27:一番星を掴み取る為に
高陽奈港に到着したのは、夜九時近く。
まさかこんなに時間がかかるとは思わなかった。
ここから、朝陽ヶ丘まで帰らないと行けないんだよな…。
「二人は本当に大丈夫?お父さん…は伸びてるけど、冬月さんの方は」
「そろそろ迎えが来ると思います。そうだ、成海お兄さん達、送りますよ。お菓子のお礼です」
「いいの?ご迷惑じゃ」
「それぐらいお安い御用。そうよね、寺岡?」
「はい、お嬢様」
彼女の声に合わせるように、礼服を着た男性がすっと背後に現れる。
足音は一切聞こえなかった。いつの間にか背後に立たれていた。
しかし…礼服ではなく、燕尾服?
「私が世話になったの、お菓子もご馳走になったわ。そのお礼をしなければ…あ、晩御飯はまだね。道中どこかに寄って買えるようにして」
「かしこまりました」
「…え、ええっと、この人なに?」
「何って、寺岡よ?私の執事」
「ひつじ…?」
「執事。私、カテゴリー「お嬢様」だもの」
「カテゴリーっていうか、実際本物のお嬢様、だよね。冬月財閥って知ってる?お兄さん」
「あ、ああ…このスマホを作った会社の大元」
「そこの一人娘なんだ、彼方ちゃん」
「「…」」
さっきまでマカロンをバクバク頬張り、なくなれば「もうないの〜!」と駄々をこねていた女の子が、ガチガチのお嬢様。
僕と若葉さんは何を言うこともなく、ただただ唖然とすることしかできなかった。
「…成海」
「なんだ」
「お嬢様の舌を唸らせるとか凄いじゃん。将来パティシエでも食べていけるよ」
「そうだな…」
なんか今、それが一番に出てくるのが正常なのか、異常なのかはわからない。
ただ、自信だけはついた。趣味に関することだけど。
「お二人とも、住所を教えていただければ自宅前まで送ります。最寄りの店で食事も購入しましょう」
「「あ、ありがとうございます…」」
寺岡と呼ばれた執事さんに住所を教え、そのまま車の中に案内される。
「あ、あの神父さんは」
「…後で奴専用の迎えが派遣されますので」
「迎え…?」
「まあ、体の良い説教担当です。また冬夜に迷惑をかけて…本当に頭が痛い」
「「さ、左様で…」」
こういうのは日常茶飯事なのだろう。二人の子供は車の中に用意されていたご飯を手に取り、既に頬張り始めていた。
僕と若葉さんは別世界に居心地の悪さを感じつつ、自宅前への到着を待った。
◇◇
それから近所で食事を買わせて貰った後、若葉さんを自宅前に送り届け、少し離れた先の僕の自宅まで送って貰う。
若葉さんが降りたタイミングで、食事を終えた二人は僕の家まで到着する間、構って欲しいと言わんばかりに話かけてくる。
「気になっていたのだけど、先程の方は思い人?」
「三角?」
「いや、普通に友達。僕は別に彼女がいる」
「まあ。どんな方?」
「写真だけだけど」
随分前に撮った写真を二人に見せる。
もう少し近い距離で撮りたいという新菜の要望に応えて、今近づける限界の距離まで近づいた結果の写真。
「まあ、初々しい」
「七歳の君に初々しいと言われても…」
「まあ、年齢で判断するものではありませんよ」
「判断材料が年齢しかないからな…」
「身体年齢だけではなく、精神年齢も考慮してくださいな」
「はいはい…」
「成海お兄さんは、私達の事を知っても反応が変わりませんね」
「変える必要はあるかもしれないけれど、君達は望んでいなさそうだし」
「…ええ。その通り。私は財閥令嬢ではありますが、同時に一人の人間ですから。特別扱いをされるのは、苦手なのです」
けれど、と彼女は期待に満ちた目で、語りを続ける。
「けれど、いつかは…誰かだけに特別扱いをされたい夢がある。一種の憧れかもしれませんが」
「…」
「財閥令嬢としてではなく、一人の人間として、女として…今、お兄さんが写真の女性に向けている感情を、自分にとって特別な誰かに向けられたい。そんな夢の話。だから興味を持って、質問攻めにしていたりします」
「なるほどねぇ…」
