3:室橋浩樹は探りたい
面倒な受験をクリアし、大学も無事に決まった。
後は気長に卒業を待つのみ。そう思っていた僕の部屋に、何故か一海ちゃんが居座っていた。
話を聞くと、どうやら弟と進路の件で揉めて、現在進行形で冷戦状態らしい。
全く。成海君が硝子細工を本格的にやり始めた今を踏まえ、彼の作品を多くの人の目に届かせ、彼を硝子職人として大成させることが自分の夢となったと素直に言えばいいのに。
このブラコンは、素直に言えないからこうして曲解することを理解すべきだ。
まあ、成海君も成海君なところもあるかな。
姉自身が選択した事実を無視して「貴方の答えはこうでしょう?」と言わんばかりに自分が抱く答えを、姉の答えにしているところとか。
本心を隠す為に相手を遠ざける姉。
姉を理想で覆い隠す弟。
互いに歩み寄ることを知らず、遠ざけ、押しつけることしかしていない。
長年側にいた分、距離感がバグっているのかな。
それとも姉弟喧嘩ってこんなものなの?俺は一人っ子だから分からないな。
まあ、楠原姉弟が特殊なような気がするけどね。
「んー…疲れたわ。浩樹。別のゲームしましょう」
「はいはい」
で、話を戻すと…弟と喧嘩した彼女は家にいるのが嫌らしく、俺の家までプチ家出を敢行している。
母さんは「あら〜。あらあらあら〜」なんて語彙力を喪失させ、一海ちゃんを部屋に案内し、一海ちゃんは一海ちゃんでずっとテレビゲームをしている。
…てか、成海君は今学校だよね。
なんで家いたくないんだろう…。本人いないのに…。
帰宅するであろう今の時間帯から家にいたくないって言うのならまだ分かるんだけど…。
それはそれでどうかと思うけどね。
「次、これしましょう。浦鉄」
「いいけど…百年コース初めて、終わるまで居座るのとかやめてよ」
「そんなことしないわよ。人生モードでいい?」
「修羅場モードで行こう。今の君にはぴったりだ」
「そうね〜」
嫌味も適当に受け流し、ゲームのディスクを挿入する。
古い機種だから、ロードだけでも非常に時間がかかってしまう。
堅い機械音が部屋の中に響く中、俺はさりげなく声をかける。
耳障りな機械音も、沈黙も、好きではない。
「で、一海ちゃん」
「何?」
「なんで俺の家に家出したの?」
「最寄りで絶対家にいる上、アポなしでもあがらせてくれるかなと」
「うちの母さんに、彼女だと思われているんですが」
「別に良いんじゃない。減るものじゃないし」
「俺が将来彼女作ったとき、不利になる過去を母さんの記憶に刻んでおいて何を言うか」
「もう別れたって言えばいいじゃない」
「俺にそんな度胸あると思ってんの?」
「あるでしょ。何でもかんでもズケズケ言うじゃない」
「まあね」
ゲームが起動し、予め話していた設定をして…キャラクターの選択をする。
「私、プレイヤーカラー青が良いわ」
「なんで?」
「青、好きなのよ」
「名前に海が入っているから?」
「そんな安直なものでも…あるけど」
「あるんかい。そういえば、君達三姉弟って、趣味とか好みとか一緒なの?」
「一致しているところは少しあるわよ。好きな色が全員青ってところとか」
「へぇ」
「でも、私は深い青で、成海は普通の青、美海は水色って具合に違いがあるけど」
「全部青じゃん」
「あんたならそういうと思ったわ」
「そういうのにこだわりとかないし、色の区別とかざっくりで良いからね」
「それ、成海とかうちの職人さんの前で言ったら半殺しされるから言わないでよ。特に成海。作品に使う色のこだわり、エグいのよ」
「言わないよ。流石に技術者兼芸術家の怒りを買う行為は控えるよ」
「そんなことできたの?」
「類似業者として、踏み荒らしてはいけない領域ぐらいは理解しているつもりだよ」
プレイヤーネームと役職を決めて、プレイ年数も定めたらゲームが開始される。
百年.NPCの動きを含めて何時間かかるのだろうか。
…この姉弟が単純な事で喧嘩をし続けて、仲直りするまで何ヶ月かかるだろうか。
