1:グラスアクアリウム
夏休みのアルバイト最終日。
無事に午後を終え、私と室橋先輩は一息吐いた。
「終わった〜!」
「これで終了だね、お疲れ様でした」
「室橋先輩も、お疲れ様です」
「お疲れ様、二人とも」
「「一海さん」」
「お給料は用意できているわ。お父さんが手渡すから、帰る前に事務所に寄って欲しいって」
「「はーい」」
一海さんが今後の事を説明した後、私達は休憩室へ向かう。
それに、ここに入ることも…もう最後だろうなと思いつつ…エプロンを外す。
荷物を持って、事務室に向かうと…。
「お疲れ様、二人とも」
「こちらこそ、貴重な体験をさせていただきありがとうございました」
「また、機会がありましたら…」
「こちらこそだよ。さて、お待ちかねのお給料と…これで好きなものを買って、自分にご褒美!なんてね」
お給料と共に、私達の両手には千円札が乗せられる。
「あ、ありがたく使わせていただきます」
「うんうん!」
ここで受け取らない選択肢はないだろう。
厚意をきちんと受け取っておくのは、礼儀だから。
私と室橋先輩がそれぞれお礼を告げると、満足そうに頷く海人さん。
そんな彼に見送られ、私達は楠原硝子工房を後にした。
「遠野さんは駅前で何か買うの?」
「私は、買いたいものがありますので引き返します!」
「ああ、あのランプか…良かったねぇ、成海君」
お給料が入ったということは、約束が果たせるということ。
成海君のランプが、買えるということだ。
室橋先輩と別れ、私は楠原硝子工房に引き返す。
今度はアルバイトとしてではなく、客としてだ。
◇◇
バイト期間が終わった。
始まりは慌ただしく。終わりは静かだった。
新菜さんと室橋先輩が去った後、僕は父さんを呼びに事務室へ向かう。
「父さん、今いい?」
「構わないよ、成海。どうしたんだ?」
「…夏休みの、課題。出しに来た」
この部屋で一番光が入る机の上に、持ってきた作品を置く。
机に差し込む光で周囲を青く染め、ガラスの中で泳ぐ魚たちが空間に繰り出していく。
「タイトルは?」
「…「大海へ繰り出す」」
「この魚たちは、手製でいいのかな?」
「全て手作りをしている」
「珊瑚に、海藻も?」
「勿論。砂利に至るまで構成要素は全てガラス」
「青く見えるのは」
「水槽部分を着色している。海底に見えるよう、グラデーションで」
「作品としての完成には、水が必須かな」
「流石に水は譲歩して欲しい」
「レジンじゃダメなのかい?」
「構わないけれど、劣化したら…どうしようもない」
「それもそうか。まだ水なら取り替えができるだろうけど…俺はこれ、水も何も入れないかな」
「それじゃあ、完成できない…」
「作者以外は、こんな細工。手入れできずに壊すだけさ」
「っ…」
「とんでもない物を作り出している事を自覚しなさい、成海。これは透さんにも到達できない境地であることを」
「…」
「そして君が、楠原透を唯一倒せる才能であることを…認識しなさい」
作品を手に取った父さんは、いつになく真面目な顔で僕に訴えかける。
その言葉は、どんな言葉よりも力があり…心に刻まれる。
「ありがとう、父さん。期待、してくれ」
「…次も期待している。なんならこれ、店に」
「いや、父さんが貰っておいてくれ」
「いいのかい?これなら、間違いなく高値でも買い手が…」
「それは新菜さんの力があったからできたこと」
父さんにあげるのは抵抗がない。
今回、この作品が出来るきっかけは「依頼人」である彼だから。
けれど、この作品に形を与えたのは僕であって、僕ではない。
新菜さんがいてくれたから、ここまでの物が出来た。
彼女が資料集めを手伝ってくれたから。
発想の手助けをしてくれたから。
職人が持ちたい自信をくれたからできたこと。
「…第三者に売るぐらいなら、彼女に贈る」
「…成海」
「って、具合だから。大事にしてよ、父さん」
「あ、ああ…」
父さんは目を丸くしたまま、僕の姿を見送った。
一つ、前に進む。
大海へ繰り出したのは、作品だけではない。
職人としての僕もまた、繰り出していく。




