2:理想の皮
授業が終わった放課後。
僕は帰りそうだった木島君を呼び止めるため、声をかけた。
「木島君、少しいい?」
「なんだ」
「一つ、聞きたいことがあって…。いや、二つ?」
「一つだろうが二つだろうが構わないけど…何が聞きたいんだよ」
「僕さ、今姉さんと冷戦状態で」
「姉弟あるあるだろ。うちなんてしょっちゅうだぞ」
「お姉さんいるのか?」
「おう。聖ルメールの一年だ」
姉なのにわざわざ学校名と学年を教えてくれるということは…。
「…双子?」
「残念。年子だ。珍しいだろ」
「ああ。凄く」
「で、話は脱線させたが、姉弟喧嘩の相談をなぜ俺にする」
「…木島君にしか、今の僕が持つ疑問に答えられないんだ」
「そんな大層な」
「新菜から、僕と姉さんは歩み寄るべきだと言われた」
「…歩み寄って解決すべき事なら、歩み寄ればいい。でもそんな単純な話でもないんだろう?」
「木島君は歩み寄った結果…二つの結果を掴み取った」
「お前との関わりと、依子との別れな」
「…その歩み寄りに、後悔はしていないか」
「してないよ。ただ、俺の場合、最終的な結果がよかったからな。後悔する要素がない」
「…そうか」
「ふん…」
木島君は溜息を吐いた後、鞄をかけ直し、後ろをちゃんと向いてくれる。
「…楠原一海」
「なんだよ急に」
「一年にも噂がくるほどの有名人。美人で聡明。完全無欠の女傑…要素的にはうちのクソ姉貴に似てるなと思ってな」
「…聖ルメールって、お嬢様校だろ?」
「そうそう。ガチで出来のいい奴らと、本物のお金持ちが通う女子校。和奏…うちのクソ姉貴は自慢じゃないが、出来のいい側」
木島君はぼんやりと、遠くを見つめる。
窓の先。彼の視線の先には、件の女子校がある方向だ。
「俺は何だかんで真ん中ぐらいで。狙える高校はこれぐらい。でもあいつは出来が良くて、色々選べてさ。周囲からはよく比較されていたよ。和奏はちゃんとできるのに、お前はって」
「…うちは、そんなことなかったな」
「お前の良い子ちゃん具合を見ていたら、出来のいい人生を送ってきたんだろうなとは思うよ。鷹峰は周桜、お前は栖鳳西を蹴ってこっちに来たって噂になってたし。両方名門進学校じゃねえか」
「…なんでそんなことが」
ここには同じ中学だった人は何人もいる。認知をしていないだけで、若葉さんに同じ中学だったなんて事もあるだろう。
他人の進学事情なんて、ましてや僕の推薦事情なんて知られているわけがないと思っていたのだが…人間、何が噂になるかなんて分かりやしない。
「ここにいるのが、それほどまでに違和感だったってことだろうさ」
「そうなのか…」
「出来の良い奴の考えは、平均の俺たちには理解しがたいよ。でも、人間であることには変わりない」
「…」
「姉貴も出来が良いだけで人間で、お前の姉だって同じ。話せばわかりあえる…なんて綺麗事はない。俺は未だに出来の良い姉貴のことを理解できていない。あいつの皮は分厚すぎる」
「…」
「けれど、ただ、崇高な存在ではないことだけは頭の隅に留めておくといい」
「…姉さんをそんな目で見たことは」
「ないかもしれないが、無意識に壁と皮を作っているかもしれないぞ。お前の中の「理想」を目の前の相手に被せて、本質を見ようとしない」
「…なるほど。参考になる」
「こんなので参考になるのかね…。ま、俺もお前に「地味なのに人気者に好かれているいけ好かない奴」の皮を被せて本質を見ていなかったからな」
「僕の本質って?」
「人間味のある天然野郎」
「なんだよそれ」
「じゃあな、成海。義理チョコのこと忘れんなよ」
「…ああ。皮みたいな薄いチョコを用意してやるよ、祐平」
「すぐ崩れそうだな」
「ああ。やるべき事は見えた気がしたから」
「そうかよ」
今度こそ荷物を持って、木島君…祐平は教室を出て行く。
それを見計らったように、新菜がひょっこり僕の前に現れる。
「成海君、帰ろ〜」
「ん。今日の電車は?」
「いつもの時間〜」
「それまでどうしていようか」
「ううん。今日は一人で帰るよ」
「…でも」
「心配で、駅まで送ってくれようとするのは嬉しいよ。でも、今の成海君が優先すべき事はなぁに?少なくとも、私の相手じゃないと思うな」
ちゃんと背中に手を触れて、押し出すように前へ進ませてくれる。
「…ありがとう、新菜」
「お礼を言われることはしていないよ。分かれ道まで一緒に行こ」
「ん」
「ちゃんと結果、連絡してね」
「電話する」
「じゃ、お風呂の時にして」
「なんで」
「今日お父さんもお母さんも夜いないもん。まだまだ寒いし、湯船に浸かりたい」
「確かに、シャワーだけじゃ寒いだろうけど…電話で長風呂できるのか?」
「電話があれば長風呂出来るかもしれないし、検証しようかなって。とりあえず、試しにさ。ね?」
「もー。分かったよ。入る前にメッセ入れて」
「了解!」
支え、押し出してくれる彼女にいい報告が出来るのを期待しながら歩き出す。
登校期間が終わり、朝からずっと家にいるであろう姉さんの待つ家へ。