あーあ。この二人も、ゲームのNPC見たいに最適解の動きをして、さっさと目的地に回帰してくれたらいいのに。
———本当に、手がかかる。
「で、一海ちゃん」
「なに?」
「いつ仲直りするの?」
「ストレートに聞くわね」
「うだうだ悩まれても、鬱陶しくて」
「できるならさっさとしてるわよ」
「素直になれば一発なのに」
「…それができたら、苦労しないわよ」
「じゃあ脅迫とかしちゃおうか」
「何よ物騒ね」
「今日までに仲直りできなかったら、次回の新作…意地でも君をモデルにして出します」
「はぁ!?」
「後書きで「このヒロインは俺の同級生で全然素直じゃないブラコンを元にしています」って書いちゃう」
「そんな横暴…!」
「俺ぐらいになると、書きたいことで出版まで持って行けるから」
「才能の無駄遣いしないでくれる…!?どうしてこう、天才って生物は好き勝手してくるのよ!」
「おや、俺が好き勝手なのは今に始まった事では無いと思うけど…成海君もかな?」
一応、俺は天才だと自負していない。天才というのは追いつけない先にいる人間を指す言葉なのだから。
だから、自分の事はその言葉に内包しない。
その言葉が相応しいのは、彼女の弟。
心は繊細な硝子細工のよう。
母方の親戚に、一度それを粉々に砕かれた話は聞いた。
散らばった硝子は遠方より運ばれた新芽がかき集め、彼を再び光を宿せる作品へと昇華させた。
けれど光を宿せたのは、楠原成海の中でまだ硝子細工に対する熱が死んでいなかったからだ。
彼が天才たり得たのは、周囲の支えもあるけれど…彼が硝子の様に不朽だっただけとも言える筈だ。
硝子に愛された、硝子細工のような硝子職人。
俺のように、憧れの背に追いつけず、勿論追い抜くことも出来ず…負けて終わった人間ではないのだ。
「…私が就職を決めた理由、話すまで硝子細工しないって」
「これまた彼も大きく出たね!君は焦る!彼には才能を更に磨いて欲しいから欠かさず硝子細工を作ってほしい!でもなぜ作ってほしいのか理由は言えない!君は素直じゃないからね!」
「煽り…?」
「うん」
「…ま、そこまで言われるか」
「さっさと言えばいいのに」
結局、回り回ってこの結論へ至る。
仕方が無いじゃないか。だってそれが正しい道筋だもの。
ここに至らない話は、持ち出せない。
「浩樹的には…重すぎない?姉が持つ感情としては」
「今更でしょ。君は立派なブラコンなんだから。それぐらいなら成海君側も許容してくるだろうし」
「…そう」
「ね、一海ちゃん。そろそろ成海君帰ってくるよ」
「…」
「ゲームみたいにさ、人生って簡単なものじゃないんだよ」
「何よ、急に」
「まあまあ。ゲームだったら、一歩間違えたなって思ったら、すぐにやり直しが利く。成り上がりのチャンスだって金で買える。そんなこと、現実だったら出来ないのに」
「…そう、ね」
「…ただ一つの選択肢を間違えて、立ち止まって…訪れたやり直しのチャンスさえ見逃して、理想を壊す」
「…」
「僕は、君自身がこんなところに立ち止まることで、理想を…弟の硝子細工を世に送り届ける夢を、君自身の理想を壊していると思っているよ」
やりかけのゲームの電源を落とす。
暗闇を映すテレビの中に、二つの影が入り込む。
そのうち一つは立ち上がり、部屋の外へ向かおうとした。
「…帰る。やること、できたから」
「それでいい。それでいいんだよ、楠原一海。今の君は、かつての君が持つ影がある」
「なによそれ」
助けて欲しい。
俺が思い描いた理想が、現実となって現れたあの瞬間と同じ。
書きかけの原稿を手に取って、俺の作品を馬鹿にしていたクラスメイトを一蹴したときと同じ顔。
自分は正しいことをしていると自負する自信と、今ある問題を必ず解消してみせるといわんばかりのやる気に満ちあふれた…理想の君は———。
———俺の目の前に、立っている。
そう、そうだ。この楠原一海なんだよ。
俺が一番好きなのは、この楠原…。
…うん?
