37:雪の心象
晩ご飯を食べ終え、膨れたお腹を撫でながら一海さんの部屋へ。
その前に、客間の方に向かい…荷物を回収して、暖房を消した。
「布団は…」
「気にしないで。さ、私の部屋に行きましょう」
やることを終えたら、約束通り。
二人で話していると賑やかすぎたのか、美海ちゃんが部屋を覗きに来て…彼女も合流して、楠原家の話を沢山聞かせて貰った。
まるで本物の姉妹の様に話しているうちに、時刻は十時。
皆がそれぞれの部屋の中で過ごす時間になる。
「んー…」
「もう眠いの?」
「小学六年生って、もうちょっと起きている印象だったけど…」
「美海が早寝過ぎるだけよ。ほら、美海。自分で部屋まで歩きなさい。歯磨きちゃんとするのよ」
「うぃ。んじゃ、お休みお姉ちゃん。新菜さん…」
「おやすみ、美海」
「おやすみ、美海ちゃん」
癖のある返事をしながら、美海ちゃんは部屋の外へ。
一海さんも背伸びをした後、無言で私に微笑みかける。
———後は自由に。
「じゃあ、私も…おやすみなさい、一海さん」
「おやすみ、新菜ちゃん」
彼女に手を振りながら部屋を出る。
その先は、部屋の明かりが零れない真っ暗な廊下。
震える足を前に進ませ…私はそこへ踏み込んだ。
◇◇
風呂に入る前、姉さんから奇妙な伝言をされた。
「十時になったら、一度廊下の外に出なさい。それさえ守れば後は何も言わないわ」
たったそれだけ。
とりあえず、約束通り十時になったので部屋の扉を開ける。
一体何があるのやらと、周囲を見渡すと…その先には新菜さんが座り込んでいた。
「…あ」
「新菜さん?なんで二階に…」
「い、今まで…一海さんと話していたの」
「でも、どうして座り込んでいたの?」
「それ、は…」
「…姉さんに何かをされたとか、そういうわけでは」
「そんなことないよ!むしろ親身になってくれて…」
「そ、そっか…それならいいんだ。廊下の電気をつけてくるよ。客間まで…」
彼女から離れて、階段近くの電気をつけに行こうとすると…カーディガンの裾が引っ張られる。
「…いかないで」
「でも、電気…」
掴む手が震えている。
呼吸も荒い。
廊下が寒いというのもあるだろうけど、大分マシになったと思った顔色が暗くても分かるぐらい白くなっていることに気がつけば…離れること何てできやしない。
「新菜さん、離れないから…息だけでも落ち着かせて」
「っ…」
彼女を包み込んで、背中を撫でる。
ここまで静かだと、彼女の呼吸音はしっかり聞き取れる。
荒いそれが静かになるまで背中を撫でて、頃合いを見て声をかける。
「立てそう?」
「今なら。支えて、貰えたら」
「わかった。じゃあ、一階…」
一階の客間に戻ろうか、そう提案する前に彼女は俯く。
理由はわからないけれど、戻りたくないらしい。
けれど、何らかの理由があるはずだ。
まだ十時。それを聞いてから寝たって、遅くはない。
どうにかできることもあるだろうし。
「…僕の部屋でいい?」
「…ごめんね。迷惑かけて」
「気にしないで」
彼女を支えて、自室に向かう。
椅子に腰掛けて貰い、様子を伺う。
「…とりあえず、何か飲む?」
「…部屋、出て行かない?」
「行かないよ。実は、備え付けで小型冷蔵庫と電気ポット、それからスティックタイプの飲み物があるんだ」
「どうして?」
「デザインやってると、行き詰まることが多くって。休憩用に」
「へぇ…じゃあ、貰っていい?」
「うん。どれがいい?色々種類あるから、選んで欲しい」
「ん…じゃあ、これ。ミルクティー」
「了解」
耐熱紙コップにミルクティーの粉末を入れ、ポットからお湯を注ぐ。
先程沸かしたばかりなので、温度は問題ないはずだ。
使い捨てのスティックで軽くかき混ぜた後、湯気立つそれを机に置いた。
