報復
第一章 TOKYO2020の貸し
第43回オリンピック札幌大会を2年後に控えた西暦2062年、JOCの特別委員会が開催されていた。
議長のユーコ・アリウラ4世が開催の主旨を説明する。
「東京都が、競技を2つ、東京で開催させろと言ってきました。」
副会長のアサッパラ3世が尋ねる。
「理由は何だね?」
「2020年の借りを返せと言うんですよ。」
トキオ・マッツオカ札幌市長が怪訝そうに聞く。
「2020年のオリンピックで何か東京から借りたかね?」
アリウラ4世が説明する。
「マラソンと競歩です。確か東京オリンピックの前年、酷暑の中で実施された中東のドーハでの陸上世界選手権がアスリートファーストでないというIOCへの批判を考慮して、本番9ヶ月前に選手の事情などどうでもいいIOCの理事たちがひっくり返しちゃった事件ですよ。」
「ああ、結局札幌も猛暑でスタート時間の繰上げ措置を講じたり大変だったらしいな。」
スケート連盟会長のヤッスー・シミズ5世が他人事のように言う。
「幸い競歩では日本人のメダリストも出たから、国内での批判は最小限に留めたものの、スタート時間を繰り上げた女子マラソンでも15人の棄権者、男子マラソンに至っては棄権者が30%近くに達したもんだから、大会後、銀ブラして欧州に帰国したIOC会長がめちゃくちゃ叩かれたらしいですよ。」
日本ジャンプ連盟会長のリッサー・タカナシ3世も緊張感の無い、うわさ話でもするかのような軽いノリだ。
「東京都は、未だに札幌への変更は無意味だったとの見解が歴代都知事の申し送り事項になっているんだよ。」
北海道知事のチハール・マツヤマ4世が声を荒げる。
「今更何をバカなことを言ってるんだ。第一あれは借りじゃない。こっちだって迷惑な話だったんだ。あれでよさこい祭りも細切れ開催になったし。」
アリウラ4世が答える。
「しかし、今の都知事のコーイケ3世の家には、「呪IOC」、「斬札幌」と書かれた掛軸が、祖母の時代から掛かっているそうですよ。」
マツヤマ知事が机を叩く。
「然もありなんだな。代々うるさい家系なんだよ。あいつの親父が検察庁長官だった時には、政治がらみの逮捕者が溢れかえったものだった。周りの迷惑顧みず、自分の正義を貫き通そうとする世間知らずなんだよ。」
曽祖父からの地盤を引き継いで政治家となりロシアとも先祖代々100年近くの親交がある事も手伝ってJOC会長となった楽天家のモーリ4世が溜め息をついた。
理事の一人、セーコ3世が口を開いた。
「会長、東京を敵に回すのはよろしくないかと。世界大会クラスの競技ができる会場は、今でも東京が他県を圧倒しています。今後鎖国でもされると、今、招致を進めているサッカーワールドカップにも影響が出ます。」
「君の意見ももっともだ。しかし今回だって、サッカーの予選は東京でやるんだろ。それでいいじゃないか!」
「いえ、会長、関東の会場は横浜と埼玉だけです。コーイケ3世は気にくわないから、国立競技場と調布の調味料スタジアムだけは絶対に会場にするなと言われたのは会長、あなたですよ!」
「埼玉も横浜も東京みたいなものじゃないか。関東なんて北海道の半分以下なんだから1つの県でいいだろう、首都県という県にでもすりゃいいんだ。東京23区なんて札幌市の半分しかないくせに。何を今更、借りを返せだと?たまたまマラソンと競歩だけがクローズアップされたが、他の競技にしても隣県や茨城、静岡にまで開催場所にしたじゃないか。だから東京は嫌なんだよ。」
セーコ3世が頷きながらも鋭い目を一瞬光らせて言った。
「会長、ここは東京が言うところの借りを返してあげたらどうですか?」
「何だって?2競技渡せと言うのかね。」
「はい。42年前の借りとか言うやつをそのままそっくり返せばいいんですよ。」
「マラソンと競歩ということかね?」
「その通りです。会長、ご承知の通り2032年のオリンピックから暑さ対策の一環として、北緯ないし南緯43度未満の都市ではオリンピックが開催できなくなりましたよね。このおかげでローマやバルセロナは二度とオリンピックの開催が出来なくなりました。日本でも密かに立候補を企だてていた釧路帯広市が0.1度足りなくて諦めたと言う噂も聞きます。」
アサッハラ副会長が口を挟む。
「何が言いたいんだね。セーコ君。」
「東京はマラソンと競歩をやりたくてもやれないんですよ。何せ北緯35度ですからね。今度は自ら返上せざるを得ない訳です。」
