25:眠る君が起きるまでに
家庭科の調理実習が終わって、放課後に。
先生に許可を貰って、使い捨ての容器に今日作ったものをつめて解散した私と若葉、美咲。
そして森園君と鷹峰君で集まって、誰もいなくなった教室に集まっていた。
「ごめんね、皆。俺が先に話していれば、驚かせることもなかっただろうし、対策だって」
「気にしなくていいと言ったよ、陸氏。成海氏のプライバシーもあるし、できるだけ黙っていたかったんでしょ?」
「ま、そういう認識があるならあえて黙っている気持ちも分かるからさ…。てか、私も疑問に思っていたんだよ」
「何を?」
「…楠原、中学時代も家庭科と体育、教室で別の先生と実習だったじゃん。今も体育見学って聞いたのに、家庭科はいいんだ〜って思ってたんだけど」
「…発作が出やすい授業は避けていたんだ。体育は今も危ないからってことで、事情を一海ちゃんとお父さんから説明されていると思うよ」
「その発作って言うのが、さっきの?」
「そうなる」
「…どうして、ああなっちゃうの?」
「…元を辿れば、成海のお母さんが原因なんだよ」
鷹峰君はゆっくり語り出す。
人との関わりを避けていた青年が、少年だった頃。
七歳だった時の話を。
◇◇
小学生の頃の成海は、一海さんとそっくりで明朗な子供だった。
今と同じように穏やかで、それでいて積極性があって。
今では想像できないだろうけど、最初に俺へ声をかけたのだって、成海の方だったんだ。
小さい頃は俺もよく硝子工房に遊びに行っていてね。あの人にもよく会っていたよ。
「ただいま、お母さん」
「おかえり、成海。陸君。もう学校終わったの?」
楠原透…成海の、お母さん。
成海が八歳の時に、病気で亡くなっている。
彼女は痛覚とか自分の体調不良にとても鈍い人だった。
そんな彼女の体調不良に、唯一反応したのが成海だった。
「お母さん、具合今日も悪いの?」
「大丈夫。お母さん、いつも通り元気だよ」
「でも、また胸抑えて…」
「成海がお家にお友達を連れてきたことにじーんとしたらだめ〜?」
「それなら、いいけど…無理はしないでね。辛かったら、病院に行ってね」
「大丈夫だって〜」
口癖のように大丈夫だって言い続けていた。
たまにふらっとしても、眠いだけ〜とか適当に言い訳して、成海を安心させて。
けれど、そんな間にも病気は進行していて…痛みが表面化して、お医者さんに見て貰った頃には…もう手遅れだった。
そこからはあっという間。
入院してから、半年も経たず…成海のお母さんは亡くなった。
8月5日。その日は成海の、八歳の誕生日だった。
◇◇
「…大丈夫を、拒絶し続けていたのは」
「大丈夫が、大丈夫じゃないと考えているんだ。普通の時ならちゃんと大丈夫を認識してくれるけれど、ああなったら、大丈夫は通用しない」
「…そっか。ねえ、鷹峰君。楠原君は、錯乱していた時…なんて言っていたの?」
「「早く病院に行って」…だよ。成海のお母さん、早めに病院に行っていれば、薬と手術で完治できた可能性が高かったらしいから…」
怪我をしたり、体調不良者を見かけたら…すぐにああなってしまうのだろう。
けれど、それだけじゃない気がするのはどうしてだろうか。
ただ、お母さんが亡くなった。早く病院に行けば治った。
それだけで、あそこまで取り乱すだろうか。
…なんだか、嫌な予感がする。
「…正直思うけど、母親が亡くなった事は流石にって思うよ。けど、それにしては錯乱の仕方がおかしい」
「確かに、成海氏の言葉が引っかかった。お母さんの死が引っかかるなら、意識を失う前に言う言葉に違和感がある。「病院に行かなかったから、母さんは」ってなるなら、私も納得かも」
「けどあいつ「僕がちゃんと言わなかったから」って言っていた。なあ、鷹峰。まだ何かあるんじゃないか?」
「…葬儀の時、透さんのお兄さんから…成海は酷く責められたんだ。「どうしてもっと強く病院に行くように言わなかったんだ」「気づいておきながら、どうして」って、怒鳴られて…お前には見送る権利はないって言われて…」
明らかになった事実に、私達は絶句する。
鷹峰君は凄く言いにくそうに顔をしかめ、絞り出すように…トドメを告げる。
「成海は、お母さんの葬儀も、火葬も…納骨にも、立ち会わせて貰えなかった」
口の中が乾く。
そんなことがあってはいけない。あった事実を、受け入れてはいけない。
それでもその事実は確かに楠原君の身に起こり、過去の傷として残り続ける。
口を閉じることも、動かすことも出来ない私達。最初に声を出せたのは…若葉だった。
「…大人げなさすぎでしょ」
「八歳の…それに、お母さんを失ったばかりの子供相手に…こんなことって」
「成海のお父さんも一海ちゃんも必死におかしいことを訴えたけど、伯父さんは聞く耳を持たず…成海は墓参りも出禁らしい」
最期どころか、その後も会うことを禁じられた。
家に仏壇はあるけれど、楠原君はお母さんにずっと会いにいけていない。
今もなお告げられた言葉に縛られて…色々なことに制限が付き続けている。
「…楠原君が何をしたって言うんだろう」
「よくも悪くも「何もしていない」って事になるのかな。俺からしたら、異変に気づけていた分、誰よりもちゃんとしていると思うけどね」
「…ねえ、鷹峰君」
「何?」
「…楠原君自身は、これを治したいって思っているの?」
「…思っているよ。高校に入って、友達も出来て…今までとは違う生活を過ごしている。このまま、自分も変えたいって」
今まで避けていた家庭科に挑んだ理由。
そのきっかけは、友達にあるらしい。
私が、楠原君と友達になったことで、楠原君が変わりたいと願ったなら。
私は、その気持ちに応える為、立ち上がるべきだろう。
「なら、協力しないとだ」
「でも、遠野さん。それは…」
「難しい道のりかもしれないけれど、楠原君が変わりたいって思うなら…その気持ちを尊重する。付き合うよ。過去にも、今にも、絶対に」
「…ありがとう、遠野さん。足立さん、吹上さん、森園君。無理にこれからも付き合えとは言わない。距離を取っても…俺は勿論、成海は責めないよ。そうされる理由は、わかって」
「いや、楠原なにも悪くないじゃん。なんで距離とる必要あんの?」
「面倒そうだけど、面倒なのは成海氏の伯父だけ…成海氏にはご飯の恩義もある。ちゃんと帰すべきだと思わない?」
「それなら俺にも調理実習で作ったご飯頂戴。理由が必要なら、吹上と一緒のノリでご飯の恩義にするからさ」
「…三人とも、ありがとう」
「とりあえず、成海氏との話は明日にしよう」
「明日休みだったら、家押しかけようぜ」
「賛成」
私達の中で「明日、楠原君と会ったら」の計画が練られていく。
後に知るのだが…この五人だけで話していた時間。
———私達の教室前で、三年生の少女が蹲って泣いていたそうだ。