「どうぞ。まだ熱いから、少し冷えるのを待ってから」
「ありがとう」
飲み物に手をつけられない今、部屋の中はしん…っと静まりかえるしかない。
外の雪が、部屋の中の音まで吸収してしまっているのだろうか。
そんなことはない。互いに言葉を紡げば、普段通り…賑やかな空間になるだろう。
けれど、どんな言葉をかけるべきか分からない。
彼女は何を悩んでいるのだろう。何を恐れているのだろう。
聞けばきっと、彼女は教えてくれると分かっているのに、その一歩を…踏み出せずにいる。
「…ね、成海君」
「な、何?」
「デザイン…何を描いていたの?」
「あ、ああ…それか。スノードームを硝子で作ろうかなって、思って」
「…スノードーム。あの、白い粉みたいなのが水みたいな液体の中で舞う、あの?」
「そう。白い粉はスノーパウダーで…水は、精製水とグリセリンを混ぜたもので…って、それはほとんど関係ないか。僕が作るのは、土台の方だから」
「家とか、雪だるまとか、サンタさんがよくモチーフになってる印象があるけど…」
「そう。それをどうしようか、描いていてさ…」
スケッチの中に描かれたいくつかの案。
どれもしっくりくるものはなくて、それでいてらしいものばかり。
どうせ作るなら、僕にしか作れないものを作りたいなと模索して…今に至るわけだが、今の僕には難しすぎるハードルだったかもしれない。
大人しく型にはまるのも見据えているが…まだ、足掻いていたい。
自分にできることを、模索したい。
ああ、簡単じゃないか。
新菜さんとの向き合い方も、作品作りも———まずは、自分にできることを探すところから始めたら良いのだから。
「ね、新菜さん」
「なぁに?」
「…新菜さんは、雪をどう思ってる?」
「どう、とは?」
「例えば、白くて綺麗とか、冷たいとか…そういうありきたりな心象」
「…」
「———君が、雪を恐れているなら、その理由を聞かせて欲しい」
「…!」
新菜さんの目が見開かれ、僕の方を見上げてくる。
レンズ越しではあるけれど、今日やっと、初めて…視線が合った気がする。
「…今日は一日様子がおかしかった。体調不良というわけでもなさそうだし、何か違うことがあるとしたら、雪ぐらい」
「…ん」
「どうか話して欲しい。どんなことでも受け入れる。僕は、君の支えになりたいんだ」
手を差し出し、彼女の動きを待つ。
恐る恐る伸びた手は、指を絡め…しっかりと繋がれる。
空いた手で胸を押さえ、何度か息を整えていた。
彼女の心の整理がつくまで、静かに待つ。
立っているのは苦ではない。それよりも、何もできない方が辛いから。
「…変な、話なんだ」
「構わない。どんなに突拍子でもない話でも、僕は信じるよ」
「でも、そんなことでって」
「思わない。それなら僕の方が大概だろう。ちょっと暴言を吐かれたぐらいでって…なるんだから」
「そんなこと思わないから…!」
「そんな新菜さんの気持ちと一緒。僕はちゃんと聞くよ。君の話を、茶化したりもしない」
「…」
「君が僕を支えてくれたように、僕も君を支えていたい。君の弱いところも、何もかも全部受け入れて、受け止めていたいんだ」
「…成海君」
「無理を強いているのなら、引くけれど…」
「ううん。そのまま、聞いて欲しい。ちゃんと、話す。話させて」
目元にたまる、零れかかったそれを拭い、彼女は意を決したように語ってくれる。
「…小学三年生の時の話なんだけどね」
「うん」
「村と市街地、一本の山道でしか辿り着けない田舎に住んでいた時にね…雪崩が起きて、一週間、一人で家に取り残された時があるの」
彼女は震える声で語ってくれる。
そう遠くはない過去に、彼女が抱えた弱み———否、トラウマを。




