38:少し遅い誕生日プレゼント
レジ前に掲示されている割引情報。
少しでも安くなるならありがたい話。
自分が対象になれる割引があるか探し、目についたのは…。
「あ、この店誕生月割引あるんだ」
「たんじょうつき…?」
隣にいる楠原君が目を丸くしている。
驚きが一番だが、むしろ何か…焦っているような。
「あ、あの…遠野さんの誕生日って」
「五月十七日だよ」
「一週間以上前じゃないか…!?」
「そんな驚くことかな」
「だって、その、言ってくれたらお祝いとか…」
「で、でも流石に悪いし…」
一ヶ月程度の間柄。まだ距離感を掴んでいる状態の中で、誕生日を言うのは流石に申し訳ない。
だから、若葉と美咲にも誕生日は黙っていた。
「悪い事なんてあるか!」
「楠原君…」
「誕生日は年に一度の大事な日で、何よりもめでたいことなんだから…ちゃんとお祝いされるべきだ」
誕生日を、凄く大事にしている。
なんだか意外。楠原君、そういうタイプに見えないのに…。
「僕はその…母さんの命日と自分の誕生日が被っているから、有耶無耶になった時期が多くて…悲しかったことがあるから」
「…あ」
「だからって話じゃないけれど、ちゃんとお祝いできる時に、お祝いしたい」
いつになく力強い声で、説得してくる。
そうだった。彼の誕生日はお母さんの命日。
被っていると、鷹峰君が言っていたじゃないか。
一番大事な日は、一番悲しい日。
お葬式や法事で誕生日どころじゃなかったこともあったのだろう。
その気持ちが、彼をそうさせている。
「ありがとう。じゃあ、遠野新菜。きちんとお祝いされます」
「ん。そうするべきだ」
「あ、でも傘は自分で買うからね」
「えっ」
「プレゼントはもう貰っているから、お祝いしたいって気持ちだけで十分」
「プレゼント、あげたっけ…」
既に忘れている楠原君に思い出して貰えるように、私はスマホを彼の目の前に向ける。
揺れる硝子ストラップを目にした彼は、納得したように笑ってくれた。
「そうだった。これを…でも、これだけで…?」
「うん。私の今、一番大事なものだから。十分だよ」
彼からしたら、重複したものを贈ってくれただけかもしれない。
けれど、私にとってこれは何よりも大事なもの。
手のひらに載る、小さな煌めきこそ…私の今を輝かせている。
「大事にしてくれているんだね」
「そうだよ。せっかく貰ったものだもん。楠原君だって、ずっとつけてくれてる」
「まあ、気に入ったデザインだし…」
「私とお揃いって、よくバレないよね」
「まあ、同じタイミングでスマホを出したりしないからかな…」
「言われてみれば…じゃあ、もしも同じタイミングでスマホを出して、同じストラップをつけてる〜って周囲にバレたら、どうする?」
「それは、その…遠野さんにいらぬ迷惑をかけるんじゃないか?だったらはず…」
「ダメ」
外そうとする楠原君の手を止めておく。
外すのはダメ。
だって目に見えるそれがあるから、私達の距離感が近く見える。
本来のそれよりも、遙かに近く見えるから。
「どうして。遠野さんに迷惑が…」
「かかってもいいよ。私が、望んでいることだから」
「それって…」
次のお客様、と呼ばれ…レジに進む。
ちょうどいいタイミングだった。
楠原君には悪いけれど、これ以上は…持ちそうになかったから。
◇◇
遠野さんの様子が凄くおかしい。
あんなに距離感を近づけてきていただろうか。
良くも悪くも、これまでは友達の距離感だったのに…。
意識しだしたから、近く感じるのだろうか。
自意識が過剰なだけだろうか。
…わからない。わからないんだ、遠野さん。
今、君は何を考えているんだ。
僕にはさっぱり分からない。
何事もなかったかのように傘を購入した彼女と合流し、店を出て駅方面へ。
そろそろ、電車の時間だから。
今日はこれでおしまいだ。
名残惜しさを感じるが、これ以上要らぬ事を言わないで済む安堵感。
安心の方が、大きかった。
「今日はありがとうね、楠原君。いい買い物ができたよ」
「いや、なんか無理矢理買わせたみたいじゃなかった…?」
「そんなことないよ。言ってくれなかったら、買う機会をずっと逃していただろうし」
タグを切ってもらい、いつでも使える状態になっている折りたたみ傘を僕に見せつつ、彼女はいつも通りの笑みを浮かべる。
そう、いつも通り。
何も、変わらない。
「誕生日のことも、ありがとうね」
「いいって。今日は何もできないけれど…土曜日に、ケーキとか用意しておくよ」
「もしかしなくても…焼いてくれるの?」
「いいけど…?」
「作れるの!?ケーキを!?」
「まあ、製菓はほどほどだから…生クリームを均一に塗るとか、そういうのは」
「…私、チーズケーキが好きだな」
「じゃあ、チーズケーキを焼いておくよ」
「やった!楽しみにしてるね!」
…遠野さんはチーズケーキが好き。ちゃんと覚えておこう。
改札前に辿り着き、互いに向き合う。
今日は、ここまで。
「じゃあ、もうすぐ電車の時間だから。そろそろ行くよ」
「うん。気をつけて」
「今日は色々ありがとうね」
遠野さんは改札を通った後、こちらに振り向く。
その視線は何度か宙を彷徨うが、意を決したように彼女は僕へ手を伸ばしてくる。
「———また明日ね、成海君」
手は届かない。
けれど、声は確かに僕へ届く。
彼女はそういった瞬間に、ホームへ駆けて行ってしまった。
追求はできない。もう一度聞くこともできない。
けれど彼女は確かに今、僕の名前を呼んだ。
楠原君ではなく、成海君と…。
「………」
ふらふらとした足取りで、邪魔にならないところに向かい…しゃがみ込む。
「…ずるい」
このタイミングでなぜ名前を呼んでくれたのかなんて、想像もできやしない
しかし名前を呼ばれたのは事実。
耳に残るその声に意識をかき乱されつつ、僕は構内に響く発車ベルを耳にした。




