29:友達の定義
一人になった帰り道を歩いて行く。
ふと、後ろを振り返り…駅に繋がる分かれ道を一瞥する。
遠野さんが進んだ先、そこから彼女がひょっこり出てこないことはわかっているけれど、何となく目で追ってしまう。
「はぁ…」
「よ、弟よ」
「あだっ!?」
淡々と声をかけられた後、思いっきり背中を叩かれる。
何をしたから、こうされているのかは嫌でも分かる。
「…心配したとおりにならないでよ」
「ごめん」
「まあ、今回は泣き叫ばなかったらしいじゃない。それだけは、よかったわ」
「…そうだね」
あれが表に出始めた頃の僕は、泣き叫んでいたらしい。
僕自身は錯乱状態に入った後の事をほとんど覚えていない。
だから誰かの語りをそのまま信じることになる。
まあ、相手がそれを見ていた姉さんや、被害者の一人である陸が言うのだ。間違いはないだろう。
けれど、今回は少し違う。
うっすらとだが、覚えていた。
遠野さんの手首を強く握っていたことも。
それを止めようと、森園君が僕の肩を必死に叩いていたことも。
…今回は、覚えている。
「どうしたの?」
「いや、いつもは覚えていないことも、今回は覚えていたから…どうしてかな、と」
「あんたの理性が耐えたんじゃない?」
「そうだと、いいけれど」
「そうに決まっているから、少しずつ前に進めているって事で喜びなさいよ」
そう言われたって、素直に喜んでいいものなのだろうか…。
でも、そうだな。
覚えていないことを、覚えていられるようになった。
きっとそれは、大きな進歩であることには間違いがないはずだ。
「てか、姉さんはいつから僕の背後に?」
「最初から。あんたの荷物を取りに行ったら、新菜ちゃんが荷物持って保健室に行って…そこから出るタイミングを失って、なんだかんだで様子を伺って」
「今に至ると」
「そういうこと」
姉さんは淡々と事実だけ告げるが、僕は冷静に考える。
最初から。その意味を…。
「…最初から、ずっと?」
「ええ」
「…遠野さんと、帰っていたときも」
「いたわよ」
「…」
「…なによ」
「姉さんさ、プライバシーって知ってる?」
「そういうのは姉に苦労をかけない生き方ができるようになってから言いなさいよ」
「あだっ…」
この姉、気づかれないことをいいことに最初から最後まで僕と遠野さんの会話に聞き耳を立てていたらしい。
飄々としているが、口元は思いっきりにやついている。
この何となくむかつく顔に腹が立つが、今回は何も抗議をしないでおこう…。
「仲良さそうだったわね〜。お姉ちゃん嬉し〜」
「なんで嬉しいんだ…」
「そりゃあ、あれが原因で陸以外の友達を作ろうとしなかったあんたが、女の子の友達ができたってだけでもびっくりなのに、陸以上に仲いいなんて思わないでしょ〜」
「そんなわけないって」
「将来友達なくすのも遠くなさそうだったわよ〜」
「…は?」
「え、何キレてんの。ストレートに言われたいのかこの野郎」
「何が言いたいんだよ」
姉さんはおもちゃを見つけた子供の様に、にんまりと笑う。
勿論その顔は、子供の様に純粋な代物ではない。
「彼女、出来たら私だけでいいから教えなさいよ〜」
「なっ!?遠野さんはそういう…」
「へぇ、真っ先に新菜ちゃんの名前が出てくるんだ〜」
「ぐぬぬぬぬっ!」
いや、本当に。
遠野さんはいい人だと思う。僕には勿体ないぐらい、優しい友達だと思う。
しっかりした人で、自分の意志がはっきりとしていて…憧れさえ抱く女の子。
僕は別に、そういう目で…彼女を見ているわけでは。
…見ているわけでは、ないと、言いたいのだが。
「そういうのじゃ…」
「…なにその反応。成海?」
「い、いや。何でもない」
どうも、頭が上手く回らない。
最近、特に多い。
遠野さんの前では、特に。
はしゃぐ姿を見て、君の方が可愛いだなんて変な事を口走りそうになったりするし。
彼女から料理を教えて欲しいと願われたら、考え無しに快諾してしまう。
変な行動ばかりしている。本当に…。
「…無自覚か。まあいい。気づくのも時間の問題だろうし」
「姉さん?」
「ま、とにかくだけどさ。プライバシー云々っていうけど、最低限は守ってやっているじゃない。私、あんたの部屋に入ったことないでしょ」
「確かに…」
我が家の掃除機がけ当番も、僕が中学生になったタイミングで、姉さんは部屋に入らないと言ってくれている。
勿論、僕も姉さんの部屋と美海の部屋へ事情がある時以外、立ち入ってはいない。
僕らは年頃の姉弟なのだ。
プライバシーは、きちんと互いに遵守しなければならない。
「でも最近はそれ…辞めようと思っているのよね」
「…どうして、でしょうか」
「私が当番関係無しに自室の掃除をする羽目になっているのが気に食わないって言うのもあるけど、あんた達、掃除で互いの部屋に出入りするタイミングで「あれ」のやりとりしてるでしょ」
「…何の話でしょうか」
「あら、言われたいの?今回の巻頭特集って新菜ちゃん似の茶髪ロングの女の子だったわねぇ。名前、なんだったかしら〜」
「やめてください御姉様。僕だって年頃なんです。これ以上は、これ以上はぁ…!」
「…え、マジで新菜ちゃん似なの?」
姉さんが呆気にとられ、口元に手を当てたまま動かなくなる。
僕も釣られて、口を開いたままとなってしまうが…。
時間が経てば、自分の中で理解を得る。
嫌でも気づいてしまう。
一瞬で頭の上まで熱が昇る。
「カマかけたな!?」
「そりゃそうでしょ。あんたの部屋に入らないから、あんたとお父さんがやりとりしてる本の内容なんて知るわけないじゃない。今度は何?芸術品の雑誌?それともレースの素材雑誌?あんたが読む本変だから、想像もつかないのよ」
「…ごもっともで」
「お姉ちゃん、あんたが年頃なのわかってるから…そういうのを持っていても、起こらないから。隠していたのを見つけても」
「うるさいな。余計なお世話だよ」
「は?お前そういう本は全部真ん中の畳の下に隠しているだろ。知ってんだぞ。ん?」
「なぜ知っている!?」
「お姉様を舐めないことね」
「うぐっ…」
「後さ」
「なんだよ…」
「———調子のんな。以上」
「なぁ…」
姉さんの罠に引っかかり、一人で自爆。
何たる恥か。せめて家の中で爆発させたかった。
楽しげな姉さんと、頭を痛めた僕。
いつもなら軽い足取りの帰り道。
けれど今日は、鉛の様に重かった。




