36:抵抗虚しく
リビングに戻ると、そこには…。
「ん。おかえり。もうすぐできるから、のんびりくつろいでいてよ」
「お兄ちゃん、まだ?まだ?」
「後十分。ほら、美海。レンジの中なんて覗き込まなくても、ちゃんと焼けてるから。サラダの盛り付け手伝って」
「うぇー。今日は何ドレ?」
「ゴマドレ」
「じゃあシャブサラダ!?豚肉キメられるぅ!お兄ちゃんだぁいすき〜」
「美海、言い方」
「やった〜。パパ、しゃぶしゃぶ風サラダすきぃ〜。成海も好き〜。美海も好き〜。一海も好き〜。皆しゅきっ!」
「父さん、猫撫で声やめてくれ。今日は新菜さんもいるんだぞ…世間体は繕ってくれ」
「家にいるときだけでも〜気を抜きたいの〜」
「半分は抑えて。抑えなかったら豚しゃぶサラダはなし」
「そんなけったいな〜!成海厳しい〜!」
「二人揃って僕の腰に頬をつけるな…!」
「…はぁ。ごめんね新菜ちゃん。うち、いつもこんな感じで…」
「あ、あはは…」
成海君に抱きついて甘えた声を出す海人さんと美海ちゃん。
ちゃんと家族で仲が良い姿に羨ましさを覚えると同時に、私は成海君の格好に注目する。
私達がいない間に着替えてきていたらしい。
いつもの料理教室では、よそ行き用のバチッとした服装。
しかし今はラフな部屋着!部屋着だ!初めて見た!
黒のタートルネックにもこもこのオーバーサイズのカーディガンを羽織った姿。
ズボンは上に比べたら薄すぎるけど、成海君のことだ。絶対断熱素材!お高いやつ!
靴下は履くだけで暖かいと噂のソックス。完全防寒モードだけど、外行きよりどこまでも緩い。
「ほら、美海、お父さん。離れなさい」
「ぶー」
「ぶー」
呆然と成海君の様相を見ていた私の目の前で、いつの間にか一海さんが海人さんと美海ちゃんを引きずってソファに座らせていた。
そうなると、サラダの盛り付けをする人がいなくなったよね。
隠し事を告げようと決めたら、何となく心が軽くなって…重い身体も軽く感じる。
これなら、問題なく彼の手伝いができるだろう。
「成海君、私がサラダの盛り付け手伝うよ。これぐらいはさせて」
「いや、体調がよくないだろう?リビングでテレビでも見ながら待っていてよ、にい…な、さ…」
成海君がこちらを一瞥した瞬間、彼の動きが止まる。
「どうしたの?」
「…」
「成海君?」
「はっ…ごめん。じゃあ、この菜箸使って…後はダイニングテーブルの上にあるサラダと肉を五等分に…お願いします」
「妙に狼狽えているね。らしくない」
「そんなことないよ…」
「それよりどう?一海さんに借りたパジャマ。可愛いでしょ〜?」
「ん?ああ…やっぱり姉さんのなんだ。暖かそうだよね、それ。可愛いね」
「…」
狼狽えた理由は、これじゃないっぽいな…。
着用者が変わったなら、いつも見慣れた服装でも何かあるのかなって思ったけど、違うらしい…。
じゃあ、成海君が反応したのは…?
眼鏡の位置を直し、菜箸片手に五つの小皿へ盛り付けを行う。
成海君のは平均ぐらいかな。海人さんと美海ちゃんはこれが好きみたいだし、お肉を多めにしておこう。
二人に増やした分は、私と一海さんの分を調整…少し野菜を多めに頂こう。
盛り付け終わったことを伝えると、成海君は物陰に隠していたそれらをテーブルの上においていく。
…え、なんで唐揚げとかピラフとか色々出てくるの?スープもついてくるの?
本日はグラタンだけじゃないの?
今日はクリスマスじゃないよ成海君。毎日こんな気合入れた晩ご飯作ってるの!?
「晩ご飯できたよ。グラタンは今から運ぶ」
「やったー!」
「今日は新菜ちゃんがいるから気合入れろとは言ったけど、なかなかですなぁ…成海さんや」
「当然だよ。さ、遠慮無くいっぱい食べてね、新菜さん」
「…う、うん!」
それぞれが席に着き、私は用意されていた折りたたみ椅子に腰掛ける。
ふと、横で死んだ目を浮かべていた一海さんが目に入る。
彼女の気持ちは痛いほど分かる。
成海君が作る料理は美味しい。それでいて残してしまうのは罪悪感。
「熱いから気をつけて」
空いた真ん中に、できたてほやほやのトドメ———グラタンが用意された。
大皿から、焼けたチーズの香ばしい匂いが襲いかかる。
…私達は、彼がいる限り痩せられる気がしない。
「…ダイエット食の勉強でもさせようかしら」
「…それとなく「作りたいから一緒に勉強しようと」誘導してみる」
「…お願い」
匂いは食欲を刺激し、前提を理解した頭は私達からストッパーを外す。
遠慮無く食べる美海ちゃんと海人さんの横で、私と一海さんも抵抗虚しく食べ過ぎてしまったのは…言うまでもない話だ。




