Extra24:一歩後ろで、一歩先
見知ったリビングの真ん中で、見知らぬ存在が周囲を見渡す。
自分の家ではないここを、その小さな目でどう認識しているのかは分からない。
けれど、かなり戸惑っているところは…私にも見て取れた。
持参されていた布団の上に寝っ転がった彼女は、見知らぬ天井を眺めて戸惑いを浮かべる。
「…」
「何かした方がよかったりしますか?」
「そのままで大丈夫ですよ〜。後は落下しないように見ているぐらいで…」
鞄の中からノートパソコンを取りだし、マウス…ではなく、ポケットWi-Fiの電源を確認しだす。
パソコンがついたら、何かのソフトを立ち上げて…勢いよくキーボードを叩き終える。
「ふぅ…これでよし。ごめんなさい。急ぎで終わらせておきたいことがあって」
「いえ…早いですね、入力」
「そうですか?」
「ええ。もしかして、高校が商業…」
「普通の高校ですよ。土岐山高校」
「土岐山…すみません。まだこの辺りの土地に疎くって」
「朝陽ヶ丘は色々な町と繋がっていますもんね。ここから海辺を道なりに進んだ先の町になります。坂道とか多いんですけど、自然豊かで過ごしやすい町ですよ」
「へぇ…」
土岐山。名前は聞いたことがあるけれど、なんだかんだで行く機会が無いので行ったことがない。
「田舎町なので、よっぽどの用事がない限りは行く機会が無いと思います」
「そ、そうですか…」
「でも、とても過ごしやすい場所なんですよ」
「空気が美味しかったり…?」
「そんな感じです」
田舎町とは言いつつも、彼女はそんな環境に嫌な印象を抱いているわけではなさそうだった。
「今は神栄に居を構えているんですけど、将来的にはまた土岐山に戻ろうって話をしていて。悠真の実家が写真館を経営していて、それを継ぐ必要もあるからというのもあるんですけど…」
「神栄の方が便利、ですよね」
「そうですね。なんでもあります。買い物も選択肢が多くて、近くに色々あって。でも、そこに定住するかと問われたら、なんか違うなって」
「違う、というのは?」
「私も悠真も、生まれも育ちも土岐山だから。新しい土地はやっぱり違和感で。根を張るなら、土岐山がいいなって思うぐらい…あの場所が大好きなんです」
差し出された小さな手に、自分の指先を握らせる。
一つ年下の女の子なのに、その顔には私よりも大人びた表情を浮かべる。
一つ後ろだけど、一つ先に。そんな、不思議な印象だ。
「そしてこの子にも、私たちが育った土岐山で穏やかにのびのびと育ってほしいなって。今は仕事が忙しいのか、引っ越しとかそういうのも考えられないのですが…」
「世界中を飛び回って大変そうですもんね…。お子さんの相手とかは?」
「実はあまり。私が中心で。でも、休みの時はできる限りと…結構無茶をしている部分はありますね…」
「あぁ…」
私はこの夫婦とは初対面だ。
今までどうして来たかなんて全然知らない。
だけど、なんとなく上手くこなしていそうな二人でも、こうして無茶が生じている。
「凄いなぁ」
「そうですか?」
「ええ。でも、大変じゃないですか?子供中心の生活って」
「確かに色々と大変ですね。でも、思ったよりは悪くはないんですよ?昔みたいに二人きりじゃなくたって、眠りたいって思っている時に限って泣き声で起こされたり。振り回されてるな〜って思う時は少なからずありますし、静かにしてほしいと思う時もあります」
「…」
「消極的なことをいえば、どうして泣き止んでくれないのとか…ネガティブな感情をぶつけそうになる時も、少なからず」
「それでも、よかったと」
「はい。まあ、私がかつて心臓の病で死にかけていたというのもあるかもですけど…こうして生きて、子供の頃の約束と夢を叶えて、お母さんになれた」
求められる前に、ひょいっと悠羽ちゃんを抱き上げ、彼女は静かにあやす。
「そして、この子に会えた。それだけで十分かなぁって。思えちゃうんです」
「そうですか…」
「新菜さんは、どうですか?」
「私?」
「ええ。こういうのも失礼かなと思いますが…なにやら、迷われている気配だったので」
「迷い…」
その感情には、心当たりが少なからず存在する。
私の迷い。それはこんな感情のまま次に進んでいいのか。今は、それだけ。
その先にある結果の一つである悠羽ちゃんは、純真無垢な瞳をこちらに向けて、悩みも何もない笑みを私に向けてくる。
「…私は産まれた瞬間からほぼ毎日一緒の間柄。付き合い始める前は色々ありましたが、今では遠慮なしになんでも言い合える。悩みが出たら即相談。隠し事が互いにありましたから、それはもうないようにしようと言い合いました」
「だから、こうして上手く?」
「そんな感じです。だから、新菜さんも、言い難いことかもしれませんが…ちゃんと成海さんと悩みに対して相談をされるべきだと私は思います」
「…ちゃんと、話すところから」
「ええ。互いに悩むよりは、ちゃんと腹を割って話した方が…楽になれますよ」
羽依里さんは朗らかな笑みを浮かべたまま、欲しい言葉を全てくれた。
一つ年上の存在なのに、彼女は妹とか…後輩とか「下」に見ることはできなかった。
「なんだか、お母さんですね」
「お母さんです。あ、そうだ。せっかくのご縁ですし、連絡先を交換しませんか?」
「ぜひ」
「今抱えている悩みでも、なんでも話してください。解決策はどうかわかりませんが…話を聞くことは、できますから」
「優しいなぁ。ありがとう、羽依里さん」
「さん付けなんてよしてください、新菜さん」
「それはお互い様かも?」
「…ですね」
少しだけ、向くべき前がわかったかもしれない。
霧が全て晴れたわけではないけれど、それでもどこに行けばいいかはわかった気がする。
それから私たちは、互いの相方が仕事を終えるまでリビングで談笑を続けた。
年相応の女の子のように。
時折、泣きそうになる悠羽ちゃんの横で母親の顔になった彼女と共にお母さんをしながら…この先のことを内側で考えた。




