1:隣の席の遠野さん
高校に入学してから、一ヶ月が経過している。
一ヶ月もあれば、クラス内では十分な交友関係が構築されていた。
しかしこれは周囲の話。僕には遠い話だ。
今日も窓の外を眺め、休み時間を過ごす。
人付き合いは、あまり好きな方じゃない。
と、言うよりは苦手な方。
隣の遠野さんのように、休み時間の度に誰かと話すなんて考えられない。
「……」
一人で過ごす時間は、気が楽。
次の授業はなんだったか。確か、現国だったような。
机の中から教科書とノートを取り出して、授業の準備を整えて…授業が始まる時間までのんびり過ごす。
それがいつもの光景。
けれど、今日は少しだけ違うらしい。
「新菜、そろそろ授業の準備しておかないと。先生来るよ」
「そだね〜。あ、あれ…?」
「どしたの?」
窓越しにあわてふためき、揺れる栗色の髪。
遠野さんは鞄の中を確認し…ある現実を受け入れる。
悲しそうに項垂れつつ、小さくため息を吐いた。
「…教科書、忘れたっぽい」
「あちゃー。机は?」
「机の中には何も入れない主義」
「あーね。隣のクラスは?」
「聞いて!」
こよう。の声と共に、チャイムが鳴る。
彼女の忘れ物は残念ながら確定してしまったらしい。
「…すまん新菜。私達がもう少し早く準備に誘導していたら」
「今度、何か言うこと聞くから…!」
「じゃあ、今から教科書貸して」
「「今から使うから…それだけは…」」
「ですよね〜」
先程まで話していた友達と笑顔で分かれ、自分の席に腰掛ける。
先生が来るまで時間は少しあるらしい。
彼女はノートと筆箱を机の上に置いた後、自分の両サイドに目を向ける。
彼女の右隣も男。そして左隣の僕も…まあ。うん。
…まあなんだ。心配はいらないだろう。彼女の交友関係は広い。右隣の人ともよく話しているのを見る。
きっと、右隣に見せて貰うのだろう。
窓の外から視線を外し、先生が来るまで正面を向くと…。
「もしもし、もしもし。楠原君」
「…え」
遠野さんが、僕の肩を叩いてきた。
てっきり右隣に声をかけると思っていたのに。
「あれ?名前間違ってない、よね?」
「あ…ああ。間違っていない…」
「よかったぁ」
名前が合っているだけで、遠野さんは表情をふにゃっと崩す。
…名前、覚えていて貰えたんだな。
まあ、遠野さんしたら“クラスメイトの名前”を覚えるなんて、造作もないだけかもしれないけれど。
「それで、なに?」
「実は教科書忘れてさ。見せて貰えないかなって!」
「いいけど…」
「ありがと〜。じゃあ、机近づけるね〜」
遠野さんは机を動かし、僕の机の隣に設置する。
僕は僕で教科書を机の淵に沿うように、真ん中より右側———遠野さん寄りに置いた。
少しでも、見やすいように。
「楠原君、ちゃんと見える?」
「大丈夫」
「忘れたの私なのに…色々ありがと」
「…いいって」
その後すぐに先生がやってくる。
遠野さんは忘れ物を申告した後、授業を受ける。
いつも窓越しに見ていた遠野さん。
腕が触れそうになるぐらいの距離で授業を受けるなんて、思ってもいなかった。
たった五十分の、貴重な時間。
けれどその一瞬は、あっという間に終わってしまう。
授業を受けている間、何一つ喋ることなく…黙々と授業を受けておしまい。
「んー。やっと終わったね。くす」
「楠原。今日日直だな。集めたノート、運ぶのを手伝ってくれ」
「あ、はい…」
授業終わりに軽く会話をすることもなく、先生に頼まれた仕事をこなす羽目になる。
しかもよりにもよって、この授業が本日最後。
「新菜〜帰ろうぜ〜」
「帰ろ帰ろ」
「あ、でも…」
「…本田先生に捕まったらしばらく戻らないって」
「日が暮れちゃう」
「…」
「また今度でいいさ」
「…ん」
友達に急かされるように、帰る準備を進める遠野さん。
机の上にあるものを慌てて鞄に詰め込んで、僕に軽く会釈をして…帰宅してしまった。
僕は僕で、この後先生に捕まり続け…帰宅するのは日が暮れた後。
明日からゴールデンウィーク。長期休みが入る。
彼女とああして話す機会はもうないだろう。
「…はぁ」
もう二度と訪れないと思っていた時間。
接点は消えてしまったと思っていた。
そう思っていたことを、今の彼女に伝えたら絶対に笑われるだろう。
そんな、懐かしい最初の記憶。
僕と新菜が、関わり始めるきっかけの話。