「…さ、弟の元へ行こう。話し合いの結果は聞かせてね」
「なんでよ」
互いに防寒着を着込みながら、後の打ち合わせをしておく。
今、俺はとんでもないことを考えなかっただろうか。
確かに一海ちゃんの事は…いや、種類的には苦手かな。
友達としては付き合えるけど、男女の仲は無理だ。
生きている世界が違うし。性格きついし。俺はもう少し素直で大人しい子の方が好きだね。
でも、弱っている時は、いつもどうにかしてやらないといけないなとは思う。
俺の理想と逸れているから、どうにかしないといけない欲に駆られていると思っていたのだが…。
いや、流石に…。彼女にするなら…一海ちゃんとは真逆の子が良いな。
…素直で弱み全開の一海ちゃんでも成り立つ気がする事実には、目を逸らしておこう。
「話さなかったら、仲直りしていようがしていまいが作品モデルにするから」
「別に良いわよ。それぐらい」
「へ?」
「報告しても、仲直りしても…あんたがしたいなら好きに書けば良いじゃない。全然素直じゃないブラコンを主役に何を書きたいんだか…。あ、私と成海の名誉の為にも姉弟で恋愛とかはやめてよね…」
「…“アリ”だな」
「は?近親恋愛ものやる気なの…?私をモデルに…?」
「いや。それは絶対にやらない。やるとしたら架空のモデルを設定する」
うっかり本音が漏れてしまった。
性格がきつくとも、この最後にはちゃんと見せる素直さの欠片もない優しさがいい。
「じゃあ…そんなブラコンと、からかい癖のある主人公が付き合えるかどうかのラブコメとか如何でしょう」
「妄想を書きたいなら…いや、好きにしろって言ったのは私よね。そんなんでもいいわよ。あ、エッチなのはダメ。絶対!」
「じゃあ二人の年齢を二十歳にしておくよ!それならいいだろ!」
「よくないわよ!なんでそんな話するのよ!」
顔を真っ赤にして、冷静さの欠片もない震えた声で必死に抗議してくる。
勿論、異変を聞きつけた母さんが二階へ上がってこない程度の声量だ。
…初心すぎるでしょ。この子本当に俺と同い年?
「まあ、モデルには…どこまでやっていいか相互確認をしておこうと思ってさ。妊娠出産はセーフ?」
「ベッドシーンなかったら好きに書いて良いわよ!」
「やったー!」
「…受け入れるんじゃなかったこんな話!」
「まあまあ、完成したらちゃんと原稿見せるからさ。NG部分は削るから」
「それならいいけど…あまり変なの見せないよね」
「…善処します」
変なのって、どこまでが彼女の「変」なのだろう。
少なくともギリギリまでは攻めていいお言葉を頂けたので、帰ったら早速プロットを書いてみようとしよう。
…なるべく、彼女を照れさせない方向で。健全な作品を。
家を出て、住宅街を歩いた先に見えてくる楠原硝子工房。
ちょうど、海沿いの道から成海君が帰宅する姿が見えた。
不安そうに俯く一海ちゃんの背中を押して、送り出す。
良い結果が、聞けるといいのだけど。
果たしてどうなるでしょうか。
それはまだ、俺も…俺と同じ頃、成海君の背中を押し出した遠野さんも知らない話。




