約束
見知らぬ風景、その人ごみのなか。
「あっ!」
夫によく似た姿を見つけて、ケイコは顔を隠すように下を向いた。
だが、いち早く気づかれてしまった。
「ケイコ、待ってたんだ」
夫が小走りでやってくる。
夫とは十年ほど前に別れ、以来ケイコは独りで暮らしてきた。
「やっと会えたな、ずっとここで待ってたんだ」
夫が満面笑みになる。
――待っていてくれなくても……。
ケイコはありのままの気持ちを伝えることにした。
「わたし、今までどおり一人で暮らしたいの」
「それはないだろ。オレたち、ずっと離れ離れだったけど夫婦なんだぞ」
「でも……」
「約束したじゃないか。こうして再会できたら、いっしょに暮らすって」
「ごめんなさい、約束を守れなくて……」
「おまえ、まさかほかに男が!」
「ううん、そんなんじゃないのよ」
「なら何でだ?」
「わたし、気が変わったのよ。ただそれだけなの」
「そんな!」
「よく考えてみて。七十を超えてるのよ、あなたも私も」
「えっ、もうそんな歳に……」
こちらでは歳を取るという自覚がなかったのか、夫はガックリと肩を落とした。
ここで情にほだされ、これからの人生を縛られるわけにはいかない。
自由に生きるのだ。
「謝るわ。だからもう、私を探さないでね」
ケイコはきっぱりと言って、それから呆然と立ち尽くす夫を残して、渡し船に乗った。
約束が何だというのだ。
ウンザリである。
長い間いっしょに暮らしていた夫と、再び生活をともにするのは。
あの世に来てまで……。