42話 珠代
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座卓の下で、圭太はしびれた足をそろりと崩した。
奥野の話はまだ核心に触れない。珠代姉ちゃんいう人が、なぜバケモノとなって自分たちに呪いをかけたのか。手がかりになりそうな情報は出てこない。
奥野はまず、珠代が視影に来ることになった経緯を語った。
今から六十八年前、恋人に裏切られ、住民らから迫害を受けた後、呪詛の言葉を残して姿を消した娘がいた。間もなく、視影に不可解な死が広まった。
これは娘の呪いではないのか。住民は恐れた。そこで視影の有力者たちは相談し、娘の魂を鎮めるための儀式を執り行うことを決めた。
儀式のため、遠方から巫女が呼ばれた。
珠代だ。
「そんでなあ、儀式当日まで、おれんとこで珠代姉ちゃんを預かることになったんだあ。歳が近かったから、おれらはすぐ仲良くなってねえ。珠代姉ちゃんは目が見えん人だったけど、そのぶん想像力が豊かだった。自分で考えたっていう物語を、よおくおれに語ってくれたよ」
「目が、見えなかった?」
ぴくりと祥吾が反応した。
「だからばあちゃんは、俺たちが山で出会ったものの話を聞いてすぐ、珠代さんの名前を挙げたんだね」
あ、と圭太は心の中で声を上げた。四年前、バケモノに迫られたときのことを思い出した。目と鼻の先にいる圭太を、バケモノは捕まえ損なった。その後で圭太は明充から、バケモノが目ではなく耳で自分たちの位置を探っているのだと教えられた。
珠代も目が不自由だった。となれば、やはりバケモノの正体は彼女と考えていいだろう。
「せっちゃんと珠代姉ちゃんは、友達だったんだね」
望が無邪気に言う。
奥野は昔を懐かしむかのように、視線を遠くへ投げた。
「やさしい人だった。故郷に妹がいると言ってた。そんだから、おれのことも妹のように可愛がってくれたんだねえ。おれには姉ちゃんて人がいなかったら、嬉しくて嬉しくて。そうだ、おれは珠代姉ちゃんに揃いの鈴を渡したんだ」
「友達の証?」
望の問いかけに、奥野は深くうなずいた。
「儀式が終われば、珠代姉ちゃんは故郷に帰ってしまう。そんでも、ずっと友達でいようって約束したんだあ。離れていても、鈴を鳴らせばお互い思い出せるように……」
そこで奥野は声を詰まらせた。圭太は立ち上がり、奥野の横に移動した。そっと背中をさする。
奥野は眼鏡を外すと、指先で目元を押さえた。
「儀式の日の朝、おれは珠代姉ちゃんを山の神社まで送っていった。そこで神主らに挨拶してから、珠代姉ちゃんはひとりで山に入っていった。山ん中で丸一日かけて、娘の不幸な魂に語りかけるのが役目だと聞いた。おれはまた明日って言って、珠代姉ちゃんを送りだしたんだあ。珠代姉ちゃんもまた明日ねって、笑ってくれた」
それが珠代姉ちゃんとの最後の会話になるなんて、思いもしなかった。奥野は震える声で続けた。
「夜が明けて、おれは神社まで珠代姉ちゃんを迎えに行った。珠代姉ちゃんはなかなか戻ってこなかった。神主らも現れんで、何かおかしいなと思ったんだあ。儀式が長引いているのかもしれんとも考えた」
少し様子を窺うつもりで、奥野は山に踏み入ったのだという。そこで重鎮らが数人、集まっているのを見つけた。彼らはどこか後ろ暗そうな顔で、ひそひそと話している。奥野は耳を澄ませた。彼らの口から「生贄」という言葉が出るのを聞いた。「生贄を捧げたのだから、もう大丈夫だろう」と。
恐ろしくなって、奥野はその場を離れた。神社で待っていると、重鎮らが山から出てきて、奥野に告げた。どうやら巫女の娘は、儀式を放り出してどこかへ逃げてしまったらしい。
珠代は姿を消した。
「だけんど、おれは納得できんかった。珠代姉ちゃんは途中で役目を放り出すような人じゃねえと思った。土地勘もねえ、目も見えん珠代姉ちゃんが、どうして逃げ出せるっていうんだ。あの方らは嘘をついてるんじゃねえべか。珠代姉ちゃんはやっぱりあの日、生贄にされたんだ」