人と妖魔
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妖魔王の名を 妖蛭 と言う。
妖蛭は自由奔放で数多の妖魔を纏めるというより、王の座を気にもしないかのように、フラフラと人間を観察しながら放浪する少し変わった妖魔王だった。
だった
そう。過去のこと。
妖蛭は、前妖魔王だ。
妖蛭が王の頃は、妖魔は今よりもずっと穏やかだったと言う。もちろん妖魔だ。人を襲う。だけどそれは下等種の話。
ヒトの形をする者である妖魔は…
人間と共に過ごしていた。まるで、人間になりたいと言わんばかりの振る舞いだった。
妖魔王の妖蛭がそうだったように、他の妖魔もそういう意識が芽生えていた。
各地で妖魔の被害は起こり続ける。だが今とは少し雰囲気の違う妖魔達だった。
でも王が変われば、一気に空気感が変わる。民衆も変わる。
前妖魔王の妖蛭が今の妖魔王に首を落とされて以来、ガラリと妖魔達の動きが変わった。
妖魔達は更に人を襲うようになり、統率された動きを始める。まるで人間を制圧して、クニを作ろうとしているかのような動き。
時代が変わるごとに妖魔は強くなる。そんな気さえ起こる。
そして藍斗達はその時代の変わり目にいた。
前妖魔王が殺されたのは、つい最近のこと。10年以内に起こった出来事なのだから。
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『アービターには顔は出さなくていいのか?』
「……人がいる時に話しかけるな」
『そうだな。お前の声は周りに聞こえるからな。でもお前は元から周りから浮いている。お前が一人で喋っていたとて、誰も気にしないだろう』
今日は血の臭いがすごい。
何か起こるのか。
それとも……またこの時期が来てしまったからなのか。
『お。この道は、アービターに向かっているな?あのクソ上層部も殺して仕舞えばいいものを』
「まだ真実まで辿り着いていない。それに……アービターを壊滅させて仕舞えば、アイツの動きが鈍る。探しているのに見つからなかったら意味がないだろう」
頭の中に直接語りかけてくる不快な声。そもそも自分にしか聞こえない声というのもおかしな事なのに、私はそれを受け入れている。
勝手に頭に声が響くなんて慣れたものだ。
『おい、そういえば、あの小僧はどうした?』
「……夜虎のことか?」
『あぁ。お前にべったりじゃないか。なのに昨日から姿が見えない』
「夜虎には用事を頼んでいる。アービターに入るために手筈を整えてもらっているんだ」
どうしてペラペラと私も話しているのか。
こんな奴に教える義理はないが。私の体の一部となったコレは、切り離せるものではないから。
『アービターに入る?お前はもう正団員として所属しているではないか。まぁ、顔も出さないから居ないようなものだろうがな』
こいつは本当によく喋る。
さっき妖魔を切ったからなのかやけに上機嫌だ。たいした記憶も読み取れなかったのに。
『うるさいなって思っただろ?お前の感情はすぐ伝わる。感情的なのは昔から変わらないな』
「黙れ。お喋りがすぎる」
『まぁいい。俺を握る時だけ、その感情は捨てろよ?お前の感情次第で俺は刃のないただの玩具にも、なんでも斬れる刃にもなるんだから』
分かってる。
感情が不要なことなどとうの昔に知った。
だけど、復讐という感情だけは、大切に取っておく。煮えたぎるような気持ちはいつでも思い出せるから。
『で、なんでアービターに入る手筈を整えてるんだ?』
気になるのか話を戻して尋ねてくる。
まぁコイツに隠す必要もない。共に行動しているんだ。いずれわかる事だから。
「アービターに仮入団する」
『だからお前は、正団員だろ』
「一般人としてだ」
‘
『……理由は?』
理由か?沢山あるよ。
人の流れに沿って歩き、多くの人を眺める。昨日妖魔が都に出たと言うのに呑気なものだ。次の日には人で溢れかえっている。何が面白くて笑っているのか。
どこに妖魔がいるかなんて分からないのに。今、隣を歩いている人が妖魔かも知れないのに。
『おい、小春』
「……お前は少し待つことを覚えてくれ」
急かされるがここで話すわけにはいかない。小声で話しても目立つ。アービターの施設に行く前に家に寄ろう。
食べ物もそろそろ尽きる。買い足しておくか。
食事は少なくていい。飢餓感があまり無いから。果物を少し食べれば力が湧く。
『食わなきゃ大きくならないぞ』
