46話 母、襲来
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隆平の母が、人差し指を突き立てる。
自宅のインターホンが押される瞬間を、圭太はなすすべもなく見送った。
対応に出てきた圭太の母は、項垂れる息子を見て、困惑の表情を浮かべた。
圭太は泣き出したいような気持ちだった。どうしてあのとき、物音なんて立ててしまったのだろう。祥吾のように華麗に塀を飛び越えられていれば、隆平の母に気づかれることもなかったかもしれない。
メモを拾うため、遠野家の裏庭に侵入したところを、隆平の母に見咎められた。直接親御さんに抗議すると言われ、圭太は自宅まで引っ張って来られたのだった。
隆平の母が口を開く。
「先程、お宅の息子さんがうちの裏庭に侵入しているところを見つけました」
「え……」
圭太の母は一瞬、虚を突かれたような顔になった。だがすぐに息子を睨みつけ、
「何をやっているのあんたは!」
低い声で叱りつけた。
「ごめん……」
「ごめんじゃないわよ」
相手に向き直ると、圭太の母は深々と頭を下げた。
「息子がご迷惑をおかけしました」
隆平の母は怖い顔をしたまま、何も言わない。
圭太の母は、おずおずと切り出した。
「それで、あの、息子がお宅の庭で何か壊したとか……?」
「壊したものがなければ、抗議しに来ちゃいけませんか?」
瞬時に問い返され、圭太の母は身を強張らせた。
「いえいえ、決してそんな意味で言ったんじゃないんです。……すみません」
「お宅がまったく理解していないようなので直接お話に来たんです。わたし、一昨日お宅にご連絡しましたよね? うちの隆平は今大事なときだから、邪魔をしないでほしいと。隆平に関わるのはやめてほしいと、そうお伝えしましたよね?」
「はい……」
「それで、息子さんにはどういった指導を? こっそり裏庭から侵入して隆平に会いに行けとでも? お宅ではそうした指導をなさったのですか?」
「いいえ、まさか」
圭太の母は慌てて首を振った。
「お宅ではどうか知りませんけどね、うちでは息子の将来を一番に考えているんです。間違いを犯してほしくないんです。息子の障害になりそうな物があれば、直ちに取り除いてやるのが母親の役目というものでしょう。はっきり言いますね、お宅の息子さんには今後一切隆平に関わってほしくないとわたしは考えています。八幡さん、どうかこれからはしっかり息子さんの行動に目を光らせておいてくださいね」
隆平の母は肩をいからせ、言い放った。
「今度うちに侵入したら警察を呼びますから。いいですね?」
「本当に、申し訳ありませんでした……」
圭太の母は青ざめた顔で、再度頭を下げた。息子を見やり、「ほら、圭太も」と促す。
「謝りなさい、圭太」
「いや、もう何度も謝ったんだけど」
「謝りなさい」
母は静かに繰り返した。
少しの間睨み合い、圭太は母から視線を逸らした。すると、通りを走ってくる隆平の姿が目に入った。
「……ごめんなさい」
すぐさま圭太は頭を下げた。隆平の母に向けてではない。自分のせいで責められている母親へ向けて。そして今、自分のために駆け付けようとしてくれている隆平に向けての謝罪だった。
「ごめんなさい、もうしません」
隆平の母は、態度を弱めなかった。
「当たり前です。本当にあんなこと、今日限りにしてちょうだい」
と忌々しげに圭太を一瞥した後、
「それでは八幡さん、お約束していただけますね?」
圭太の母のほうへと視線を向けた。
「はい。息子には二度とお宅の庭に無断で入らないよう、よく言い聞かせます」
「いいえ、そういうお話ではなくて……」
隆平の母はこめかみの辺りに指先を添え、大げさに頭を振ってみせた。
「これからはきちんと息子さんの行動に目を光らせて、うちの隆平に近づけさせないというお約束ですよ」
そのとき、玄関ポーチに駆けこんできた隆平が叫んだ。
「母さんもうやめてよ!」
「隆平? どうして来たの? 母さんが話をつけるから、あなたは家で待っていなさいと言ったでしょう?」
息子の姿を見て、隆平の母は眉をひそめた。
「戻りなさい隆平。あなたには外を出歩いている時間なんてないはずよ」
「嫌だよ。だってこんなのおかしいよ。なんで圭太が怒られてるの? 圭太は何も悪くないのに」
「うちの庭に侵入したでしょう」
「そんなのよくあることだよ。みんなふらっとひとんちの庭に寄って、お裾分けの野菜置いていったりしてるよ。圭太は見ず知らずの人じゃない、僕の友達なんだし、ちょっと裏庭に入ったくらいでそんなふうに怒らないでよ」
「他人の家の敷地に勝手に入ることが、よくあることなの? ここではそれが普通なの?」
「そうだよ」
ふん、と隆平の母は息をもらした。
「何よそれ、全然普通じゃないわよ。異常よ。だから田舎って嫌」
「そうやってすぐ田舎田舎言って背を向けて、肝心なものは何も見ようとしないで、異常なのは母さんのほうだよ」
「異常? へえ、そうなの……隆平もやっぱり母さんが悪いと言うのね。誰のためにわたしが毎日頑張ってるのか、全然わかってくれないのね! この恩知らず!」
「母さん、論点をすり替えないで。僕もうこんなやりとり繰り返したくないんだよ」
隆平とその母が言い争う声は、徐々に大きくなっていった。
「あの、家の中に病人がいるので、少し声を抑えてもらえますか?」
圭太の母の訴えは、隆平親子の声にかき消された。
圭太も、家の中で寝ている祖母が心配になった。ここでの会話は、祖母の耳にまで届いているだろう。何が起こったのだろうかと、ベッドの上で気を揉んでいるかもしれない。
「隆平くん!」
親子に割って入るようにして、圭太の母は強く呼びかけた。
「はい」
隆平が返事をする。
隆平の母が顔をしかめた。息子に要らぬことを吹きこむのではと、警戒する表情だった。
圭太の母は構わず、隆平に問いかけた。
「隆平くん自身はどう思っているの? うちの圭太のこと、嫌いになっちゃった? もう圭太と関りたくない? 圭太とは友達じゃない? お母さんの意見じゃなくて、隆平くんの気持ちを聞かせてくれない?」




