23:簡単そうで難しい、お昼に作る朝ご飯
一海さんが楠原君と鷹峰君に何か声をかけている。
家庭科と体育は別授業。迷惑をかけ続けた。
一部しか聞き取ることはできないけれど、何か真剣な会話をしているように思える。
三人の会話はすぐに終わり、一海さんは自分の教室へ。
楠原君と鷹峰君はこちらへやってくる。
「あれ、遠野さん?」
「足立さんと吹上さんと一緒に先へ行っていたんじゃ…」
「あ、いや…ええっと、ね。一海さんの表情、いつもと違って暗かったし、何かあったかなって思って…心配で」
とっさの言い訳は通用するだろうか。
慌てて紡いだ言葉に対し、楠原君は目を細め…ふんわりと笑う。
———何かを、覆い隠すように。
「大丈夫だよ」
「そう?」
その顔は血色が悪くて、今にでも倒れてしまいそうなほどに白い。
けれど彼は大丈夫だと言いはる。
誰にも、心配させまいと振る舞い続ける。
どうするのが正解なのだろうか。具合が悪そうだから、保健室に行くべきだと促すべきなのだろうか。
それとも、こんな状態になっても何かをしようと授業へ向かう彼の何らかの意志を…尊重するべきなのだろうか。
私の気持ちは…できれば、尊重したい。
「わかった。でも、具合が悪くなったらすぐに言うんだよ」
「うん。ありがとう、遠野さん」
「いえいえ。ほら、もうすぐ授業始まるよ。家庭科室行こう。今日は何を作るんだろうねぇ」
「カップケーキとかがいいな…包丁使わないし…」
「でも、火加減が…」
「大丈夫。予熱と設定をちゃんとしておけば」
「予熱ってなあに?」
「……」
友達になってから、色々な楠原君の表情を見てきたなぁと思っていた。
長い付き合いをしていったら、将来的にこんな顔も見ることになる場合もあるんだろうなぁと思ったこともある。
「何を言っているんだ…?」と言わんばかりに絶句した楠原君の顔は、今後長い付き合いをするとしても、もう絶対に見たくはない。
こんな虚無感たっぷりの顔もできるんだね、楠原君…。
◇◇
家庭科室に到着し、割り振られた調理台へと向かう。
どうやら既に作る料理が決まっているらしい。
周囲の班を見る限り、反応は様々。
簡単。楽勝…と、ポジティブそうな言葉を述べる班。
どうやら三班は喜んでいるようだ。
なんでこんなカードが仕込まれているんだよと咽び泣く班。
こちらは二班。
もしかしたら、もしかしなくても…簡単な品目の班と、難しい品目の班で分かれてい
るのではないだろうか。
つまり、だ。
調理台の正面で項垂れている若葉と美咲を見る限り、うちの班は相当ハードルが高いのではないだろうか。
「…なーんで本当に朝ご飯混ざってんのさ」
「魚とか捌いたことないって…」
「そもそも味噌汁にご飯、焼き魚にひじきの盛り付けとか毎朝食べてるご家庭は死滅してると思うんだけど、美咲的にはどう思う…?」
「むしろ全ご家庭パンを食べていると思っている」
「流石にそれはねぇだろ…」
「ま、漬物は切るだけでいいからハードル低い。漬物しなくていいから」
「それさ、何年単位の調理実習になるんだよって話なんだけど…」
若葉と美咲の声は枯れきり、その表情は絶望に満ちていた。
美咲の手に握られたカードの中には品目が書かれている。
ご飯、味噌汁。ひじきの和え物。焼き魚。飲み物はお好みで。
…完全に「日本の朝ご飯(理想イメージ)」が、そこには書かれてあった。
こんな朝からがっつりしっかりした朝ご飯を用意しているご家庭って、もうないに等しいと思うよ…。
「あ、新菜…」
「ごめんよ、新菜。成海氏、陸氏…。私のくじ運が最低だったばっかりに…理想の朝ご飯になっちゃった…」
「まあまあ、なってしまったものは仕方ないよ。成海、どう?」
「今回はこれを作ればいいのか…。ん、大丈夫。凝った工程はないし、スムーズにやれるよ」