「何を父親みたいなことを言っている。私はこれでいい。それに一応背は伸びてる」
大きい方が強いみたいな考えはもう終わりだ。小回りが効く方がいい。
果物を必要分買って家に戻る。
家といっても仮住まい。持ち主が帰って来れば去る。
相変わらず埃まみれで、床に穴が空いている玄関を通り抜け、ボロボロの廊下を歩き、奥の一室に入る。
そこだけ別世界のように綺麗な部屋。
でもここは私の家では無い。誰かの家だ。夜逃げでもしたのか家具や日用品が残ったまま、廃墟と化した場所を借りている。
『誰もこの家に近づかなくなったな』
「妖魔が住み着いていて子供が三人死んでいる」
……という事になっている。
妖魔は居ない。私とコイツしか居ない。
ある意味妖魔よりも怖いか。
妖魔がいると噂を流せば、簡単に住むことができた。根性試しでたまに子供が家に近づく時があるが、こっちもここに住んでいる事がバレては困るから。
少し脅かしてやれば二度と近づく事はない。噂が噂を呼んで、この家は妖魔の棲家と化した。
楽でいい。
『で?なんでアービター?』
「お前もしつこいな」
『気になるだろ。お前はアービターの正団員。それに自由に動ける地位も与えられた。まぁみんなお前を怖がって集団行動させたくないだけだろうが』
私は一年前、アービターに正団員として入団した。その時に色々派手に事件を起こしたから、入団したものの、誰も近づかなかった。馴れ合うつもりはなかったから都合はよかったが。
そしてアービターの最高権力者達。アービターを動かす者たちに、私は地位を与えろと交渉した。
『なんだっけ?誰よりも妖魔を狩ってやるから、自由に動く権利をくれ。だっけか?』
「そうだ。街や都のパトロールなんてやってられないだろう。見つけた妖魔を許可なく狩れればそれでいい」
アービターとは妖魔を退治する組織。だけどいくつか決まり事がある。
「下等種にも、必ず3人1チームで挑めなんて。ふざけたルールがある」
アービターとは基本的に三人一組で行動しなきゃいけない。
三人以下で挑むには、余程の理由がない限り禁止されている。もし一人で倒したりした場合は、状況や被害の大きさや……色々報告しなければいけない。
一人で挑めば、更なる被害拡大に繋がる可能性があるかららしい。
まぁ、喰われたときに、処理してくれる仲間が必要ってことだろう。
『お前には必要のない決まり事だな」
「夜虎も居れば、お前と私と夜虎で、三人一組みたいなものか」
鼻で笑ってしまった。
それで?なんの話だったか。あぁ、仮入団の話か。
「アービターには私は顔を知られていない。だから面をせずに訓練生としてアービターに入りたい」
『と言うと?訓練生の方が得られるものがあるのか?』
「実際アービターに入って分かっただろう。上層部はきな臭い。だけど、私を見れば全員が警戒する。ボロを出さない。むしろ、アービターの施設内をうろうろさえさせてくれない」
『だから訓練生として入団して、奴を探すのか?』
そうだ。
ソレが一番いいと思った。
「妖畏は必ず、アービターと繋がっている」
その名を言うたびに腕が疼く。
いつ殺せるかと待ち侘びているんだ。
《《現》》妖魔王、妖畏
『じゃあお前は、面をせずに、一般の《《か弱い女》》として入団試験を受けるのか?』
「今年は訓練課程がある。集団授業みたいなものだ。まぁ私も自分を偽れば馴染もうと思ったら馴染める。多分な」
『お前が去年、大勢の前で、団長を斬るからだろ?面倒な訓練課程なんて追加されたのは。きっとそこで、人を守ること、正義、大義、人は斬るな、なんていう道徳を学ぶんだ』
私のせいなのか?突然人に斬りかかった訳ではない。入団試験として何をしてもいいと言われたからしたんだ。
あの時の判断を間違えたと思った事はないよ。
道徳なんて学んでも何にもならない。道徳が命を助けてくれる?そんな事はない。
ぬるま湯みたいな場所だよ、アービターは。
明日から続々と仮入団をしたがる馬鹿な輩が集まるはずだ。そこに溶け込まなければいけない。
『小春』
「なんだ」
『人間に絆されるなよ』
何を言うか。そんなもの、分かりきっている。
「当たり前だ。人間は妖魔より恐ろしいからな」
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眠っていれば誰かの気配を感じ目を覚ます。
起きて一秒も経っていないのに鞘から刀を抜いている。本当に休まる瞬間がないな。
そうは思ったが廊下で3回拍手が聞こえた。
