38:夢物語の語り部
卒業式を終え、三年生は最後のホームルームを過ごし終えた。
卒業おめでとう。今日だけで何回聞いたことやら。少し飽きてきたな。
クラスメイトが互いに今日を喜び合う中、冷めた空気で教室を出ようとしていた俺に声をかけてくれたのはいつもの彼女。
「浩樹」
「やあ、これから男子生徒の高校生活ラストを全力で踏みにじりにかかる一海ちゃん。あ、流石に現実理解して誰も近寄らないかな?」
「人を何だと思っているのよ…」
「昨日も凄かったじゃないか。玉砕行列。ああ、浜商に咲く高嶺の花は最後まで誰の手にも届かなかったね…」
「不本意よ…!」
「あれ、一海ちゃん。あれだけの男に言い寄られて、まさか「理想がいないの…」とか言っちゃうの?ヤバくない?」
「…少なくとも成海と美海と仲良くしてくれる人じゃないとヤダ」
「うわ条件厳し…」
ブラコンだけじゃなく、シスコンも立派にこじらせてくれていたらしい。
これが楠原一海。誰もが憧れ嫉妬した、才色兼備の少女の…非常に残念な姿である。
欠点らしい欠点は家族愛が重すぎるぐらい。まさか付き合う男にまで家族を大事にしてほしいなんて思うような人とは誰も思わない。
…一生独身だな。間違いない。
条件を満たせる男は一生現れない。俺の将来含む全財産を賭けてもいいね。
「で、あんたこれからどうすんの?」
「実家から大学に通うけど?」
「そうじゃなくて…いや、就職から大学進学にいつの間にか切り替えていたところにも衝撃だけど…家に帰るまでの話」
「ああ、校門前で母さんと待ち合わせをしているから、一緒に帰る予定」
「…お父さん、あんたのお母さん含めて家に送ってくれるって言ってるけど、どうする?」
一海ちゃんは、スマホのメッセージ画面を見せてくれる。
そこには確かに「お父さん」とのやりとりが表示されていた。
「…いいの?」
「うん。身体弱いんでしょう?ここまでどう来たかは知らないけれど、帰りも心配だって」
「それは嬉しいけど…迷惑じゃ」
「使えるものは使った方がいいわよ」
「じゃあ、お言葉に甘えるよ」
「わかった。連絡しとく」
ささっとスマホを操作し、海人さんに連絡を取ってくれる。
「…親子揃ってお人好し」
「何か文句でも?」
「ありませーん」
こういう性格なのが露呈した影響か、前みたいに気軽に絡む男子がいなくなったらしい。
本人的にも楽だし、女子から変に恨みを買うことはなくなったらしいけど…。
「やっぱ室橋なんか…」
「金で釣ったか…ゲスが」
「男の風上にもおけんな…」
「知名度だろうよ…クズが」
俺が何か白い目で見られるようになったんですけど。
どう責任取ってくださるんです、一海ちゃんや。
まあ、大学に進めば大半が無関係。
ここは商業高校。俺のクラスも大半が就職だ。
なんなら、進学を決めたのは俺と見涯さんぐらいだったはず。このクラスは特に就職ばかりだった。
見涯さんは後輩を含め色々な生徒に囲まれている。さすが生徒会長だ。
俺みたいなあぶれ者にもよくしてくれた。聖人とはああいう人の事を言うのかもしれない。
すれ違い様に、軽く手を振ってくれた。
一海ちゃんはこれからも彼女と付き合いがあるだろう。
けれど俺はないと思うのだが…さすが聖人。俺にも手を振ってくれる。
軽く手を振り替えして、そのまま廊下へ。
話すことは、昨日のうちに済ませている。
「そうそう。聞いてよ。成海卒業式にいなかったのよ?」
「…よくいないって分かったね。沢山人いたのに」
「在校生席は少なめだったもの。弟の顔ぐらい、すぐに分かるわよ。一緒だもの」
「左様で…」
でも、彼がいないというのは割と意外かもな。
話ぶりからしてくる約束はしていたみたいだし。
…何かあったのかな。
「あんたはどうなのよ」
「どうって?」
「お父さん、いたの?」
「…いるわけないでしょ。居所も何も伝えてないし」
「でも、壇上にいたとき凄くキョロキョロしてたわよ」
「母さんを探していただけ」
「そ」
「あんな虐待親父、死んでも会いたくないよ」
「そういう割には、今日は荷物が多いじゃない。鞄分厚いわよ。置き勉常習犯。昨日持って帰ったんじゃなかったの?」
「…これは」
「中身は既刊?それともこの前言っていた新刊?」
「…両方。サイン本」
「渡す気満々じゃない?」
「心底嫌いだよ!でも、まあ…なんだ。小説、書き始めたのはあの人の後押しがあったから。だから…」
もしもを想像しなかった訳ではない。
本当は、母さんはまだ時折父さんと連絡を取っていて…今日だけは、あの人が…父さんが来てくれるだなんて夢物語を描いた。
現実は勿論厳しかった。結果は肩へ重くのしかかる。
まあ、この方が良かったんだと思う。
きっと会っていたら「どの面下げて」とあの人相手に文句を言うのは目に見えていたし。
もう二度と、あの時のような親子には戻れない。
だけど、一瞬だけ…かつて過ぎ去った時を過ごしたい気持ちもある。
それに加え…あの時のことを、忘れられないのだ。
意識が遠のき、死の影がちらつくほどに強く首を絞めてもなお…あの人の顔に怒りは一切無かった。
不幸を顔に塗りたくった虚ろな表情の、答えを知って…判断をしたいのだ。
母さんは反対するだろうけど、俺はやっぱり…あの人が何を考えていたのか、あの人自身に何が起きていたのかを、知りたいんだ。
「…本当に、素直じゃないんだから」
「君にだけは言われたくないよ」
「は?」
靴箱から下足を取りだして、上履きをビニール袋の中に入れ込む。
こうして校舎を出るのも最後だ。
やっと終わった。高校生活、
振り返っても碌な思い出はないけれど…。
…楠原一海に会えたことだけは、感謝すべき事象かな。
母さんの都合を考慮して、融通が利くバイト先を探したいと相談したら…自分の家で雇ってくれると言ってくれたし。
それに高校生活だって、まともに過ごせたのは…彼女がいてこそなんだから。
感謝する以外、なかったりするんだよな。
「さ、浩樹。駐車場に向かうわよ」
「校門前で母さんと待ち合わせをしていると言ったろ。一度校門前に行くよ」
「あ、そうね。お父さんから連絡来てないし…合流しているわけないか。校門に行きましょうか」
校舎に背を向けて、校門前へ。
その後ろで、小さな男の子と一緒に歩く男性が横切った。
かつての面影を想起させる、見慣れた姿。
そんな気がしたが…もう後ろ姿しか見えやしない。
気のせいと思い、目を背けた。
———この十年後に真相を知って、ここでの俺が間違っていたことに気がついた。
あの日、あの男性の背を…父さんの背を追っていたら、少なくとも神楽坂孝浩という父親と向かい合うことは…出来ただろうから。
…父さんの訃報が届いたのは、卒業式の翌日だった。
何の感情も抱けなかった。
ただ一つ、理解できたことがあるとするならば…。
夢物語は、夢のままであること。
理想はいつだって、掴めない。