冬月さんの隣で全然意味が分からないと言いたげに呆けた顔を浮かべ、頭に疑問視を浮かばせる冬夜君。
彼女の小さな思い人には、まだまだこの話は早かったみたいだ。
「でも同時に、貴方という人間に興味があったりもするんですよ、楠原成海さん」
「僕に?」
「ええ。まさか、こんなところで朝陽ヶ丘の硝子工房の息子さんとお会いできるとは思っていなかったので。世間は狭いですね」
「僕って、君みたいなお嬢様にも知られているの?」
「正確には、貴方のお母様ですね。それに付随する形で、貴方と御父上の名前が少々といった比率です」
「…」
まだまだ、僕の存在は母の威光にかき消されている。
彼女が僕の事を認知していたのも、母さんがきっかけなのだろう。
どうせなら…。
「これも何かのご縁…私自身が貴方の作品を喧伝しようと思っていたのですが、控えた方が良さそうですね。貴方は実力でお母様を超えたがっている。そう見えます」
「…その通りだよ」
有名人である彼女の名を借りることが出来れば、今まで以上に名が売れるだろう。
母さんを超えるのも容易だ。なんせ「冬月のお墨付き」なんて肩書きを得られるのだから。
だけど、それがいいとは思えない。
「楠原透は自分の作品だけで周囲を黙らせた」
「…」
「僕は自分の作品を認めてくれた人のおかげで、今がある。自分の作品だけの力で母さんを超えなければ、意味は無い」
「なるほど。写真の君は貴方を職人として開花させた方なのですね」
「そんなところ」
「では、私は内密の支援程度に留めておきましょう」
「支援だなんて…」
「別に無条件でお金を出すとは言っていません。私の裁量で継続的な仕事を楠原硝子工房へ…貴方へ斡旋します」
「…仕事」
「ええ。貴方がいくらお母様を超えたいと願っても、工房が存続しなければ夢は潰える」
「…」
「貴方の生活を保障するようなものだと考えてください。試作品もタダではありません。金の心配をせずとも、作品作りを行う環境から作っていきましょう」
「…出会ったばかりの人間に、そこまでしようだなんて」
「そう思うのならば、断ればいいのです。だけど、今後貴方の作品作りにはお金という問題がつきまとう。それを解消する手段は、有効的に使うべきでは?」
「…そうだね。そこは、父さんと姉さんと相談をさせて欲しい」
「ええ。ご家族とご相談して決めるのは重要なことです。貴方自身が表に出てくる立場ではないのなら、代わりに表に立ち、交渉をする人間に判断を煽る。そういうやりとりが円滑に行える環境は素晴らしいものですよ」
「ありがとう」
「こちらが用意する仕事も、ちゃんと貴方の力になるものを斡旋します」
「僕の為になるって判断できるの?」
「各々の力量を見定め、仕事を割り振るのも次期総帥に求められる力ですから。それぐらい容易ですよ」
話が一段落したタイミングで、車は楠原硝子工房の前に到着する。
その前に、冬月さんは自分の連絡先と、寺岡さんの名刺を渡してくれた。
「話が纏まり次第、私に連絡をください。繋がらなければ、寺岡経由で」
「…わかった」
「もし、本件がなかったことになっても…今後とも、個人的に良き友人としてお付き合いをさせていただければと思います」
「うん。僕で良ければ」
「貴方が良いんですよ。お菓子、美味しかったです。またいただければ」
「いつか遊びに行くよ。その時はお菓子を持参するからさ」
「楽しみにしています」
「またね、お兄さん」
「またね、冬夜君。寺岡さんも、ここまでありがとうございました」
「いえいえ。それでは、おやすみなさい、楠原さん」
車から降りて、軽く挨拶を交わした後…車は永海方面の道に入っていく。
夜は更ける。
色濃く染まる星空を見上げ、家への道を歩いて行く。
その中で、ひときわ輝く星を見つけた気がした。
僕の中では既に彼女との話に対する答えは決まっている。
後は姉さん達に相談しよう。
この夢のような現実の、偶然起きた話を———受け入れて貰うために。