これは合図だ。肩の力が抜ける。
「夜虎。入っておいで」
そう声をかければ、ドアが開いてベッドのすぐ側まで夜虎が走ってきた。
「小春様。貴方の仮入団手続きが完了しました」
「そうか。助かったよ」
「女性もかなりいました」
そうか。仮入団となれば、女も挑戦してみようと思うのかも知れない。女もいるなら夜虎に頼まなくても良かったか。
「夜虎、疲れたでしょ。寝なさい」
「小春様は眠っておられたんですよね。僕は見張りにつきます」
「いい。誰も来ないよ」
おいでと手を伸ばせば、夜虎は恐る恐る側によってベッドに腰をかけた。
「見た目だけ大きくなって。夜虎は何も変わらないね」
変わらない夜虎がいるお陰で私は精神が保たれている気がする。夜虎の前だけ私は優しくなれる。
私のせいで夜虎が変わってしまったら、私はきっと完全にバケモノになってしまっていると言う事だから。
夜虎は私が拾った。
妖魔の群れがある村を襲った。私は当時、歳は十二で、今と変わらず妖畏という現妖魔王を探していた。そして妖畏と似たような気配を辿り村にたどり着いた。
悲惨だった。
私が知る中でもなかなか酷い仕打ちだった。
妖魔王が妖畏になってから、人間の殺され方が残虐になった。村の大人達の四肢を喰らい、息を絶えた人の残骸が山のように積み重なっている。
その中に夜虎は居た。
夜虎はその時、十五歳。村人の死体に紛れて、人間の臭いを消し、妖魔に見つからぬよう、ただジッとその場に隠れていた。
死体から香る僅かな人間の臭い。
それを感じ取り死体の山に近づけば、生きた人間を見つけた。
きっとこいつも……私と同じように一人だけ生かされたのかもしれないな。いや、絶対そうだ。奴が気が付かない訳がない。
夜虎は私をじっと見つめた。
私はその時妖魔を斬りまくった後だったから、全身血だらけで、バケモノよりバケモノだった。
だけどそんな事は気にならないのか、死体の山から飛び出て私に抱きつく。
まるで子供みたいなその素振り。私より大きい夜虎は、覆い被さってくる。
何故こんなことになったのか。
自分よりも大きなものに抱きつかれたのに、何故か夜虎はとても小さく感じて、私はその時精一杯抱きしめた。
夜虎は言葉を発さず、置いていかないでくれと言っているかのように縋り付いてきた。
夜虎の身体には、妖魔につけられたものではない傷が沢山あった。
いまもその傷は癒えていない。
「夜虎。眠れそう?」
「小春様と一緒なら」
十八歳になった私。夜虎は二十一歳になった。十二から働くことが許されたこの世界。アービターになれるのは十五歳以上。年齢は楽々クリアしている。
かれこれ6年間一緒に居る。
「小春様。何をお考えですか?」
「いや、何でもないよ。少し夜虎と出会った時のことを思い出して」
ここまで連れ添うつもりはなかったんだけどな。
「小春様に捨てられない限り、僕は小春様と一緒です」
えらく従順な子に育ってしまった。
自分よりも大人で、さらに性別の違うものを育てようと思うに至るまで苦労した。
夜虎は私が地獄に足を踏み入れているのも分かってて側にいる。夜虎はきっと、私が何をしてもお疲れ様だと労ってくれる。夜虎はそういう子だ。
そういう風に私が育てた。
「夜虎。おやすみ」
「おやすみなさい、小春様」
真っ黒の夜虎の髪。それを撫でていると夜虎は眠りについた。
夜虎はどこまでも一緒だ。
だからこそ
そろそろ潮時だ。夜虎は普通に人間と共に生きるべきだから。私みたいな半端者と居たらいけない。
『おい、小春』
「……夜虎が起きるだろ」
『お前が小さな声で話せば問題ない』
眠ったな。
少しベッドを離れる。
『小僧を置いていくのか?』
「時期が来たらな。アービターの訓練生には夜虎はなれないから。正入団の時に、夜虎は顔を見られている。兎の面に連れそう夜虎の姿ってのを、何人にも見られているからな。夜虎は留守番だ」
腰には1本の刀が刺さっている。
鞘からスッと刀を抜くと、手のひらからジワリと熱が伝わってくる。
『俺は寝たいんだが?』
「妖魔のお前に睡眠など必要あるか?」
一点を目指して刀を振れば気持ちががいい。
刀を握っている時だけ無心になれる。
「妖蛭」
『……なんだ?』
「お前は何故、私を生かそうとする?」
私の問いかけに対して答えは返ってこなかった。
前妖魔王である妖蛭は、
私の身体と刀の中で、生きている。
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