35:もしものはなし
お風呂に入る前、衣服を脱ぐ前に”あるもの”を私は取りだした。
「あれ?新菜ちゃん、それ…」
「ああ、実は私…コンタクトでして」
「あら。眼鏡は?」
「鞄の中に入っていたものを持ってきています」
「よかった。なかったら大変だもんね。あ、そこのゴミ燃やせるだけど…使い捨てのコンタクトって燃やせるの?」
「ええ。燃やせるゴミで大丈夫ですよ」
「なら、そこに捨ててね」
「はーい」
「あ、今更聞くのもあれだけど…女の子の日、大丈夫?」
「それも大丈夫です」
「よかった。もしもの時があったら、トイレの上の棚にあるから。トイレットペーパーの隣の、蓋付き籠の中ね」
「何から何までありがとうございます」
「いえいえ。むしろ行き届いていないところばかりでしょう?不便をかけるわ」
「そんなことありませんよ。よくしていただけているなって思います」
「…ありがとう。何かあったら、すぐに声をかけてね」
「はい」
使い終わったコンタクトをティッシュにくるんで、そのままゴミ箱に。
視界がぼんやりするけれど、仕方が無い。
一海さんに手を引かれ、お風呂へ向かう。
「ええっと、これは…」
「せっかくだし、これ使っちゃいましょ。私の秘蔵品」
「こ、これ!すっごい髪がうるツヤになるって噂の…!しかも数量限定パケ!」
「朝早くに直営店で買ったの。試してみて!」
湯船に浸かる前に、一通り洗い終えた後…私達は湯船に浸かる。
大人二人で入るには少しだけ狭いそこに向き合って、私は事情を話し終えた。
暖かいお湯の中に浸かっているのに、震えが止まらない。
そんな私を一海さんは肩を抱き寄せて、背を撫でてくれる。
「大変だったわね」
「すみません、こんな話…変ですよね」
…自分でも変だと思っている。
あんなことで、できない事がいっぱいできて…震えが止まらなくだなんて。
話して、信じて貰えるとは…正直思っていない。
「確かに、できないことは変を通り越して凄まじいけれど…そういうこともあるわ」
「そう、ですかね?」
「うちには成海がいるのよ?何でも受け入れるわよ。なんなら成海が難点更生の為に新菜ちゃんを利用している分、思う存分利用すべきよ」
「利用だなんて、そんな」
「ま、そんな勢いでって事よ。新菜ちゃんのそれを、あの子は気味悪がったりはしないわ。姉である私が保証する」
そんなの、成海君に話したら幻滅されるに決まっているじゃないか。
遠野新菜は綺麗な子でいなければいけない。
誰隔てなく優しくて、変なところなんて何もない普通の女の子。
こんな難点があるなんて知られてみろ。
私は…。
「…好きな人の前では、完璧でいたい?」
「へ…?」
「成海のことを信頼しているのに、この件に関しては言い渋っている感じだったから」
「…そう、ですね。やっぱり、幻滅されたくない」
「そう思われるほど、あの子は新菜ちゃんに好かれているのねぇ…」
「そっ、それは…!」
第三者に、こうして感情を言葉にするのも、されるのも初めてで狼狽えることしかできやしない。
本来だったら、こうしてからかわれるのは嫌だったりするかもだけど…。
真剣に見守ってくれている事が伝わる分、一海さんに言われた言葉には、嫌な気持ちを抱かない。
むしろ、心地よささえ感じる。
もしも私にお姉ちゃんがいたのなら、こんな人が良いと思うぐらいには。
「これは、浩樹の受け売りなんだけど…」
「室橋先輩の、ですか?」
「「愛する人間には互いによく見せたい心理が働く。しかし…弱みを見せられる間柄も、また特別」ってね」
「…理想論ですよ」
「あら、私はここに貴方達が辿り着けると思っているわよ?」
「…ありがとうございます」
「それに、姉目線になるけれど…成海はそんなことで幻滅するほど、潔癖じゃないし、馬鹿でもないわ。勿論美海もね。男手一つだけど、下手な育てられ方はしていないもの」
「…」
「十分浸かったわね。まだ浸かる?」
