40:硝子細工の様に、繊細な君へ
それから僕らは、日が変わるまで話を続けた。
サイドテーブルに追加した飲み物を置いて、ベッドサイドに腰掛けて、時を過ごす。
「…成海君はマグカップ常備なんだ」
「うん」
「紙コップは味変したい時に?」
「そんなところ。でもまあ、色々揃えているけれど基本はコーヒーばっかりで…」
「じゃあ、他の飲み物って…」
「基本的には来客用の側面もある。抹茶ラテは陸用」
「…そんなの飲むんだ」
「飲んでみる?」
「ううん。私はミルクティーがいいな」
「そっか。他にもカフェオレとかアップルティーとか、色々あるから」
「うん」
互いに湯気立つそれを口に含み、一息つく。
息を吐いた瞬間、互いに視線が合い…何となく、笑い合う。
こういうの、なんかいいかもしれない。
しかし、彼女の視界がどんどん白くなる。
湯気がレンズを曇らせ、視界を閉ざすのだ。
「…むぅ」
「そういえば、眼鏡…だったんだね」
「うん。いつもはコンタクトなんだ」
「コンタクトって、怖くない?」
「最初は怖かったな〜。でも、今は慣れたよ」
いつもの癖なのか、服の袖で曇りを拭おうとするが…動きを止めて、どうするか思案し始める。
他人の服で眼鏡を拭うのはどうなのか。
それになんかズボラっぽいとか思われると考えている顔だな、これ。
挙動不審かつ右往左往する視線と気まずそうな顔。こんな一面もあるのか。可愛いな。
「眼鏡って、ティッシュでも拭いて良いの?」
「まあ、できるだけ柔らかいので」
「枕元にあるのは高級ティッシュなのですが、如何でしょうか…」
「それなら…少し貰うね」
「どうぞどうぞ」
一枚手に取り、眼鏡の曇りを今度こそ。
視界が明瞭になった新菜さんは再び眼鏡をかけて、僕の方へ。
「枕元にティッシュ…」
「ん?」
「いや、その…風邪でも、引いた?」
「いや、引いていないよ。秋口、花粉が酷くてさ…お恥ずかしい話だけど、鼻水止まらなくて」
「ああ…そっか。マスクとかしばらくつけてたもんね。目薬とかしょっちゅう…」
「酷すぎて病院に行ったよ。あの時は窓際だった事を恨んだね」
「…今は、窓際から離れられて良かったね」
「そうだね。暖房も効いて、隙間風もなくて、快適と言えば快適だよ」
「…」
「でも、君が近くにいない。それだけが唯一の不満かな」
「…もう」
「ランダムである仕様上、仕方の無い話なんだけどさ…そう思うと、前までは恵まれていたんだなって」
「そうだね。この関係になったのも、隣同士だったことがきっかけだし…」
「隣同士じゃなかったら、どうだった?」
「さあ…でも、隣じゃなかったら、成海君をよく見る機会ってないだろうし、わかんないな。成海君は?」
「僕もかな。気になるまではいくだろうけど、声を自分からかけるタイプでもないし…多分、ここには来ていなかったと思う」
「…一目惚れでも、きっかけがないと「一目」する機会がないからね。仕方無いね」
「…そうだなぁ」
最初の席替えで偶然隣になれたのは奇跡の産物だったのだろう。
「…運が、良かったとは思いたくないな」
「どうして?」
「…出会うべくして、出会ったとか…いいたいなって。重すぎるかな」
重いってなにが?
話を最初から最後までちゃんと聞いていたはずなのによく分からない問いをされる。
感情が重いとか、そう言うのだろうか。
「…確かに重いね」
「うっ…」
「でも、重い部分?も見せていいなって思うぐらい、心を許して貰えているのが嬉しいかな」
「…すぐそういうこと言う」
「…?」
「成海君は私を全肯定するのが趣味なのかな…!?さっきから全肯定しすぎ!」
「拒否する部分、あった…?」
「それは…その」
「まあ、嫌なら嫌でちゃんと言うし…」
「そう、だよね。成海君はちゃんと言ってくれるもんね…」
複雑なのか、嬉しいのか。
照れた表情を隠そうとしているが、口角はちゃんと上がって笑っている彼女を横目に、残りのコーヒーを口に含む。
空間に漂う空気が、無糖のそれを甘くしているような気がした。
「そういえば、新菜さん」
「何かな?」
「いつ一階に戻る?」
「…なんであの話を聞いた後、戻る前提の話をしちゃうかな。意地悪」
「ごめんごめん。一人で眠れないなら、誰かと寝るよね。姉さんと?」
「ううん」
「…美海と?」
「違うよ?」
「新菜さん今夜どうする気だったの…!?」
「成海君のところに転がり込む気、だったかな?」
「そんな博打を…」
「成海君に断られたら、一海さんに泣きつきに行くところだったかな…」
「…そ、そっか」
…それ、最終的に僕は意気地無しだとかなんだとかで怒られる奴ではないか?
姉さん、付き合った報告が遅れただけでも起こってきたし、長い間見守ってきたことも暴露してきたし…新菜さんに不都合な事をしたら僕の明日はないに等しいと言える。
しかし、だ。
「…でも、その方がいいんじゃない?」
「ん。わかるよ。いいたい気持ち」
真夜中、個室。想いが通じた男女二人。
何も起きないわけはなく…と、言われてしまうような環境。
今でこそ理性を保てているが、添い寝ときたら、話は変わってくる。
「それでも、何も知らないところで…一晩明かすのは怖くって。それなら、一番安心できる人の隣が、いいなって…」
「…そっか」
「ダメ、かな」
「ダメじゃないけど…一つ、約束してほしい」
「何?」
「枕元に、スマホを置いて寝てほしい」
「いいけど…」
「僕が新菜さんに怖いこと、しそうになったり…気配を感じたら、音を慣らしたり、姉さんや父さんに連絡して」
「…そんなこと」
「起こらない保証は、ないからさ…僕だって、男だから」
「…わかった。じゃあ、その条件で、今夜は一緒に」
「うん。寝る準備進めるよ。一階から枕持ってくる。すぐに戻るから、待てる?」
「…ん」
「水、飲みたくなったりしたら冷蔵庫の中から取っていいから。新しい紙コップはここね」
「一海さんもだけど、成海君も至れり尽くせりだ」
「…過ごすなら、快適に過ごしてほしいからね」
「気遣い上手」
部屋を出て、急いで一階へ。
足音を立てないように階段を降り、一階客間から枕を持っていく。
布団は…別に良いかな。
枕を抱えて、二階の自室に戻ると…短い時間だったからか、普段通りの新菜さんが待ってくれていた。
「おまたせ」
「待ってないよ。さ、寝よ」
いつも寝ているはずのベッドに、新菜さんが腰掛けている。
先程までは気にならなかったことが、非常に気になる。
何も気に留めることなく、僕へ手を伸ばす新菜さん。
彼女が初めて泊まりに来た日。
家族は既に寝静まり、起きているのは僕らだけ。
———誰も知らない、深夜が幕を開ける。