「流石俺の成海」
「僕はお前のじゃない」
「はいはい。てか、もう昼間なのに朝ご飯って…何なんだろうね、このチョイス…」
「確かに…。何か法則性とかあるのかな。若葉、美咲。他の難題班もこんな感じだったの?」
「「グラタンとカレーライスだったはず」」
「グラタンもカレーライスも比較的簡単じゃないか?ほら、スーパーとかで売ってあるあれを使えば…」
「確かに、グラタンの素とか、カレールーとかあるし、こっちよちハードルが」
「「…それを封印されてなければ、簡単だと私達も思ったさ」」
「「「…」」」
なんか思ったよりも面倒くさそうだぞ、この調理実習…。
他の班が咽び泣くのも納得だ。面倒の極みだと思った朝ご飯なんて、それらに比べたら超絶楽勝な部類に感じてしまう。
…まあ、この班が抱く最大の弱点は、楠原君以外まともに料理ができないって部分なんだろうけど。
「なんでこんなの引いたんだよ…」
「わかんないし、作った事ないんだけど…」
少なくとも彼がいてくれるおかげで、他の班みたいにギスギスせずに済んでいる。
「とりあえず、早速取りかかろうか…。少なめに作るとはいえ、食べる時間もいるだろうし…」
「く、楠原君…この場では料理できるの楠原君ぐらいだから…いっぱい頼らせて貰うね!私、できることは頑張るから!」
「指示お願い、成海氏」
「で、出来ることはやるから」
「もういっそのこと成海が全部やって?」
「陸」
「冗談だって。班員はこれだけいるんだし、とりあえず成海をメインに添えて、俺たちはサポートな体で行こう。三人もそれでいい?」
「「「もちろん!」」」
「と、言うわけで料理長。お願いします」
「…ん。じゃあとりあえず、吹上さん。ひじきを水に浸してくれる?水の量とかレシピに書かれてあると思うから」
「やった、簡単なのだ。任せな、成海氏。ひじき柔らかくしてやんよ」
「次は…ゴム手袋もあるし…遠野さん。野菜の水洗いを頼んでいい?」
「勿論!」
「陸、味噌汁の下準備。昆布から出汁を。火は絶対につけるな」
「確か、冷水で出汁を取るんだったよね。それぐらいなら俺にもできそ〜」
「足立さんは調味料を分量通りに分けてほしい」
「いいけど…これじゃあ、楠原の負担大きくない?」
「大丈夫。五人分も四人分も大して変わらないし…いつも通りにやれば、野菜を切るのも、魚を捌くのもあっという間だよ」
「へぇ…」
冷蔵庫から材料を回収、それぞれ手を洗ってから、作業を開始する。
私達はそれぞれ分量を分けたり、材料を鍋に入れたり…簡単なことをするだけかと思った。———この時までは、思っていたんだ。
手際よく野菜をカットして、それから魚を捌き始めようとし…。
「鱗までついているのか。面倒だな…」
ゆっくりと包丁をまな板に置き、何かを探しに先生へ声をかけに行く。
私達はこんもりと積み上がったカットされた野菜から、ゆっくりと鷹峰君へ視線を向けた。
「「「何これ。早すぎでは?」」」
「成海、片親だから。料理は九歳の頃からずっとやっているんだよ」
「お母さんの代わりに、なのかな…」
「それもあるだろうね」
鷹峰君は私の問いに対してたった一言だけ返し…それから黙りこくる。
これ以上は話さないと言うように、彼が沈黙を貫き始めた頃に、楠原君も戻ってくる。
「あった。鱗取り」
「楽しそうだね、楠原君」
「包丁でも出来るんだけど、これでやるのが楽しくてさ…」
心なしかはしゃいでいるような。
楽しげに鱗取りを動かし、下処理まで済ませていく。
その手つきはどこまでも軽く、そして素早く正確に。
こうして料理をする姿を端から見ていると、楠原君って料理が本当に得意で。
———本当に大好きなんだなと、心から感じた。