会長が思わず手を叩く。
「セーコ君、なんてセコい手なんだ。」
異議なしの声でJOC特別委員会は閉幕した。
第二章 難題
「市長、大変です。」
助役のフナーキ3世が札幌市長の元に駆け込んだ。
「何事だね、フナーキ君。」
「事務局レベルでマラソンと競歩のお返しの話をしたら、東京は、あのコーイケは、受け入れる意向らしいんですよ。」
「何だって?東京じゃ無理だろ。確かに室内競技場ならJOC規約には違反しないが、まさか400mトラックで42.195kmを走らせる気じゃないだろうな。」
「いえ、そのまさかです。彼らは神宮の国立競技場に開閉式の屋根をつけるそうです。夏の札幌より格段に快適と息巻いてるそうですよ!」
「何をバカなことを!トラックを100周以上回って何の面白味があるんだ。選手も観客も目が回ってしまうぞ!」
「とにかく週明けには、IOC会長のオサイン・ボールト3世はじめ理事の面々が急遽ここ札幌に来るそうです。実は東京都との水面下での札幌は何て勝手なことをしたんだとボールト3世はかなりお怒りのようです。」
「私が悪いんじゃない。全てはJOC会長のモーリと理事のセーコ3世の考えだ。私は賛同していない。」
札幌市長トキオ・マッツオカ4世は他人のせいにし始めた。
フナーキ助役は続ける。
「不気味なのは、一緒にブータン王国のオリンピック委員会理事長が同行することです。ブータンの首都ティンプーは7年前に最後まで札幌市と開催地を争ったところですよね。北緯28度のブータンが標高1000m以上ならOKと言う例外規定に則って名乗りを上げました。しかも国王に対するアジア女性からの圧倒的な人気も手伝って札幌市敗北が濃厚だったところを天皇陛下のブータン訪問で一転、元々皇室との親交が深かった国王が今回は陛下に譲ろうとの一言を発したおかげで札幌市決定に至った経緯があります。今回のゴタゴタを理由にIOCが開催地見直しを決めたら代替地はどこか。IOCとブータンはそこまで決めた上で来日するものと思われます。」
「おいおい冗談はやめてくれ!」
マッツオカ市長の眉間のシワが微かに震えている。
「おい、どうなってるんだ?」
北海道知事のチハール・マッツヤマ4世が飛び込んできた。副知事のミユーキ・ナカジーマ3世も一緒だ。
「市長、君は何をしたか分かってるんだろうな。」
マッツオカ市長は真っ赤になって弁解する。
「知事、全てはモーリJOC会長の指示です。私どもはそれに従っただけ。どうにかして欲しいのはこちらの方ですよ。」
「このままだと確実に五輪お召し上げだぞ!北海道初の夏季オリンピックが不意になる。ほぼ5年間、内政をナカジーマ副知事に任せて世界中コンサート活動をしてきた私の努力はどうなるんだ。市長、君の冠番組「お茶碗ダッシュ」も打ち切りだ!」
そこにJOC理事のセーコ3世が到着した。
マツーオカ市長が尋ねる。
「セーコ理事、モーリ会長はどうしたんですか?」
「会長は昨日から熱を出されてテイノー病院に入院しました。絶対安静、面会謝絶の状態です。」
マツヤマ知事は胡散臭げに漏らす。
「ホントかね?さすが政治家、逃げ足が速いな」
セーコ理事は聞こえなかったかのように続ける。
「知事あてに伝言があります。」
「この場に及んで伝言とは何事だね?伝える意識があるならリモートでもいいから参加すれば良いだろう。」
セーコ理事は聞こえなかったかのように続ける。
「根回しすることに疲れたみたい。嫌いになったわけじゃない。会長室の灯りはつけてゆくわ。隠し金庫のカギはいつもの下駄箱の中。」
「何をわけわからんことを言ってるんだ。」
チハール・マッツヤマ4世は激怒している。
副知事のミューキ・ナカジマ3世が優しくなだめる。
「知事、あそこの家系は昔から身勝手です。ここは二人で乗り切りましょう!縦の糸はあなた、横の糸は私ですよ!」
マッツオカ市長がセーコ理事に尋ねる。
「副会長のヒルハラさんはどうしました?」
「ヒルハラ4世は現在400mリレー復活のため欧州を歴訪中です。」
知事が尋ねる。
「セーコ君、どうするんだね。」
マッツオカ市長も口を挟む。
