昼休みの廊下
大人になったら、死んだらどうなるのかなんて、考えたりしなくなるんだろうか。
最近、セミの鳴き声を聞かなくなったような気がする。でも、死骸は転がっているのを時々見かける。
暑すぎると鳴かずに体力を温存するとか、聞いたような気がするが、その人の話は大体適当で、そうなんじゃない?という根拠のない想像は大概ハズレていた。例えば雨は降らないんじゃない?と言えば必ずずぶ濡れになったし、今日は帰ってこないんじゃない?と言えば必ず父親は帰って来た。
多分、予測とか予感ではなく、適当にそう言っていただけなんだろう。
そうだったらいいな、と思っていたんだろう。
「タナトフォビアってやつ?死恐怖症」
塚原は面倒くさそうに自分の博識をひけらかして見せた。いや、実際そんなものがあるのか知らないし、それ以前に死なんて遺伝子レベルで怖いと思うようになっているんじゃないのかと思うが、どうなんだろう。
「でも、以上なくらい怖がるようになったら、それって精神病ってことになるんじゃないの?知らんけど」
知らんけどをつければ適当な憶測を世界に発信しても責任は問われないとでも思っているらしい。なら言うなと思うが、華から信じなければいいだけの話だった。
「でも、死んだらどうなるのかってみんな思ってたから、天国とか地獄とか、生まれ変わりとか色々考えて、それが本当だって信じるんだろ?」
「縋るの間違いだけどな」
塚原は知ったような顔で知ったようなことを言った。右の口の端の小さなほくろが少しだけ吊り上がった。
「お前はさ、死んだらどうなると思う?」
「どうもならんよ、窒素とかリンとかになって終わりでしょ?」
知らんけど。結局全てそれで片付けられて、何だか虚しくなるばかりだったが、そもそも事実の確認のしようがないので話はそういう形に帰結するのは想像するまでもなかった。
いないという証拠がないので、いないとは言いきれず、だから宇宙人も幽霊もいる可能性がある。
天国も地獄も、輪廻転生も、ないと言いきれない。
「いや、ないだろ」
塚原はあっさり切り捨てた。
「魂とか心とか、そんなのがあるって思ってんのは人間くらいじゃん?心なんて結局、脳の中で起きてる反応、電気信号の伝達、シナプスでニューロンをやり取りしてるだけ」
「じゃあ、俺の意識は俺以外には入れないとか、生まれてから死ぬまで自分にしかなれない感覚とか、どう説明するんだよ?」
「なにそれ、自分が死んだら世界が終わるとでも思ってんの?」
一重の癖に大きな目の中で灰色の黒目がグルっと動いてこちらを見る。人形のような顔立ちや青白い肌色、グレーの髪色も相まって人形じみていて時々ギョッとするが、話してみれば何のことは無い中二病煩いの高校一年生、ただの同級生だ。
「お前が死んだって世界は終わらんよ」
「そんなことは言ってない。でも、俺が死んだ後、俺はその後の世界を見ることは無いんだろ?じゃあ子の感覚って別の誰かになって引き継がれるってのは、なんか自然な気がするんだよな」
「そうあって欲しいなってだけでしょ?真っ暗でなんにも感じなくなって、何にも考えられない暗闇に閉じ込められるっていうのが本当だったら嫌だから」
怖いから。塚原はそう言って廊下の窓枠に顎を乗せて、だらんとぶら下げていた手を引き寄せるみたいに持ち上げてその先に持っていた小さい紙パックのコーヒー牛乳のストローを咥えた。ズルズルと空気を吸いこむ音がした。もう諦めろよ、だいぶ前からカラだって、それ。
不意に紙パックを眺めながら塚原が言う。
「そいやさ、紙パックを廊下に投げつけるとメチャクチャデカい音がするって遊び、やんなかった?」
どんな遊びだよ。俺は呆れて溜息をついた。正直、最初からこの話を真面目に聞いてもらう気は無かったが、適当にあしらわれるとさすがに少し不機嫌にもなる。
「やらねーよ。お前と違って俺の中学は治安よかったからな」
塚原の中学は不良が多いことで近所では有名だった。なぜタバコを吸ったり授業中騒いだりするのか、正直理解できない。多分そうやって理解されなかった結果、社会が見捨てていくんだろう。先に見捨てて置きながら、何か事件を起こしたら不良だからで片づけられる。
俺自身も、話してみるまでは一生か変わることの無い、出来るだけ関わらないようにするタイプの相手だと思っていたが、今は学校でなんの建前も虚勢もヘラヘラした作り笑いもしないで、引かれるかもしれないとか、そんな余計なことを何も挟まずに思ったことをそのまま喋れる相手になってしまった。
友達は選べとか言われるけど、選んだ友達よりも何となく流されるように、吸い寄せられるようになるのが友達なんじゃないかとか思う。
大人になったら、多分友達は選ぶんだろう。こいつと仲良くしたい、あるいはこいつと仲良くしていると周りからどう思われるか分からない。
打算とか世間体とか、そういうもので付き合いは出来上がる。それはまあ、小学校からそうなのかもしれないけど、結局腹の中まで話せるくらい楽な相手と出会ってしまったら、友達はこういうものだと思ってしまう。
ただ、そうやって騙される人間も山のようにいるんだろうなとも思うが。
「つか、何で授業中に喋ったりすんの?教室来なきゃいいだろ?」
「だから不良じゃないから。見た目で判断すんな」
どうやら不良じゃなかったらしい。まあ、不良がタナトフォビアとか言わないよな。
「まあ、かまって欲しいんじゃない?子供だから」
「なるほど」
思ったよりシンプルな理由だったが、思ったより釈然とした。
「悪戯して困らせて、そうやって気を引きたいんじゃない?」
「寂しいとか?」
さあねー、と自分で話し出しておきながら塚原は飽きたように間延びした声を出した。
「みんなは出来ることが出来ないって劣等感?そういうのでもういいやってなって、そんでじゃあ迷惑をかけてやろうってなるとか。まあ、そんな事しようとも思わないけど」
「そうなのか?」
「まあ、勉強は出来たからね」
自慢するどころか、憂鬱そうに灰色の溜息をついた塚原は、窓の淵に手を掛けて、物干しに掛けられたタオルのようにだらけていた体をスッと起こして、振り返りざまに紙パックを床に投げつけた。
突然、廊下に銃声のような破裂音が響き渡って昼休みの弛緩した空気を垂れ流していた生徒たちが短い悲鳴を上げた。急に跳ね上がった心臓の鼓動を押さえつつ隣を見ると、自分でやった癖に目を丸くしている横顔を見て、俺は何となくその人間臭い表情に笑ってしまった。
「何やってんだよ」
「いや、鶴見が変なこと言うから、その、悩み?吹っ飛ぶかと思ったんだけど、ちょっとやり過ぎたかも?」
なんだ?それじゃあまるで俺の為にやったみたいじゃないか?
そんな疑問が顔に出ていたらしく、クオーターの女子生徒は気まずそうに視線を逸らした。
「吹っ飛んだよ、ありがと」
「あっそ。ならいいけど」
いいわけあるか。
顔を上げると生徒指導の岡部が鬼の形相で仁王立ちでこちらを見下ろしていた。
取り敢えず走って逃げれば青春ぽいかと思ったが、どうしようか。