51:雪が溶ける。距離も溶ける
離れる前とは大違い。
父さんも和久さんも陽気な様子でソファに腰掛け、二人揃って身体を交互に揺らす。
「へへ〜」
「ふへ〜」
それを見た僕らは、それぞれが頭を抱える。
このクソ親父…事務所に缶ビールを隠すのをやめていなかったか…!
酒の飲み過ぎでお医者さんから断酒を命じられている分際でいい度胸じゃないか…!
「かずちゃ〜ん。もっといる〜?」
「いりゅ〜」
「ん!あげるー!」
「やったー!ありがとかいちゃん!」
完全に出来上がった父さんはポケットの中からロング缶を取りだし、和久さんに手渡す。
彼は彼でそれを宝物の様に持ち上げ、電灯の下に。
二人仲良く缶を軽くぶつけ、同時にプルタブを軽快に。
喉を鳴らして、重く汚い息を吐き散らす。
「成海、美海」
「ああ、姉さん。大丈夫。今準備中だ」
「私、お外出てくるね」
「三十秒で支度しな」
「勿論だ、姉さん!ほら、氷水の準備はできている」
「へい、姉御。予め庭の雪かき集めておいた。これをバケツに盛り付けるだけ。いつでもぶっかけできるよ」
「聞き分けの良い家族は好きよ?」
「そういう姉さんこそ、例の人に連絡は…」
「ええ。次の通院時に怒って貰うわ。安心しなさい。ついでに結束バンドも準備済。これが終わったら事務所の家捜し始めるわよ」
「仕事が早くて助かる」
「しごできおねえさますき〜」
「な、何がどうして…こうなって…?」
困惑する新菜への説明は姉さんが行う。
眉間に皺を寄せ、人前では決して見せられない怒りを見せた姉さんは、理性を保ったままあるお願いを彼女に。
「新菜ちゃん、お父様は引き剥がしておいて。うちの断酒命令が出ている馬鹿の仕置きに巻き込むわけにはいかない」
「…構わないわよ、一海ちゃん」
「麻紀さん…」
「私が車の運転ができないことを忘れて飲んじゃうお馬鹿さんには、楠原家の洗礼を受けさせた方がいいわ…」
「成海、美海。許可は出た。ソファと床は馬鹿共に掃除させる。やれ」
「「あいあいさー!」」
酔い覚ましの一発。
我が家では禁酒令が出ている父さんが酒を飲んでいるのを見かけた瞬間、冷水をかけて酔いを覚まさせるのが通例となっている。
肝臓弱いのにぐびぐび飲むからお医者さんに怒られるというのに…この男と来たら。
僕が冷水をぶっかけて、それから美海が雪玉を投げて追撃。
寒さが一瞬で意識を覚まし、二人はのほほんモードから通常モードに戻る。
「ひぎゃっ!?」
「ぎょえっ!」
「お目覚めよね、お・と・う・さ・ま?」
「お父さん、少し良いかしら〜」
姉さんと麻紀さんに掴まれた酔っぱらい達は、びしゃびしゃかつ目を点にさせたまま廊下に連れて行かれる。
別室に到着したらしく、姉さんと麻紀さんの怒鳴り声が同時に響き渡るが…僕らは気にしない。
「美海、後片付けしよう」
「ん。あ、新菜さんは座っていて良いよ」
「うちのお父さんも迷惑をかけているし、多分今日もお世話にならせていただくことになると思うので…」
「泊まるのは大丈夫だよ。食材もあるし、問題なくおもてなしできる。ただ…ご両親、明日も休み?」
「さあ…まちまちだから…わかんなくて」
「そこだけが心配だなぁ…」
説教を終えた後、結局帰れなくなった遠野一家は翌日が仕事だという麻紀さんだけが電車で帰宅し…。
明日も幸いな事に休みだった和久さんと、迎えに来て貰ったはずの新菜がうちに泊まることになり…翌日、帰宅したのは言うまでもない話。
◇◇
翌日、雪が残る駐車場にて。
僕と父さんは新菜と和久さんを見送りに、外に出ていた。
「お世話になりました」
「…まさか僕までお世話になるとは」
「いや、腹割って全部ぶちまけながら話そうって提案して、酒飲ましたのは俺なんで…。和久さんは気にされないでください」
「そうしようかな…でも、結構楽しかったよ」
「こちらこそ、また今度美味しい店での」
「の…?」
「お、美味しいお店で、ご飯食べましょうや」
「そうしようか。海人君…君は」
「何か?」
「僕より十歳年下なのに、しっかりしていて羨ましいな」
「え、和久さん四十八なんすか?なんで俺の年齢知っているんすか?」
「飲んでいる時に教えてくれたじゃないか!なんで忘れているんだ!」
「娘の誕生日は忘れても平気そうにしているのに、会話をちょっと忘れただけで…」
「それは何度も申し訳ないと言ったじゃないか!もう!」
「可愛くないよお父さん。それで可愛いっておだててくれるの、お母さんだけだからね」
「そうか…」
辛辣な新菜の言葉が背中に刺さったのか、運転席で項垂れる和久さん。
…この人、無事に月村まで運転できるのだろうか。切実に心配だ。
「成海君」
「なあに、新菜」
「また明日、学校でね」
「ん。またね、道中気をつけて。和久さんも」
「…勿論だ。後、成海君」
「はい」
「…機会があれば、我が家に遊びにおいで。歓迎、するから」
「是非に。ボトルシップのお話も、その時聞かせていただけたら」
「…!うん!じゃあ、またね!」
子供の様にはしゃぐ和久さんと、対照的に大人びた新菜さんは駐車場を出て、月村への帰り道を走り出す。
僕らは車の影が見えなくなるまで、二人を見送る。
雪は溶け、冬らしい優しい光が雲の合間から差し込んだ。
和久さんの緊張も、僕と新菜の間にあった距離も溶けていたらなんて思いながら、僕と父さんは家の中に戻っていった。




