安殺
「本当に、理解できない…………人を殺しておいて、なんでそんなにのうのうと生きていられるの? どうして、そんなに楽しそうにしていられるの?」
セツナは、苦しんでいるかのような声で、俺に問うてくる。
「わからないよ………私は、ずっと夢に見る。自分が殺した暗殺者のこと。ずっと、脳裏に響いているの。裏切り者、って、私を罵る声が!!」
セツナのナイフを振る動作が、セツナの感情が昂っていくと共に粗雑なものになっていく。
暗殺者の、洗練されたものではなく。普通の少女が、ただ己の中にある感情を、そのまま吐き出しただけかのような。
自分の憎しみや怒りを、ただ全てまっすぐに乗せたかのような、そんな攻撃。
プロの暗殺者にあるまじき行為。けれど、それだけ、それだけ俺の存在は、セツナを苦しめてきていたのかもしれない。
「私、魔族になってからも、クロエちゃんの様子見に来てたんだ。初めは心配だった。ただそれだけだった。なのに!!」
セツナはナイフを放り投げ、俺の胸倉を掴んで叫ぶ。
「人を殺したのに、あんなに楽しそうで………。私には、クロエちゃんが理解できない…。怖いって思った。人を殺して、平然と生きていられるのが………。私は、魔族になってもまだ、悪夢から目覚めることができないでいるのに!!」
セツナの目から、無数の涙が零れ落ちる。
きっと、ずっと悩んできたのだろう。暗殺者として生きてきたことに。
多分、魔族になって人を殺したかったっていうのも、嘘なんだろう。
本当は、そうやって誤魔化したかっただけだったのかもしれない。
魔族になれば、人殺しを何とも思わなくなるかもしれないと。そんな期待を持って、魔族になったのかもしれない。
「確保……」
後ろから、アルトがセツナを拘束する。
暗殺者のセツナなら、こうはいかなかった。
セツナは、途中から、暗殺者ではなく、ただの少女に成り下がったのだ。暗殺者のように無感情にただ仕事をこなすのではなく、感情のままに振る舞い、その内にある本音を曝け出した。だから、こうも簡単にアルトに捉えられてしまったのだろう。
いや、元々、俺を殺す気なんて、なかったのかもしれない。
「ねぇ、クロエちゃん」
セツナは、力のない声で、俺に話しかけてくる。
目は死んだ魚のようで、まるで光がない。
そんな彼女が、俺に望んだのは……。
「殺して」
殺人。
いや、彼女は魔族だから、殺『人』ではないのかもしれない。
しかし、命を奪う行為であることには変わりない。
「ごめん。そのお願いは聞けない。もう、人を殺したくはないから」
「なんで………なんでよ。人を殺しても何とも思わないんでしょ? 私のこと殺しても、平然と生きていけるんでしょ? だったら、殺してよ……。魔族になってまで、私は暗殺者を忘れようとしたのに……。そこまでして、それでも無理だったのに……。どれだけ足掻いても、一生私は幸せになれないのに………」
そっか。
これが、普通なんだ、きっと。
普通の少女が、暗殺者なんて重荷を背負わされてしまったら。
人を殺してしまったら。
もうまともに生きていくことなんて、本当はできないんだ。
やっと分かった。俺の異常性。
確かに俺は、暗殺者をやっている時は、精神的にまずい状況ではあった。
それこそ、追い詰められて自死を考えるほどに。
でも、今はそうじゃない。
勇者パーティに入って、アルトやノエルと出会って。
過去のことなんて忘れて、のうのうと暮らしてた。
そう。俺は、異常だ。
あんなに悲惨な過去があったというのに、俺はその過去をあっさりと乗り越え、平然とした顔で何気ない日々を過ごしていしまっている。
俺は多分。自分の罪を本当の意味で認識していない。
前世の存在、多分、それが大きいだろう。異世界にいる自分は、自分ではあるけれど、心のどこかで、まるで他人かのように思っている。そう、ゲームでもしているかのような感覚なのかもしれない。
だから、俺の心は崩壊することはなかった。
けど、そんな俺の姿を見たセツナは、どう思うだろう?