「もちろん、東京の国際競技場などで行われたらたまったもんじゃない。アスリートのコンディションはともかく、札幌のマラソン、競歩コースの道路は、全て「岩屋製菓」と「酔いズ」の両菓子メーカーにチョコレート色に舗装してもらったものです。給水場ではオミタファームの夕張メロン入り栄養ドリンクが無償で用意される手筈になっています。これがご破算になったら大変なことになります。それでなくとも最近、岩屋製菓は樺太に大規模な工場を作って、白い愛人というチョコレートを作っています。このままロシアの企業にでもなったら大変ですよ。」
セーコ理事がまたもや鋭い目を光らせながら白い歯を見せた。
「市長、別の競技に変えてもらいましょうよ。」
「セーコ理事、他の競技もスポンサーは決定しているんだ。東京開催は無理だ。」
マツヤマ知事の怒りは最高潮に達している。
「知事、競技を渡してあげるんじゃない、つくってあげるんですよ。」
チハール・松山 知事が怪訝な顔をする。
「どういう意味だね?」
「2044年のオリンピックから開催地が最高2種目の競技を追加できる規約が追加されましたよね。今回の札幌大会ではハーシモト4世委員の尽力でローラースケート競輪が種目となりましたが、雪合戦の方は、夏の大会に大量の雪を用意するのは経費がかかり過ぎるしそもそも夏の競技らしくないという短い夏をこよなく愛する身勝手な札幌市民の大反対に遭って頓挫しましたよね。要するにあと1種目余ってる状態です。」
フナーキ助役が口を挟む。
「いったいどんな競技を加えるんですか?雪合戦復活ですか?夏の競技だと屁理屈を言うのであれば、サマー・ジャンプもよろしいと思いますが、何せ東京にはジャンプ台もないですからね!」
「違いますよ、フナーキ助役。駅伝ですよ。」
「駅伝?駅伝って今世紀前半まで行われていた長距離リレーのことかね?」
「そうです。関東では歴史的に駅伝が人気だったせいもあり、今だに群馬と神奈川では正月に大会があるようですよ。選手はほとんど西日本出身ですがね。」
マッツヤマ知事が言う。
「結局国立競技場を使って42.195kmを走ることになるんだろうが実にくだらん。」
セーコ理事がニコリとする。
「大丈夫ですよ。私の祖父が駅伝コースの周回は1回以下と決めて以来、それが世界ルールになっています。要するに片道か往復1回だけです。陸上トラックでは無理なんですよ!」
「流石、君のお祖父さんは大したものだ。」
副知事が拍手をする。
「しかし、本来なら長距離種目の選手が出場することになるんだろうが日程によっては駅伝への参加を見送る選手が多発するんじゃないのじゃないのかね。そうなれば、駅伝にはトップクラスの選手は参加しないことになり本当につまらない競技になるぞ。」
「知事、何を心配しているんですか。そんなことは東京が心配すれば良いこと。新競技だから既存のスポンサーには迷惑をかけないし、やれるものならやってみろというところです。いずれは札幌に委譲ですよ。その時には名目共に貸しですよ。」
「悪知恵の才覚はお祖父さんに引けをとらないよ。どうだね、北海道から参議院選に立候補しないかね。」
セーコ理事がニコリと微笑んで言った。
「知事、申し訳ないです。実は三重県からの立候補を、三重県知事のカオリ・オシダ3世から依頼されているんですよ。」
翌日IOCのボールト会長との協議はIOC側がこの提案を受け入れることで早期に決着した。その背景には、次回のタスマニアオリンピックを後回しにして、ブータンのティンプーオリンピックにするという裏取引があったという噂が世間を賑わした。
第三章 報復
ここは東京都知事室。都知事のコーイケ3世はじめ、副知事、政策企画局長、戦略政策情報推進本部長等の幹部が議論を交わしている。もちろん札幌オリンピックの駅伝競技である。
副知事のイシハーラー3世がため息をついている。
「2020年の借りを返すだって?お荷物いただいただけじゃないか。本当はまた札幌市の借りが増えた話でしょ。」
「とにかくどう対処しますか、都知事?本当に国立競技場の400メートルトラックで駅伝開催したら、世間の、いや世界の笑いものですよ。そもそも昔、セーコ1世が創った国際駅伝規約に違反しますし。」
局長のミカー・ココタニ4世は苛立ちを隠せない。
推進本部長のハナダカノハナ3世も深刻な顔つきで話を繋げる。
「都知事、今、都の財政は逼迫しています。ご承知の通り20年前に首都をトヨタ、いや名古屋に移してから法人税はじめ税収が軒並み激減しています。山手線内はまだ何とか活気がありますが、周辺はもうダメです。人口は1000万人を割り込んだし、世田谷区なんて人口130万人中、100万人が70才以上ですよ。昨年合併した私の地元、中野杉並区は人口減に歯止めがかからず来年には新宿区に吸収合併されます。」
