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Praesens9: 二人の夢と、二人の約束

全てはここから始まって、約八年。

就職を果たした姉さんは、父さんの後について工房経営を担う一方で、モデルの仕事は増やすわ、通信制の大学は通い始めるわで正直滅茶苦茶。

僕も美海もよく分からない中、とりあえず「姉さんがやりたいこと」に集中できるよう、家事の負担だけは与えないように、姉さんの代わりに二人で家事を切り盛りしたのが懐かしい。


「…振り返ると、ほんとよく今に収まってるなって思う」

「私もそう思うわ。二足の草鞋でも大概なのに、三足の草鞋生活を送っていたもの。こうしてお父さんに工房の実権を託され、あんたと二人三脚でやっていけるようになった」

「思えば長かったな…」

「本当よ。それでいて、私一人の力じゃ、あんたをここまで押し出すことは出来なかった」

「そこは運要素もあったんだよ」

「そんな博打要素、あったらいけないのよ。…確実なものには、出来なかったわ」


SNSでバズるとか、著名人に買って貰うなんて完全に運だ。

埋もれてしまわず、引き上げられたのは…それに至る課程を支えてくれた人の功績だ。


「姉さんは下地を十分作ってくれた。だからこそ、ここまでこられたんだ」

「そう…」

「さて、コンセプトをいくつか…」


出していこう。そう提案すると同時に、姉さんのスマホが震え出す。

しかし、姉さんはスマホを取る気配がない。


「…スマホ、滅茶苦茶鳴ってるぞ」

「放置でいいわ」

「仕事の、電話かも…」

「着信音、浩樹だけ別にしたもの。だから鳴るだけで分かるわ」


…特別仕様なのか。まあ、厄介を避けるとなるとこれぐらいはしないとだよな。

…しかし姉さんと室橋さん。高校三年生の時からずっと今の間柄だが…なんで続いているんだ?


「…鳴り止む気配すらないぞ」

「今日、なんかの発表日だって言っていたのよ。それを見たかどうかの催促よ…」


そんなことの為に電話してくるのか…暇なのか?暇なのかあの専業作家は…。

時たま暇すぎでうちにバイトしてくるだけあるな…。姉さんにここまで迷惑をかけていたとは…。

うちの姉さんは忙しい。こんなのも相手していたとは…。


「相変わらずうるさいけど…そこも、悪くはないのよ?」

「なんだこの空気」

「…普通よ普通」

「にやける空気は普通とは言わない」


鳴り止まないスマホを嬉しそうに眺める姉さんに、かつての僕を見た気がした。

もっとも、僕の場合は鳴った瞬間にスマホへ飛びついていたが…。


「そういえば、姉さん…」

「何かしら。あ、もういいコンセプト案が…」

「あいつととんでもない約束をしたと聞いたのだが…。三十過ぎたらうんたらかんたら…」

「私情にかまけず仕事しなさいよ、馬鹿弟」

「っ…重要な事だぞこれはっ!」


「あんた今どういう身分かわかる?新婚よ?姉の心配する前に自分の伴侶の心配しなさいよ」

「新菜なら許してくれる!」

「これ以上やるってなら、新菜ちゃんに密告するわよ」

「上等だ…で、そのとんでもない約束の詳細をきちんと教えて貰えるか!?」

「お互い独り身だと周囲が心配するから、身を固めておこうって話よ…」


「そんな重要なことを、そんな雑に…!」

「“妥協”よ。ここから先、そういう相手も見つからないだろうから」

「…室橋さんは?」

「病気がちで入院しているお母さんを安心させたいんだと。あの人、片親な上、色々あったから…お母さん、凄く心配しているみたいで。早く落ち着いて欲しいみたいなのよ」


「…それでも、妥協で結婚は決めていいものじゃないぞ」

「理想を貫き通したあんた達からしたら、異常に思えるかもだけど…これしかできないのよ、私は」

「…」

「…あんたと新菜ちゃんみたいに行動に移せたらこんな事にはならないわよ」

「そうか」


電話は鳴り止まない。

姉さんも、電話に出る気配はない。

しばらくすると、一度だけプツッと着信音が途切れた。

不在着信の通知が入ったと同時に、再び電話が鳴り出す。

…電話、鳴り止まないな…この男、暇すぎないか?


「本当に姉さんを預けていいんだろうな…この元ストーカーもどきに…」

「…シスコン」

「自己紹介か?鏡を持って来てやろうか」

「結構よ。弟妹相手に重い感情を持っていることぐらいは自分も理解しているわ」

「左様で」

「それよりも、コンセプトは?」

「何も考えてない」

「…一週間、時間取るから考えておきなさい」

「へーい」


どうしたものかと悩む気持ちを隠しつつ、適当な返事をしておく。

そんな僕を姉さんは心配そうに見つつ、部屋を出て行こうとする。

その際、何かを思い出したらしく、こちらへ振り返った。


「あ、それから…この前、森田さんって子から電話入ってたわよ」

「マジで!?」

「なによ…前のめりになって。今回の案件よりやる気が見えるわよ…」


「それで、森田君はなんて?」

「六月の中旬…試験休みの日かしらね。平日に工房見学をしたいって」

「そっかそっかそっかぁ〜」

「な、なによその気持ち悪い動きは…」

「ううん。来てくれるんだなぁって思って。ふふふふふふふふふ」

「…森田さんって何者よ。電話からして男の子だってことは分かるけど」


森田君、名刺を渡して数日だというのにもう連絡してきてくれたのかぁ〜。僕の携帯に直接電話してくれても良かったんだけどなぁ〜。

とにかく、もう一度会えるらしい。

少しでも、彼の作品の糧になってくれたら良いんだが…。


「あ、それから…そろそろ休み前に完成させていた作品を売り出そうと思うから、今度、悠真君に来て貰うよう話をつけておいたから」

「そっか。久々だな」

「最近は海外とか行っているみたいだから予定掴めなかったのよ。やっと捕獲できたわ」

「一年前だもんな」

「そうそう。さて、そうこうしているうちにも予定はまだまだ詰まっているわよ。今が踏ん張り時なんだから、あんたはプライベートを気にしつつ、沢山働きなさい!」

「そっちこそ。無理しない程度に」

「ええ」

「でも、弟としては、室橋さんはちょっと不満。素直に感情を伝えられない甲斐性無しにうちの姉さんを預けるのは不安だ」

「…素直じゃないのは、お互い様よ」

「そっか。お似合いか」

「…もう」


皮肉で言ったつもりの言葉でも、姉さん的には褒め言葉だったらしい。

嬉しそうに微笑んで、部屋を出て行く。

奴の言葉が頭の中で反響する。


『成海く〜ん!君の未来の義兄だよ〜!』


…あれ、実現してしまうのだろうか。

姉さんが自分自身で選んだのなら喜びたいが…なんか嫌だな。

遠くない不吉な未来に寒気を覚えつつ、僕も資料を片手に工房へ戻る。


やるべき事はまだまだ山積みだ。

その前に、新菜へ報告を入れておこう。

姉さんからの密告が、彼女の目に入る前に。

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