1:一海と成海の大喧嘩
和久さんと新菜が帰宅した後、僕は家計簿と貯金用にしている通帳を片手に姉さんの部屋を訪れていた。
昨日の会話。
お客さんが来ている手前、追求できなかったが…
今は、できるから。
「姉さん、少しいいか?」
「いいけど、何?」
「…進路の件だ」
「やっぱり来ると思った…。入りなさい」
「どうも」
姉さんの部屋に立ち入り、僕は通帳の中身を見せつける。
「貯金ならある。私立の四年制大学でも問題ない」
「就職に決めたわ。四月からお父さんと一緒に工房の裏方として、作品の売り出しに関わる予定よ」
「あんなに行きたい大学があるって!」
「もういいの。和久さんに言われたことも踏まえて、未練を消したわ。働きながらも大学には通えるから。ま、希望通りの大学じゃないけどね」
「…そこまでしてやりたいことってなんだよ」
「私自身のやりたいことがこれになったから進んでいるだけ。あんたには関係ないわ」
「なっ…!家族だろ!?それに前々から、この大学行きたいのよって語っておいて!理由を伏せて就職!?どんな進路を選ぶかなんて勝手だけど、理由ぐらい明確にして貰えるか!?」
「関係ないって言ってるでしょうが!あんたは大人しく硝子細工作ってりゃいいのよ!」
「…やらない」
「は?」
「理由話すまで!絶対に硝子細工やらない!工房にも立ち入らない!」
「何勝手な事言ってんのよ!?」
「勝手なのは姉さんだろ!?それとも父さんにそうしろって言われたのか!?直談判してきてやる!」
「自分の意志で決めたってば!」
「なら理由話せよ!」
「話さない!」
「何も知らせず好き勝手して!姉さんのそういうところ、大嫌いだ!」
「なっ…」
「じゃあな!あ、お風呂沸いてるから!ちゃんと入れよ!」
扉を勢いよく閉めて、自分の部屋へ。
扉に鍵をかけて、その場に静かに蹲る。
わからなかった。
姉さんの行動も、嫌いだとは言うつもりがなかったのに、言ってしまった自分も。
スマホが軽く震える。着信、みたいだ。
相手は勿論新菜。多分、帰宅した連絡を入れてくれたのだろう。
普段なら飛んででも出る電話。
けれど今日は、上手く話せる気がしなくって。
薄暗い部屋の中、スマホの明かりが見えないよう、顔を膝の中に埋めた。
◇◇
僕と姉さんの関係性は、年末を過ぎ…新年になっても改善されることはなかった。
三学期が始まり、二月上旬。
三年生の登校期間が終わってしまう頃まで、僕と姉さんの冷戦は続いていた。
「ね、成海君」
「…」
「なーるーみーくーんっ!」
「…」
「成海君」
「ぷぎゅ」
教室でぼんやり過ごしていると、新菜が僕の頬を両手で挟み…こねくり回してくる。
「最近笑ってないぞ〜」
「ほんらほほはい」
「まだ一海さんとちゃんと話してないな〜」
「…」
新菜には先に事情を話している。
どうしたら良いか相談もしているし、新菜側で姉さんの気持ちも確かめてくれたそうだ。
だけど彼女は僕にそれを伝えてくれない。
こればかりは、ちゃんと一海さんから伝えられるべきだと。
けれど姉さん側だって意固地になって、僕には理由を伝えないと言っているし…本当にどうしたらいいのだろうか。
「気まずい?」
「…そんなところ」
「私は一人っ子だし、姉弟喧嘩とか今後もしないし、友達同時で喧嘩をするのも嫌だなって思うから、そうならないように立ち回るつもりだよ」
「…」
「成海君は、一海さんに希望していた大学に通って、やりたいって言っていたモデルの仕事も続けて欲しいんだよね」
「…ああ」
「一海さんは成海君に硝子細工を作り続けて欲しい。そう言っていたよ」
「それがなんの関係が…」
「こうして見ると離れている話だけど、ちゃんと繋がるんだよ」
「…僕が姉さんに大学に行って、好きな事を続けて欲しい事と」
「一海さんが成海君に硝子細工を続けて欲しい話。一歩一歩歩み寄ったら、きっと見えてくるよ」
「歩み寄る…」
「うん。だって、成海君も一海さんも———」
「遠野。教室内でいちゃつくな。もうすぐ休み終わるぞ。椅子返せ」
ちょうどいいタイミングで木島君が戻ってくる。
いいタイミングで入り込んでくることに定評がある彼を新菜は見上げる…が、どく気配は一切無い。
彼女の両手は今も僕の頬を挟んでいる。
「今良いところなのに」
「どこがだ」
「あ、そうだ木島君。席替えしようよ。替わってくれたらあの時のこと水に流すからさ」
「あの時って」
「夏休み、成海を見て嘲笑したこと」
「おまっ…!半年前のこと根に持ってんのかよ!」
「謝っても持つけど…」
「あの時のことは悪かったし自分自身の人の見る目もない事は痛感したから席替えしようとするな。俺はあの鷹峰と隣になるだろうが…絶対にやめろ。ほれ、帰れ帰れ。独り身に毒だ」
新菜をどかし、自分の席を取り戻した木島君へ。彼女は去り際に一言。
「彼女と別れたの?あの水族館に一緒に来た女の子だよね?」
「別れたよ」
「仲良かったじゃないか」
「…お前のおかげで人を見る目を養った結果。踏み入ってはいけない領域に踏み込んで、知りたくもなかった汚い部分を見てしまった」
「…?」
「遠野は知ってそうだけど、楠原は知らないのか?」
「何が?」
「遠野が男好きとか売春してるとか滅茶苦茶な噂流されてたこと、認知してんの?」
「「何それ」」
「とおのもしらないの!?ま、うちのクラスじゃ遠野は楠原一点狙いだし、そんなわけないって思われてたもんなぁ…女子達も噂も耳に入る前にシャットアウトするかぁ…」
「もしかしなくても、その悪趣味極まりない噂を流していたのが」
「俺の元カノ。自分より可愛い女が気に入らなかったんだと」
「…女の世界怖いな」
「それ言っていいほど顔面良かった?」
「新菜」
「この図太い女も大概だけどさ、自分より顔がいいからとかそんなことで売春の噂流す女と今後やって行ける気配ないし。分かった瞬間に別れ切り出したわ…おかげでバレンタイン何も貰えないから、楠原。義理寄越せ」
「分かった」
「は?何請求してくれてんの?成海君、私本命ね」
「お前は何請求してんだよ。むしろお前は本命やる側だろうがよ」
「それもそうだね」
時期はそろそろバレンタイン。
気落ちしていてもイベント事はやってくる。
最近周囲が浮き足立っているのは、そういうのもあるのだろうか。
ちょうどいいタイミングでチャイムが鳴る。
休み時間が終わり、次の授業まで残り少し。
「じゃ、成海君。また放課後にね」
「遠野〜。チョコに髪の毛混ぜんなよ」
「そんな冒涜したら成海君に捨てられるんですが!」
「いや、食べるけど…捨てるのも勿体ないし…」
「お前は懐広すぎるだろ。そこは怒って捨てろ。もしくは髪の毛を除外しろ。胃液で溶けないんだぞ」
「勿論そうする。木島君は心配性だな」
「むしろお前は放っておくと遠野に要らぬ事吹き込まれて大変な事になりそうだよ…」
それはどういうことか追求しようとしたタイミングで、先生がやってくる。
この話の続きは、放課後で。




