Extra17:夜10時。明日の為に
家に戻ったのは十時というより、十一時。
今日はシャワーだけにしようか。それとも湯船に浸かろうか。
「どっちがいい、新菜」
「もう遅いし、シャワーだけにしておこうか」
「ん」
お風呂にのんびり浸かるものアリだと思う。
だけどもう夜も遅いし、シャワーで済ませて、睡眠時間を確保しておこう。
二人揃って立ち上がり、着替えを片手に洗面所へ。
いつも通りなのだが、シャワーだけだぞ?
一人ずつでも…いいような。
「シャワーでも一緒に入ってくれるんだねぇ」
「いや、新菜が上がってから一人で入ろうと」
「え」
「その間、狭い空間に一人は嫌だろうから、洗面所で待っておこうかなって」
「はい?」
新菜から凄まじい圧を感じる。
笑っているけれど、全然笑っていないというか。
「…だめ?」
「だーめ」
「だってシャワーだけだし。一人でも」
「髪が長いからなぁ…成海みたいにささって終わらないだろうし〜」
「外で待っているから」
「三十分以上あの狭い浴室に一人でいるのはヤダ」
「…ささっと、浴びるだけ。外で待っているから」
「ささってなんてダメ。身だしなみはいつも気を遣いたいんです〜!いつだって綺麗、良い香りって印象を成海に与えたいの」
「僕は若干ズボラな新菜も、僕は良いと思うけど」
「私が嫌なの。汗臭い香りが残ってるだなんて、成海は嫌でしょ?」
「…」
正直言えば、そんなことはない。
新菜はいつもフレグランスをつけていることが多い。
僕自身香りに詳しいわけではないのでよく分からないのだが、花っぽい香りとか、フルーツの香りとか色々と纏わせている。
目に見える部分だけでなく、目に見えない細部までよく見せてくれる。
そんな彼女の「人間味」が溢れる香りは、実のところ数回しか味わったことがない。
僕のそれより普通に嗅げる香り。
夏場も制汗を欠かさず「汗を拭き終わるまで、離れて待っていて」と怒る程、嗅がせて貰えないそれは二人きりで一緒になっている時だけにしか味わえない。
ツンとしているのは共通。だけどどこか、柔らかさがある。
こまめに手入れするところも可愛らしいが、僕としてはそういう生々しい新菜も…。
「なんで顔逸らすの?」
「…なんとなく、考えてはいけないことを」
「…すけべ」
事実だから何も言い返せない…。
悔しさと共に俯き、情けなさを隠す為に床へ蹲る。
しかし、これで終わりというわけではない。
「…相変わらずだね、成海」
「…すみません」
「そういう単語を耳元で囁くだけでこうなるよう、数年かけて仕立てた張本人相手に何謝ってるの?成海は気にしないで」
「…」
「…本当に、耳が弱いんだから」
「っ…!?に、新菜さん…?今日は流石に、明日のことを考えて…ねっ?」
「我慢、できる?」
「…新菜がシャワーを浴びている間に、気を落ち着かせておきますので」
「さりげなく一人で入ろうとしないの。一緒入るよ」
「ぬぬぬ…」
「私がちゃんと可愛がってあげるから」
「…はい」
「大丈夫。最後まではしないから」
蹲った僕の首元に手を伸ばし、ワイシャツのボタンを外してくる。
この瞬間、僕は改めて実感した。
僕は一生、彼女に勝つことはないだろう…と。
◇◇
二人でシャワーを浴びて、小一時間。
髪を乾かして、お布団を敷いて…寝る準備を整える。
「成海、成海」
「ん〜…」
「…からかいすぎたかな」
ぽわぽわな空気を纏わせて、幸せそうに綻んだ笑みを浮かべている成海は壁にもたれかかり、今にでも寝そうな勢いで船を漕いでいた。
むしろ今までよく持ったと言うべきだろうか。
引っ越しの準備、お仕事、そして私と遊んで…結構疲れているはずだ。
こうなるのも仕方ないが、もう少しだけ起きて貰おう。
「…なーるみ」
「はっ…どうした、新菜」
「髪、乾かし終わって、お布団も準備出来たよ」
「え…あ、もしかして僕、寝てた?」
「半分ね」
ぼんやりと、隙間から水色の瞳を覗かせる。
透明な硝子のような瞳。子供の様に潤んだ目を浮かべながら、私へ手を伸ばす。
私は伸ばされた腕の中に、収まるだけ。
「起こしてくれよ…全部新菜にやらせて…うわぁ、ごめん…大変だったろ」
「成海で遊んだツケを払っただけだよ」
「…そんなこと気にしなくていいから」
「それはこっちの台詞。さっきの抜きでも今日はお仕事でお疲れなんだからさ。素直に甘えるべきだよ」
「…じゃあ、そうする」
指先で私の髪を掬い、くるくると巻き付ける。
それから何度か手で撫でて、それからも髪を弄ぶ。
「…髪で遊ぶの、好きだね」
「できれば手入れもしたかった」
「大変なのに好きだねぇ」
「大変じゃないよ。好きだから、毎日楽しくやれる」
不機嫌そうに目を細め、髪に触れ続ける。
成海は私の髪も好き。私の代わりに髪を梳かし、手入れをし、アレンジまで施してくる。
髪の手入れが日課の様な彼は、眠気でその日課が途切れたことが不服らしい。
そんな彼の機嫌を宥めるように、彼の頭を撫でた。
「今日はお休み。また明日からね」
「…ん」
「もう寝よっか」
「…ああ」
返事を聞いてから、腕の中を離れ…隣へ。
眠たげな彼を支えつつ、膝立ちで布団の上へ。
力が上手く入っていない成海をその上に転がして、布団を掛けて…電気を消す。
これで一日をおしまいにしよう。
一緒の布団に潜り込み、眠気がくるのを待つ。
待つ、けれど…それはなかなか訪れてくれなかった。




