27:硝子細工の硝子職人
話を聞き終えた後、各々解散する中…私は一人、理由をつけて別行動。
教室に誰もいなくなってから、楠原君の荷物を持って…保健室に向かった。
起きていなければ、まだ彼はそこにいるはずだ。
「楠原君、いるかな?」
声をかけながら、保健室に立ち入る。
夕日に透けるカーテン越しに、人影が見えた。
窓際のベッドに、いるらしい。
「…楠原君」
「あ…」
「具合はどう?」
「へい、き…だと思う」
「そっか。安心したよ」
できるだけ普段通りに声をかける。
けれど彼の顔には影が差す。
わかっている。こうなることぐらい。
気まずさを表情に浮かべ、目を何度か逸らそうとするが…ある場所へ視線を向けて、小さく息を吐く。
「…遠野、さんは」
「なあに?」
「手首は、平気?」
「平気だよ。あのね、楠原君。こういうのもなんだけど、私の腕の心配なんかしなくても」
「…心配だよ。結構、強く握っていたし…折れてたら、とか」
「人の手首はそう簡単に折れないよ〜。それに、私の事、硝子細工か何かだと思ってる?そこまで脆くないよ…?」
「ごめん…」
「気にしないで。私を見るまで、ずっと不安だった?」
楠原君は無言で頷く。
薄墨色の髪から覗く、透明なビー玉の様に透ける水色の瞳。
揺れるそれは潤んでおり、触れてしまえば零れてしまうだろう。
けれど私は…彼に触れることを、辞められない。
「触る?」
「…へ?」
「そこまで不安なら、触って確かめた方が…安心できるんじゃないかな」
ゆっくりと手を差し出し、掴まれていた手に自分の手首を乗せる。
楠原君は驚いていたまま、動かない。
逆に器用な真似をしてきて、笑ってしまいそうになる。
もう一押し、必要らしい。
「安心して。どこも、壊れていないから」
「…でも、流石に」
「触れて、確かめて?」
これ以上は逃げられないと悟った楠原君は、改めて私の手首をじっと見つめ…ゆっくりと、持ち上げる。
恭しく持ち上げられた手首に、彼は指先を這わす。
繊細な細工が施された、硝子に触れるように。優しく、ゆっくりと。
大事なものに、触れるように。
「…くすぐっひゃい」
「あ、ごめん…つい」
「「つい」でそんな触り方しないよ、もう…」
「…おかしい?」
「ちょっと。作品。いつもこんな触り方してるの?」
「…普通に、だけど?」
「今の触り方、すっごくくすぐったかった。変わった触り方だね」
「…ごめん」
「作品に触れるときもしないなら、なんでこの触り方にしたの?」
「…母さんが」
「お母さん?」
「母さんも硝子細工の職人で…大事な作品を見せてくれる時、いつもこうしていたんだ。指先だけで触れる変わった触り方だったから、どうしてその触れ方なのか聞いたことがあるんだ」
「なんて、答えたの?」
「大事なものに触れる時の、触れ方。それでも変わっている。母さん以外に誰かしているところを見たこともない。けれど、真似をしたいと思ったんだ」
「…どうしてか、聞いていい?」
「その影を追うことが、繋がりを断たない方法だったから」
「もしかしなくても、料理も?」
「うん。陸から、話は聞いた?」
「ある程度のことは」
「それなら…そうだよ。憔悴していた僕に、父さんが勧めてくれた。何か、集中できることがあれば、忘れられることも多いだろうからって。硝子細工をやるのも、その一環」
「…夢中になれることができて、楠原君は救われた?」
「少なくとも、毎日泣く生活からは救われたよ」
「…そっか」
楠原君の両手が、手首からそっと離される。
話はこれで、おしまいと言わんばかりに…。
「…楠原君?」
「大丈夫。慣れているから」
芯は通っているけれど、声はやっぱり震えている。
無理をして、笑みを浮かべ…残酷な事ばかり告げていく。
「こうなった後は、いつもこうだから…もう、無理しなくていいから」
「無理なんてしてないよ。友達を辞めるつもりもない」
「…でも、迷惑を」
「迷惑なんてかけてなんぼだと私は思うな。事実私だってかけてるし!」
「…それでも」
「あーもっ!」
楠原君の両頬に手を添えて、無理矢理私をその目に映させる。
「でもでもだってじゃないんだよ!私は無理をしていない!迷惑はお互い様!友達は辞めない!わかったか!」
「…遠野さん」
「確かにびっくりしたよ。どういう経緯でそうなったかも教えられたよ」
「…うん」
「大変なものを抱えていることを知った。それだけで、関わることを辞めるほど、私達は弱くないよ」
鷹峰君と私は勿論、若葉も美咲も、森園君も向き合うことを決めている。
この先の道のりは簡単なものじゃないことは分かっている。
人の心を支えるなんて、言葉にするのは簡単だけど、行動に移すのは大変だと思う。
けれど、そうしたいと思える人が、目の前にいる。
少なくとも私は、目の前にいる彼に…出来ることをしたい。
「ねえ、楠原君」
「なあに?」
「今まで、体育と家庭科には参加してなかったって聞いたよ」
「そう、だね」
「…楠原君は、どうして調理実習に参加したの?」
「それは…」
「話して欲しい。私はもう、全部知ってるよ」
安心させるように声をかける。
夕日が影を払うように、室内を照らす。
窓を通り吹き渡る風は、淀んでいた空気を晴らすように、初夏の風を運ぶ。
「…高校に入って、中学時代から変化が色々出てきたんだ」
「うん」
「友達も出来た。けれど、また「これ」で失うと思うと…今回は諦めきれなくて」
「うん?」
「直したいと思って、挑戦して…このザマで」
「…楠原君は、もうあんな風になりたくないんだね」
「そう、何だと思う。今までの自分から変わりたい。その気持ちは確かだと思うんだ」
「その気持ちは尊重されるべきだよ。私は、協力するよ」
「でも…遠野さんに迷惑を」
「そこはお互い様。今まで一人で頑張ってきたんだよね。今度からはちゃんと協力させてよ。一緒に前へ進めるよう、私も出来ることを、するからさ」
「…遠野さんは」
楠原君の目から、透明が流れる。
夕日に照らされたそれは、硝子細工のように美しかった。
それを掬う為、指先を目元に這わせる。
「大丈夫。もう一人で頑張らなくていいよ。無理だってしなくていい」
「…」
「ちゃんと、頼ってね。私に出来ることがあれば、何だって協力させてね。絶対だよ」
「…凄いね、遠野さん。普通はそんなこと言えないよ」
「先にこれを言ったのは、楠原君だよ」
「…へ?」
沈黙が室内に流れる。
揺れるカーテンの影に隠れつつ、スマホにつけたストラップを彼に見せた。
放課後に遊びに出かけた日。貴方が言ってくれたことを、私はそのまま返しただけ。
「あの言葉、凄く嬉しかったんだよ」
「…?」
最も、言った本人は忘れているみたい。
あれも無自覚に言ったのだろう。
けれど、それでいい。
それが無自覚に出来る人であるから。
何かあったら、力になると言ってくれた人だから。
私も力になりたいなって、思えたのだ。




