56話 強くなる
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全体練習は一度お開きになった。祥吾はひとり資料室に向かった。
ここからは個人練習の時間だ。
祥吾は一心にサックスを吹いた。納得のいく音色が出ない。指の動きも鈍い。
呪いを解く手がかりを探すとはいえ、先週は吹奏楽部の活動を疎かにしすぎた。全体練習はなんとかこなしたが、細かい部分で演奏にミスが目立った。来月には演奏会が控えているというのに、練習不足だ。この個人練習の間に、少しでも遅れを取り戻しておかなければ。
そんな思いとは裏腹に、祥吾が練習に打ちこんだ時間は短かった。いつの間にかマウスピースから唇を離し、物思いにふけっている。
土曜日に、祥吾は隆平から連絡を受けていた。
隆平は病院から電話をかけてきているようだった。母親の件で、父が祖父母から責められているのだと隆平は言った。
「おじいちゃんとおばあちゃんは、誰かを責めていないと心が壊れてしまうんだと思う。今回のことで、すごくショックを受けてるんだ」
「隆平は――」
祥吾は言葉を探した。大丈夫かと訊いたところで、そんなわけないとわかっている。だけどどうしても代わりの言葉が見つからなくて、
「大丈夫なの?」
口からこぼれた。
隆平の息遣いだけが返ってきた。
沈黙が続く。
「話せよ」
祥吾はそっと促した。
「隆平の話、聞くから」
どんな言葉も聞き逃すまいと、スマホを耳に押し付けた。隆平が話しだすのを待った。
「母さんと暮らすのが、ずっと苦痛だったんだ。支配されるのが嫌だった。母さんなんか死ねばいいって、何度も思った。でも実際母さんは今生死の境をさまよってて……やっぱり生きていてほしいよ。だけどまだ、母さんが死ねば自分は自由になれるんじゃないかって思いも捨てきれない。母さんにどうなってほしいのか、自分で自分がわからない。僕、最低だよ。親に対して死ねなんて、絶対思っちゃいけないのに」
心の膿を絞り出すように、隆平は打ち明けた。
「そんなふうに自分を責めるなよ」
祥吾は言った。
「親に対して死ねなんて、みんな思うことだよ。全然普通だって。俺だって親子ゲンカするたびに思ってるよ。親うざい、死ね、話しかけるなってさ。隆平はちょっとやさしすぎるだけだ」
これ以上思い詰めれば、隆平は壊れてしまうと思った。
しかしすぐに、心配は杞憂だったとわかった。
「僕、決めたんだ」
そう言った隆平の声には、不思議と強さが宿っていた。
「呪いに立ち向かうよ。もう怯えたり逃げたりしない。僕はこの呪いを解きたい。その後でちゃんと母さんとの関係を立て直したい。父さんがおじいちゃんとおばあちゃんに責められているところも見たくない。家族みんなが気持ちよく暮らせるようにしたい」
祥吾は胸を突かれた。隆平から、初めて固い意志を感じた。
「もう母さんの言いなりにはならないよ。僕は母さんにとことん立ち向かって、自分の気持ちをぶつけるんだ。認めてもらうんだ。そのために、母さんにはこれからも生きてほしい。僕は弱い自分を変えるんだ。そして変わった僕を、母さんに見てもらう。そのために、絶対呪いを解く。日常を取り戻す」
隆平は一息に言った。
今の隆平なら、一緒に視影へ行けるはずだ。祥吾は思った。皮肉にも、呪いが発動したことで母親という障害が消えた。そして隆平は強くなった。もう自由に動ける。
全員で視影に行ける。
「実は、計画があるんだ」
祥吾はこれまでに知り得たことすべてを隆平に話した。
過去に視影で起きた事件と、珠代の存在。
理不尽な死を迎え、人々を恨むようになった珠代が、自分たちに呪いをかけたこと。
珠代の魂を鎮めることで、呪いが解けるのではないか。
そして、彼女の血縁者である辺見の存在。辺見も一緒に供養がしたいと言ってくれていること。
「呪いを解くために、俺たちはまた珠代さんに会わないといけない」
そう告げると、一瞬の迷いもなく隆平は答えた。
「僕も行く」
これで万事がいい方向に転がりだした。
そう思った矢先、今度は圭太の元に不幸が舞いこんだ。
今日の昼間、圭太の祖母が緊急入院したという連絡が入ったのだ。