引情報。

少しでも安くなるならありがたい話。

自分が対象になれる割引があるか探し、目についたのは…。


「あ、この店誕生月割引あるんだ」

「たんじょうつき…?」


隣にいる楠原君が目を丸くしている。

驚きが一番だが、むしろ何か…焦っているような。


「あ、あの…遠野さんの誕生日って」

「五月十七日だよ」

「一週間以上前じゃないか…!?」

「そんな驚くことかな」

「だって、その、言ってくれたらお祝いとか…」

「で、でも流石に悪いし…」


一ヶ月程度の間柄。まだ距離感を掴んでいる状態の中で、誕生日を言うのは流石に申し訳ない。

だから、若葉と美咲にも誕生日は黙っていた。


「悪い事なんてあるか!」

「楠原君…」

「誕生日は年に一度の大事な日で、何よりもめでたいことなんだから…ちゃんとお祝いされるべきだ」


誕生日を、凄く大事にしている。

なんだか意外。楠原君、そういうタイプに見えないのに…。


「僕はその…母さんの命日と自分の誕生日が被っているから、有耶無耶になった時期が多くて…悲しかったことがあるから」

「…あ」

「だからって話じゃないけれど、ちゃんとお祝いできる時に、お祝いしたい」


いつになく力強い声で、説得してくる。

そうだった。彼の誕生日はお母さんの命日。

被っていると、鷹峰君が言っていたじゃないか。


一番大事な日は、一番悲しい日。

お葬式や法事で誕生日どころじゃなかったこともあったのだろう。

その気持ちが、彼をそうさせている。


「ありがとう。じゃあ、遠野新菜。きちんとお祝いされます」

「ん。そうするべきだ」


「あ、でも傘は自分で買うからね」

「えっ」

「プレゼントはもう貰っているから、お祝いしたいって気持ちだけで十分」

「プレゼント、あげたっけ…」


既に忘れている楠原君に思い出して貰えるように、私はスマホを彼の目の前に向ける。

揺れる硝子ストラップを目にした彼は、納得したように笑ってくれた。


「そうだった。これを…でも、これだけで…?」

「うん。私の今、一番大事なものだから。十分だよ」


彼からしたら、重複したものを贈ってくれただけかもしれない。

けれど、私にとってこれは何よりも大事なもの。

手のひらに載る、小さな煌めきこそ…私の今を輝かせている。


「大事にしてくれているんだね」

「そうだよ。せっかく貰ったものだもん。楠原君だって、ずっとつけてくれてる」

「まあ、気に入ったデザインだし…」


「私とお揃いって、よくバレないよね」

「まあ、同じタイミングでスマホを出したりしないからかな…」

「言われてみれば…じゃあ、もしも同じタイミングでスマホを出して、同じストラップをつけてる〜って周囲にバレたら、どうする?」

「それは、その…遠野さんにいらぬ迷惑をかけるんじゃないか?だったらはず…」

「ダメ」


外そうとする楠原君の手を止めておく。

外すのはダメ。

だって目に見えるそれがあるから、私達の距離感が近く見える。

本来のそれよりも、遙かに近く見えるから。


「どうして。遠野さんに迷惑が…」

「かかってもいいよ。私が、望んでいることだから」

「それって…」


次のお客様、と呼ばれ…レジに進む。

ちょうどいいタイミングだった。

楠原君には悪いけれど、これ以上は…持ちそうになかったから。


◇◇


遠野さんの様子が凄くおかしい。

あんなに距離感を近づけてきていただろうか。

良くも悪くも、これまでは友達の距離感だったのに…。

意識しだしたから、近く感じるのだろうか。

自意識が過剰なだけだろうか。


…わからない。わからないんだ、遠野さん。

今、君は何を考えているんだ。

僕にはさっぱり分からない。


何事もなかったかのように傘を購入した彼女と合流し、店を出て駅方面へ。

そろそろ、電車の時間だから。

今日はこれでおしまいだ。

名残惜しさを感じるが、これ以上要らぬ事を言わないで済む安堵感。

安心の方が、大きかった。


「今日はありがとうね、楠原君。いい買い物ができたよ」

「いや、なんか無理矢理買わせたみたいじゃなかった…?」

「そんなことないよ。言ってくれなかったら、買う機会をずっと逃していただろうし」


タグを切ってもらい、いつでも使える状態になっている折りたたみ傘を僕に見せつつ、彼女はいつも通りの笑みを浮かべる。

そう、いつも通り。

何も、変わらない。


「誕生日のことも、ありがとうね」

「いいって。今日は何もできないけれど…土曜日に、ケーキとか用意しておくよ」

「もしかしなくても…焼いてくれるの?」

「いいけど…?」


「作れるの!?ケーキを!?」

「まあ、製菓はほどほどだから…生クリームを均一に塗るとか、そういうのは」


「…私、チーズケーキが好きだな」

「じゃあ、チーズケーキを焼いておくよ」

「やった!楽しみにしてるね!」


…遠野さんはチーズケーキが好き。ちゃんと覚えておこう。

改札前に辿り着き、互いに向き合う。

今日は、ここまで。


「じゃあ、もうすぐ電車の時間だから。そろそろ行くよ」

「うん。気をつけて」

「今日は色々ありがとうね」


遠野さんは改札を通った後、こちらに振り向く。

その視線は何度か宙を彷徨うが、意を決したように彼女は僕へ手を伸ばしてくる。


「———また明日ね、成海君」


手は届かない。

けれど、声は確かに僕へ届く。

彼女はそういった瞬間に、ホームへ駆けて行ってしまった。

追求はできない。もう一度聞くこともできない。

けれど彼女は確かに今、僕の名前を呼んだ。

楠原君ではなく、成海君と…。


「………」


ふらふらとした足取りで、邪魔にならないところに向かい…しゃがみ込む。


「…ずるい」


このタイミングでなぜ名前を呼んでくれたのかなんて、想像もできやしない

しかし名前を呼ばれたのは事実。

耳に残るその声に意識をかき乱されつつ、僕は構内に響く発車ベルを耳にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