コーイケ都知事は大きな溜め息をついた後、言葉を発した。
「皆さん、IOC、JOC、それに札幌市の勝手極まる対応により、都は窮地に陥っている。しかし、たかが1競技を返上したとなれば子子孫孫の恥。東京の名誉の為にも開催は必至です。」
「都知事、そんなことは分かってます。だから具体策を講じなければ。」
根っから御坊ちゃま育ちのイシハーラー副知事はかなり動揺している。
都知事はニコリと笑みを浮かべて言った。
「トラックでない室内駅伝をやりましょう!」
「都知事、いったいどこで出来るんですか?」
「リニア新幹線ですよ。」
「なるほど、全て屋内ですね。」
「駅伝の距離は217.1km。笹子辺りで折り返せば丁度良い距離かも知れない。」
「都知事、とんでもない発想に恐れ入ります。しかし駅伝をするとなれば少なくとも丸一日、列車の運行をストップさせなければなりません。たとえ一日だとしてもJRへの補償はかなりの額になるかと思います。神奈川県はともかく、名古屋や大阪が怒りませんかね?」
「運行がストップするのは東京-山梨間だけ。それに名古屋は今や、日本の首都。立場上おいそれと反対はできまい。こちらから頭を下げれば日本一見栄っ張りな県民性なんだから絶対大丈夫だ。」
「知事、愛知の県民性を良くご存知で。」
イシハーラ副知事が関心する。
「JRに払う使用料とランナーが走る簡易道路の設置費用は神奈川県に出させよう。品川を出て多摩川を渡ればコースの殆どは神奈川県だ。富士山の噴火前まで130年間実施されていた箱根駅伝と一緒だよ。神奈川の高齢者たちは、あの箱根駅伝を県のお祭りのように愛着を感じているはずだ。」
「しかし、東京のヨミステ新聞社主催で全て東京のスポンサーじゃなかったでしたっけ?」
「当たり前だ。神奈川新報が主催出来るわけがないだろう。しかしこの際、そんなことはどうでもいい。神奈川県民の琴線に触れるってやつだよ!昔と同じように往路のゴールは神奈川県です、と言えば、あの派手好きなクロイシ知事のことだ、いやとは言うまい。」
「正確には山梨県だと思いますが、しかし、知事の狡猾さは名古屋顔負けですね。」
ハナダカノハナ3世は天性の脳天気を晒し出して、本気で褒めている。
「しかしトンネルの中の走行はつまらなそうですね。」
イシハーラ副知事が呟く。
間髪入れずに知事は答える。
「いやいや、車窓が暗闇ではつまらないという乗客の不満を払拭するため、10年前にトンネルの壁面は全てバーチャルスクリーンにしただろう。」
「確かに。景色はありますね。一昔前の技術ではありますが、16K画像です。」
「観客にはシネコンのIMAXくらいの入場料払わせて3Dメガネでも配ろう。地上の風景と寸分違わぬ映像の中で、しかも絶対に雨が降らない気温20度の8月とくれば観客は殺到するぞ。幅1メートル当たり二人で立ち見を入れて3列。反対側も同じだから1メートル当たり、2×3×2で12人。40キロとして12×1000×40で48万人。一人平均2000円として9億6000万円。どうだね?」
「立体CMも可能ですから広告収入も見込めますね。」
ミカーコタニ4世もニコリとする。
「ホシガキユイや海辺みなみの立体CMを流したらファンも殺到でしょうね!昭和製菓やエヌテーテードコデモも絶対協賛間違い無し。」
「都知事、大変セコい、素晴らしい案だと思います。」
幹部会議は程なく終了した。
2年後の東京、いや夏の札幌オリンピックの駅伝競技は大成功を収めた。
結局リニア新幹線の東京-山梨間の営業は3日間ストップしたが、都の収入は予想をはるかに超えることとなった。
外気温40度の8月の関東の酷暑をよそに、気温20度のトンネルの中で観客たちは壁面に映し出される640Kの高感度映像に酔いしれた。今はもう殆ど見ることができなくなった春の新緑や秋の紅葉が映し出されたり、スポンサーのCMが適度に流れる中、観客たちは軽快に走る駅伝ランナーの応援に熱中した。
一方札幌では、35度に迫る熱暑の中、陸上競技で選手たちの途中棄権が相次ぎ、閉会後開催国の開催条件をもっと厳しくすること、少なくとも札幌で夏のオリンピックは二度と開催しないこがIOC総会で決定した。
一週間後、コーイケ3世都知事は仏壇の手を合わせた後、三代前から自宅に掛けられていた「呪IOC」、「斬札幌」の2つの掛け軸を外した。