62話 雨の朝
朝食の席で、圭太は尋ねた。
「ねえ、マーマレードあったっけ?」
キッチンにいる母からは、返事がない。よく聞こえなかったのだろうか。
もう一度問いかけようと圭太が口を開きかけたとき、向かいでコーヒーを飲んでいた父親が、小さく咳払いした。
(ああ、そうだよな……)
父の言わんとすることを理解し、圭太は静かにダイニングテーブルから立った。冷蔵庫の扉を開き、中を探る。
母が声をかけてきた。
「あれ? 何か探してるの? 言ってくれれば取ったのに」
圭太は口元だけで笑ってみせた。
「ううん、大丈夫だよ」
マーマレードの瓶を探し出すと、ダイニングテーブルへ戻る。
昨日から、母は心ここにあらずといった状態だ。祖母の入院が影響しているのだろう。父のほうも、表情が暗い。
「ねえお母さん、今日の夜はドライカレーが食べたいな」
家族の中で、颯太だけが普段と変わらない様子を見せていた。甘えた声で母に好物をねだる。
「ドライカレー作ってよ。ねえ、いいでしょ? お願い」
「しょうがないわねえ。手間だけど、作ってあげるわ」
やれやれといった具合に、母は笑みをもらした。
「わあい。ありがと、お母さん。大盛にしてね」
「颯太、この頃よく食べるわよねえ。ごはん炊く量、増やしたほうがいいかしら」
「そうだなあ。父さんも圭太や颯太ぐらいのときは、よく食べてたよ。満腹になることなんてなかったなあ」
「あ、俺さあ、最近よく腹減りすぎて夜中に目が覚めるよ」
「え、兄ちゃんも? 僕もね、自分のお腹の音がうるさすぎて起きちゃうときある」
「いや、それはさすがにねえよ。どんだけ腹の音大きいんだよ、颯太」
わずかだが、食卓に笑いが起きた。
場の空気を読まない颯太の振る舞いは、なぜだかいつもいい方向へと作用する。息子の無邪気さに触れ、母も気を紛らわすことができたようだった。
朝食を終え、圭太は少し早めに学校へ向かうことにした。
外は雨が降っていた。
透明のビニール傘を広げて歩く。途中の丁字路で、祥吾と出くわした。
「おはよう、早いな」
「ああ、まあね……」
圭太は祖母の容態について話した。少し検査の結果が悪かっただけというが、両親の様子を見る限り、他にも理由がありそうだった。
圭太を元気づけてやろうと考えたのか、祥吾は明るいニュースを告げる。
「昨日、望が明充の見舞いに行ったんだ。明充も珠代さんの供養をしたいって。這ってでも行くって言ってるみたい」
「おお、じゃあ後は隆平だけか」
「それも昨日連絡があったよ。隆平、今日から学校復帰するって。ずっと母親について病院にいても仕方がないからって」
「え? てことは隆平も……」
「ああ、実はもう少し前にわかってたんだけど。隆平、一緒に視影へ行けるようになったんだよ」
「よっしゃ」
傘の下で、拳を握る。祖母の件で落ちこんでいる間に、事態は動いていたようだ。
これで全員揃って視影に行ける。呪いを解ける。
この呪いさえなくなれば、家族が不幸に見舞われることもないはずだ。
「じゃあいつにする? 今日行く?」
「いや、まだ準備もあるし、明充とも詳しく打ち合わせできてない。とりあえず今日の昼休みにでも、みんなで集まろう」
「オッケー」
そのとき圭太は、祥吾の真横を通り過ぎる、ピンク色の傘の存在に気づいた。傘の下、ちらりと見えたのは木梨あゆみの横顔だった。祥吾が目に入らなかったのか、あゆみは無言で追い抜いていく。
「あれ、今の木梨さんじゃない?」
「そうだね」
祥吾は関心のない様子で答えた。
「え? 話さなくていいの?」
「いいよ」
「もしかして、ケンカ中?」
「まあ、そんなとこ」
歯切れの悪い言い方だった。祥吾はあまり語りたくないらしい。遠慮して、圭太はこれ以上は尋ねないことにした。
「そうだ、話し合うって、場所はどうする?」
「また資料室でいいだろう。俺、最初委員会で遅れるだろうから、圭太先に行って待ってて」