「いえ、そろそろ上がろうかと。話、聞いてくれてありがとうございました」
「いえいえ。私も聞かせてくれて…信頼してくれてありがとうね、新菜ちゃん。それから…」
一海さんはにんまりと笑った後、私を覆うようにバスタオルを被せる。
自分が濡れたままなのを気にすることなく、私の水滴を拭うのだ。
「…我が家は十時になったら全員部屋に戻るわ。それ以降、朝の六時になるまで誰も部屋から出ないの。美海とお父さんは早寝だから、成海はもう少し起きているけど…部屋から出たことはないわね」
「…」
「それまで私の部屋にいなさいな。一階から二階に移動するのは、嫌でしょう?」
「でも、それは…」
「貴方の為に、何もかも存分に利用しなさい。夜は長いわ」
「ありがとうございます、一海さん」
「でも、ちゃんと恐れず話すのよ?」
「わかっています」
一海さんは私の顔をタオルの中から出し、優しく包み込む。
安心させるような笑みを浮かべる彼女に、私も笑みを返した。
「私の部屋にいる間、何をしましょうか」
「あ、よければその…せっかくの機会、なので…お仕事との事とか忘れたいと思うのですが」
「遠慮しなくて良いわよ?服のこと?化粧のこと?それに敬語も抜いて…」
「ぜ、全部盛りでっ!」
「あら、いいわよいいわよ。なんなら私の部屋で夜通し語り倒しちゃおうかしら」
それも悪くないと思ってしまう自分もいる。
だけど、この機を逃したらきっと、成海君に弱みを晒す瞬間は訪れない。
「気持ちはとても、嬉しので、けど!」
「敬語を無理矢理外そうとして凄く変になっているわよ新菜ちゃん。落ち着いて」
「このチャンスは、逃すべきではないと…思うから」
「…そうね」
「だから、またの機会に…」
「!ええ!勿論よ!」
次があることが、一海さんも嬉しかったのか、撫でるようにタオルで私の髪を拭いてくれる。
それから先に浴室の外に出し、着替えを促してくれた。なんか、至れり尽くせり。
着替えを終えた後、一海さんを呼んで…彼女の着替えを待つ。
こう、まじまじと裸を見るのは悪いと思うのだが…流石現役モデル。
私のそれと比較して、何もかもが美しく保たれていた。
「…どうしたの?」
「あ、同性目線でも凄く綺麗だなと思って…。ごめんなさい。まじまじと…」
「そう言ってくれるのは冥利に尽きるわね。でも、今はあまりまじまじ見ないで…ちょっと太ったから。完璧じゃないの」
「…成海君のご飯を食べていたら仕方無いかと!」
「…分かっちゃう?」
「ついつい食べちゃうから…私も秋から冬にかけて…ごにょっとキロ…」
「うっ、その生々しい数値は…あるあるね。あーあ。美海みたいに体重なんか気にしていなかった頃に戻りたいわ」
「だねぇ…」
色違いのもこもこパジャマに身を包み、廊下を出る。
一海さんが貸してくれた寝間着は、厳しい冬でもちゃんと暖かく、温もりを保ってくれていた。
「お揃いって良いわよね。美海とはまだできないから…」
「少し歳が離れているから、同系統のが…」
「そうそう。まだ着られないの。新菜ちゃんみたいな妹がいたら、こうして姉妹コーデとかやるの楽しいだろうな〜」
「私も、一海さんみたいなお姉さんがいたら楽しいかなって。私、一人っ子だから」
「そうなの?」
「ん。だから、一海さんみたいなお姉さんとか、美海ちゃんみたいな妹がいるのって、憧れちゃうんだ」
「あら、このまま成海と付き合い続けたら案外その憧れ、実現するんじゃない?」
「へ」
「気が早いけど、うちにお嫁さんでやってきたら、私は義姉で、美海は義妹よ。悪くないわね。楠原三姉妹」
「…きっ、気が早いから!」
軽い口調でもしもの未来を語る一海さんと共に、成海君達が待つリビングに戻る。
将来、その軽口が実現するなんて、当時の私は思っていなかったけれど…。
当時からその未来を期待はしていたことだけは、ここだけの内緒にしておこう。