自分と同じ境遇なのに、平然と生きている人間を見れば、どう思うだろうか。
自己嫌悪?
嫉妬?
あるいは両方か?
でも間違いなく、ギリギリのところで保っていた心の均衡を崩すのには、十分な情報だったのかもしれない。
つまり、今セツナがこうなってしまっているのは、俺の責任かもしれない、ということだ。
今ここでセツナを殺さないという選択肢をするのは簡単だ。
けど、本当にそれでいいのか?
セツナは多分、これからも一生苦しみ続けることになる。
仲間を殺したことを、一生引きずって生きていくことになる。
きっと、今の俺は彼女にとって、救いでもあるんだ。
死にたい、けど、自分じゃ死ねない。かと言って、他人に殺してもらうとして、相手も自分と同じように、誰かを殺してしまったことへの罪悪感を持ってしまうかもしれない。そう思うと、彼女は誰にも言い出せず、一生苦しみながら生きていくしかなくなる。
俺ならば、そんな心配はしなくていい。
少なくとも、セツナはそう思ってる。なら……。
「クロエ…?」
俺は、セツナがさっき捨てたナイフをその手に取る。そして……。
「おい、よせ!」
そのまま、セツナの首に、そのナイフを突き立てた。
少女の体が、その場に倒れ込む。
首元から大量の血が溢れ出し、地面を真っ赤に染め上げる。
魔族でも血は赤いんだなぁ、なんて、どうでもいいことを考えながら、セツナだったものを見下ろす。その表情は、安らかではあるものの、どこか息苦しさを感じさせるようでもあった。
殺した。それも、あっさりと。
でも、今のところ何も感じていない。
いや、少しの寂しさと、なんとなく虚しさも感じる気はする。けど、精神的に追い詰められているかというと、そんなことはない。
「あはは……そっかぁ………」
やっぱり、そうだったんだ。
俺は、この世界の人間の命を、軽視している。
そうだったんだ。
俺は、なるべくして暗殺者になったのかもしれない。
そうならざるを得なかったのではなく、そうなるのが当然だった。
「アルト、優斗達に伝えておいて」
「何を……?」
「勇者パーティ、抜けるってさ」
「え、ちょ、待て、クロエ!!」
『大量に人殺しといて、どの面下げて勇者パーティに入ってるの、この人でなし』
そうだ。セツナの言う通りだ。
どの面下げて、俺は勇者パーティに入ってたんだろ。
人殺しのくせに。
人のことを殺しても、何も感じないくせに。
きっと、アンジェのことを殺せなかったのも、アンジェのことを1人の人間として見ていたんじゃなく、何かの物語のキャラクターとしてしか見ていなかったんじゃないだろうか。その上で、アンジェという幼い少女のキャラクターを殺すことに、抵抗を覚えた俺が、少しだけ感情を肥大化させて、嫌だとごねただけなんじゃないだろうか。
優斗のことも、勇者ってキャラクターとしてしか見ていないんじゃないだろうか。
カカエ姉さんも、エレナさんも、セリカも、マコのことも、全員、勇者パーティの一員という属性のキャラクターとしてしか見ていないんじゃないか。
もしかしたら、アルトやノエルに対しても、そう考えているのかもしれない。
疑え出せば、止まらない。
俺は、どこまでが人間なんだろう。
どこまで俺は本気で生きているのだろう。
俺は、この世界の住人足り得ているのだろうか?
考えたくない。
自分の醜い部分を、見たくはない、知られたくはない。
この世界の住人と関われば関わるほど、俺はこの世界の人達をちゃんと見ていないって気付かされてしまうんじゃないだろうか。
考えたくもない。
だから、俺は………。
「さよなら」
一生孤独でいい。