35:契約更新
「…ここから先は、聞かせたい相手が二人いる。スピーカーにしても?」
『ええ、勿論です』
スマホの通話をスピーカーにして、机の上に置く。
新菜と陸は自分達も聞いて良いのか…そんな顔を浮かべていたが、僕はそれに対して無言で頷くのみ。
二人はそのまま、電話越しの声に耳を傾けた。
『…まさかその名前が飛び出してくるとは、思いませんでした。やはり運命と言わざるを得ませんね』
「隣に付き合っている彼女もいるんだ。あまり誤解をさせるような事は言わないでくれ」
『そうでしたか。では、お隣にいる方々にも自己紹介をさせていただきます。冬月彼方…冬月財閥の次期後継。そして、成海さんが作品作りを不足なく行う為の支援をさせていただくパトロンとなります。お隣にいる「もう一人」が足立さんであれば、お久しぶりになりますが…』
「…楠原新菜です」
「…鷹峰陸」
『「はじめまして」でいいようですね。詳しいことは置いておいて、本題に移りましょう』
電話越しから、チャイムの音が聞こえる。
念の為確認しておくが、うちの学校のチャイムではない。
彼女が通う小学校のチャイムだ。
「チャイムは平気なの?」
『サボりますからご安心を。こういうことはよくあるんです』
「ご両親は…?」
『二人ともデスクワークに向いている質ではないのです。代わりにこうして総帥代行をすることはしょっちゅうですから、お気になさらず』
「こ、こういったらなんだけど…自分の生活を削ってやるような事じゃ無いと思うよ?大の男を捕まえるだなんて…」
『そうですね。遠野さんが仰る通りです。しかし私もツケを支払わなければいけません。この事態を招いた原因として』
小学一年生の女の子が、授業をサボってでも確保しておきたい男。
そこまでするほどの、よっぽどの相手なのだろうか。
『貴方達が探している男に、息子の卒業式と在籍学校の情報をばらまいたのはうちの寺岡です』
「…じゃあ、叔父さんがここに来たのは」
『当家の誘導ですね。長年行方を眩ませていた男を、表舞台に出すための』
「神楽坂と相対する君が探していると言うことは、叔父さんがやらかした「仕事のミス」っていうのは…」
『冬月系列の会社から次世代通信デバイスの情報を奪い、神楽坂に渡そうとしていた。わかりやすくかつ、ざっくりと言えば、産業スパイです』
「スパッ…なんか急に現実味がなくなった」
『そうですか?こういうのは私にとって日常茶飯事です』
そういうのがわんさかいる環境なのだろう。
…彼女が生きている環境はどうなっているんだ。
『美味しいですね!美味しいですね!もっとマカロンくださいお兄さん!』
あの日の帰り道のような日々が特異。
普通に、お菓子を食べて喜ぶだけのような生活じゃないのが…心苦しい。
『神楽坂孝浩は唯一包囲網から抜け出した存在です。当家に見つかったことで神楽坂から離縁されましたし、ダミーなので盗まれてもよかったとは言え…情報を持って逃げた事象はひっくり返らない』
「…報復でも、する気なのか?」
『まさか。そんなことはしませんよ』
子供らしい声は、一瞬で深みを帯びる。
決して帯びてはいけない、呪詛と共に。
『ただ、当家を支える家族を…従業員に危機をもたらした存在。総帥代行としては行方不明にでもなっていただきたいところではあります』
「…」
『しかしここは成海さん達の手前、穏便に済ませる必要があるでしょう。私の管轄で確保させていただければ、彼の無事は保証します』
「貴方以外にも、孝浩さんを狙っている存在が?」
『神楽坂は当代になってから相当やらかしていますからね。産業スパイはうちだけではなく。巳芳や卯月、夜ノ森にも喧嘩を売っているようですし…おまけに身内同士の殺し合いも横行しているようです。なんだかんだで恨みを持つ存在は多いんです』
神楽坂家というのが、どういう存在なのかは僕たち一般人には分かりやしない。
けれど、関係者がいる。決して無縁ではない。
「…陸や室橋先輩は、大丈夫なのだろうか」
「そうだよ。離縁しているとはいえ、孝浩さんの息子だったり…その親戚だったりとか」
僕と新菜の声に、黙りこくっていた陸が反応をする。
今、ここで、そこを気にしなくていいのに。
そう言いたげだったけれど、僕らにとっては最重要事項なのだ。
今まで通りの日々が、過ごせるかという部分は…大事なのだ。
『そうですね。不安なお気持ちも理解できます。貴方がどうにかしたい気持ちも』
「…」
『しかし、物事には無償というものはない。冬月だって、敵対勢力の末端保護にかける程優しくはありません』
「…そうだね。わかっているよ」
「俺は別に大丈夫だから…」
『諦めがよろしいのはよくありませんよ、鷹峰さん』
「…俺!?」
『私は使えるものであればなんで使う主義であり、同時に手放したくないものは、雁字搦めにしてでも手放さないと決めています』
「それが、何に関係が?」
『貴方には利用できる者がいる。貴方自身は使いたくはないでしょうけど、彼はどうでしょうか』
「冬月さん。僕はなにをしたらいい?」
陸が抗議をする前に、会話に割り込む。
それを期待していた様に、彼女の声は弾んだ。
『契約を履行し続けることを要求します。貴方との契約に、貴方を含む周辺の保護を…貴方と私の契約が生き続ける限り、彼らの無事だけでなく、貴方の身の回りにいる方々は当家の全力を尽くし、守り抜きましょう』
「…頼むよ」
『勿論です』
電話越しに追加された契約条件。
それが最善だというのは、僕だけではなく陸も、無関係の新菜だって理解している。
だけど、二人ともその表情から複雑さを消さない。
『話はこれぐらいにしておきましょう。私も後で現地に合流しますので、それまでは冬夜と一緒に頑張ってください』
「…へ?」
『なんですかその声は!冬夜は頼りになるんですよ!おっちょこちょいで泣き虫ですけど!』
そう言って冬月さんは電話を切ってしまう。
とりあえず、冬夜君と合流して今後の話をする他ないが…。
「…その人、本当に頼りにしていいの?」
「泣き虫な大人…かな」
「六歳の男の子と何をしろって言うんだ…あ」
「……」
噂をしたらなんとやら。電話と同時に連絡を取っていたのだろう。
僕らの教室前の扉。
そこでひょこひょこ気まずそうに、冬夜君は顔を出していた。




