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Extra16:夜9時。天才の憂鬱

夜風が吹き渡る。

春と夏の狭間の、冷えた風は僕らの間に吹き渡る。


「…貴方の事は、存じています。祐輔といつか、作品を見に工房へ行ってみたいなと話をしていたので」

「祐輔というのは、飯嶋祐輔君?」

「…はい。同級生なんです。絵から専攻を変えて、初心者状態で彫刻を始めた俺にも優しくしてくれて」

「良い友達なんだね」

「自慢の、親友です」


僕が陸のことをそう断言するように、彼も同じように断言する。

ああ、かつての自分を見ているようだ。

才能は手が届かないほどの高みにいて、別分野とはいえ…僕と彼には大きな差があることぐらいわかるけれど。それでも、その影はかつての自分に重なる。

新菜と出会う前の自分の姿に、よく似ている。


「僕にも同じように、親友がいるんだ。でも、進路が離れて以来、滅多に連絡を取り合わなくなってね」

「そう、なんですか」

「作品作りも重要だけど、学生時代の時間は貴重だよ。そんなものより、大事にするべきだ。今の時間は今でしか得られないからね」


「わかってはいるんですけど…そういう楠原さんだって」

「僕は高校一年生の時に妻と出会ってから、ずっと青春して…硝子細工は時々するぐらいだったさ」

「えっ…あの極細技法を身につけるまで…」

「それこそ才能ってやつさ。昔から、細さを重視した作品を作るのだけは、母さんにも負けなかった」

「…貴方はそれを伸ばして、極光の先に進んだ」


「そうだね。この前…母を越えるという目標を達成できたよ」

「どうして、勝とうだなんて考えられたんですか?」


震える声で、彼は問う。

才能を追いかけ、執念をかけて追いかけた理由を。

それを聞くに至った理由こそ、彼が止まるきっかけなのだろう。

彼は楽しく絵を描いていた。

けれど、周囲はそれを面白く思わなかった。

特に彼の身内は…。


「先人の才を踏みにじることに、抵抗は」

「踏みにじってはいないよ。尊敬はしている。そして僕と母さんは出来ることが違う。僕は極めて細い細工が得意。母さんは作った作品に色が宿る。得意分野はそれぞれ違う」

「そう、ですね」

「同じ土俵にいても、同じ事はできないのだから、比較する必要性はどこにもない。僕は僕の得意で、好きな事で立つ。かつての母さんがそうしたように、自分もそうなだけ」


「…けれど作品を出すということは、作品を比較される世界に送り出すということで」

「君はご両親やお姉さん、周囲と同じ絵を描くの?」

「それは」

「基本技法はそうだろう。だけどさ、君の極めて繊細な色彩感覚で描く「羽根の舞い散る白世界」は、誰にも真似できないものだ。君はそれと、大衆の絵を比べているのかい?」

「…」

「比べているから、比較される世界なんて言葉が出てくる。何かと比べているうちは、君はそこに立ち止まったままだよ。僕がそうであったように」

「…どうして、進めたんですか」


僕は堤防から降りて、その先で待っていた新菜と合流する。

不思議そうに上から僕を見下ろした彼に見えるよう、新菜を街灯の下へと連れ出した。


「背中を押して、支えてくれた人がいたからだよ」

「…俺には、そんな人は」


「どうだか」


「もりたせんぱーい」

「瞬ちゃんぱいせーん。どこっすかー?」


遠くから、新菜のように腰まで髪を靡かせた茶髪の女の子と、赤髪の男の子のコンビが、森田君の名前を呼びながら、辺りを見渡し…夜道を駆ける。


「あの子達は、君を探しに来たみたいだよ。君を心配し、支えたいと考えてくれる人手は無いのかい?」

「…二ノ宮の方はわかりませんが、熱海は昔背中を押してくれました。貴方が言う「白世界」を書けたのは、彼女のおかげですから」

「へぇ…」

「あ、いた!瞬ちゃんパイセン!」

「森田先輩!もう門限過ぎてますから!百枝先生が晩酌から帰る前に急いで寮に戻りますよ!」

「ああ。わかった」


森田君はいそいそと堤防から降りて、迎えに来た二人と…二ノ宮君と熱海さんに向き合う。


「帰りましょう、森田先輩」

「心配をかけてすまない。後、その前に…」


森田君は僕と向き合い、お辞儀をしてくる。


「楠原さん、ありがとうございました」

「僕は何もしていない」

「話を、聞いてくれたじゃないですか」

「…気分は?」

「まだ靄はかかっていますが、行くべき道は見えたと思います。比べることを今すぐさっぱりやめるのは難しいでしょうけど、自分が持つもので、自分の好きな事に向き合ってみようと思います」

「そうするべきだ。芸術は義務じゃ無くて趣味。楽しくやるべきだから」

「その初心、言われるまで忘れていましたよ」

「忘れるぐらい追い詰められていたんだろう」

「…かも、ですね」


彼が今までどういう日々を過ごしていたかは分からない。

だけど、そこから遠のく手助けは…少なからず出来たかもしれない。


「そうだ。森田君。これ、僕の名刺」

「ありがとうございます」

「硝子細工、したくなったら連絡してよ」

「でも…それだと」

「心配かい?今までのように自分があっけなく僕の才能を超えてしまうかもって」

「…」

「僕はそんなに柔じゃない。それにもう、粉々に踏まれた身だ。見せつけられても「凄いな」としか思わないし…僕の得意は、君には再現できない」

「っ…!?」

「だから遊びに来るノリでおいでよ。良い息抜きになるかもだし、硝子が君の専攻にいい影響を与えてくれるかもしれない」


「その時は是非、お邪魔させて貰います」

「待っているよ。お友達も」

「…はい。それでは、楠原さん。奥さんも…おやすみなさい」

「おやすみ、森田君」


街灯を境目に、僕らは互いに帰路を歩く。

いつかまた、スポットライトの下で二人立つことはあるだろう。

そう遠くない先で再び、彼と時間を共にする。

その時はきっと、彼の心が晴れていることを祈りながら…僕と新菜は彼らに背を向け、帰路を歩いた。


「全く、瞬ちゃんパイセン、何してたんすか」

「話をしていた。楠原さん。二ノ宮知らないか?楠原さん。硝子細工師の…」

「旦那さんのことは知らないけど…譲がその奥さんとよくお喋りしてた事は知ってる」

「なぜそんな繋がりが…?」

「奥さん、港で事務員やっていたらしくて、通行許可の発行とかしてたらしいっすよ」

「へー…」


「そんなことより、紅葉あかば君、森田先輩。捜索隊全員に帰還命令出したから、百枝先生が帰ってくる前に帰るよ!ほら、ダッシュ!」

「熱海、捜索隊って…」

「お兄ちゃんと征一君も別の通りを探してくれていたんです。飯嶋先輩、凄く心配して倒れられているんですからね」

「そう…か…心配してくれてありがとう」


自分を心配していた存在と、共に青春をかけながら森田瞬は考える。

作品のこと、進路のこと、自分が書けなくなった絵の事は頭になかった。

考えていたのは、目の前の日々のみ。

自分を心配してくれていた人にどうお礼を言うか、倒れた親友にどう謝罪とお礼を言うか…それだけだった。

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