異世界医療改革『挫折』録
「この世界の医術は、随分遅れてますね…」
父に頼んで大図書館から取り寄せてもらった本を閉じてユーリはそう呟いた。科学的な物質を用い、体の構造を把握して行う現代の医療とは異なる、魔法という特殊な力を使った医療。そんな呪術まがいのものについため息が出た。
前世はファンタジーなんて興味は無かったが、魔法という力の存在する物語のことを聞いたことぐらいはある。ハリー・ポッターを見て友達と魔法をかけ合ったのはいい思い出だ。
だが、まさか自分がその世界で生まれ変わることになるとはユーリは思っても見なかった。しかも、前世とは逆の男性の体で。
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現実世界での最後の光景を、生まれてすぐに意識があったユーリは鮮明に思い出していた。
「楓先生、また患者です!」
「手術室を開けて!先に処置する!」
「ですがベッドが足りません!」
「院長がどうにかする。私達の仕事は一人でも直すことよ」
日本で急激に広まっている病、テデスト病、別名、骨異常成長病。感染病として人から人へと移る病でありながら、体の内部でミクロの影響を起こすのではなく、骨の異常な成長という今までの感染症に無かった影響を及ぼす病。
今の所明確な治療、予防法は見つかっておらず、発症した部位を手術によって切除することでその後の異常な成長を妨げることしかできていない。
特に驚異的なのはその感染力と、骨の成長の速度。感染して2日で骨が日常生活に異常をきたすほどに成長する。
一方で致死率は低く、奇妙な病、感染症として恐れられながらも対策が遅れている原因ともなっている。
治療が優先されるのは胴体、内蔵近くの骨で発症した場合だ。肥大した骨が内蔵を圧迫したり突き破る危険性がある。
新たな患者を手術するため、数十分前に脱いだ術衣に着替え、手術室の扉を潜ろうとして楓は倒れ込んだ。
足に力が入らない。足だけではない、腕も背中も、体を起こそうとしても体中の筋肉が答えない。
「先生!?大丈夫ですか?」
声は聞こえるものの、頭が上がらない。
そこでようやく楓は体の異変に気づいた。心臓の音が、聞こえない。何故か心臓が止まっている。そして胸から感じる鈍い痛み。
(ああ、肋骨か。気づかなかったな。ここまで速いとは)
患者を置いて逝くことを悔やみながら、楓の意識は闇に飲まれた。
そして、次目を開けたときには、自分を覗き込む一組の男女が見えたのだ。
それからしばらくは疑問だらけの毎日だったが、別の世界で生まれ変わったということだけはわかった。
生まれ変わったからと言って、ユーリがやりたいことに変わりはない。病気や怪我で苦しむ人々を助けたい。それだけを思ってかつて医者になったのだ。
医者以外にやりたいことなど無いし、二度目の人生でも、医療に携わろうと、そう思っていたのだが。
5歳の頃に風邪を引いたときに受けた治療にユーリは驚愕した。薬を飲んで治療したのではなく、魔術師を名乗る男がやってきて額に手を当て、何か呪文らしき言葉を唱えるとすぐに帰っていったのだ。
ユーリは朦朧とした意識の中、父と母が魔術師に礼を言っているのを見た。あんな呪術まがいの治療に礼を言うとは、と嫌な気持ちになった。
怪しい宗教的な治療にすがって死んでいった父の姿がフラッシュバックし、この世界に科学的な治療を広めると決めたのだ。
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ユーリの生まれ変わった世界には中世のヨーロッパのように貴族という特権階級が存在してるようであり、ユーリの家庭もそうであった。しかもかなり上級に位置するらしい。
そのため幼い頃からいろいろな教育を受け、9歳になって初めて大図書館という国中の書物が集められた建物に立ち入ることを許されてからは毎日のように通っている。
豪華な自宅にも少し本はあったが、物語や歴史の書物ばかりで医術に関するものは無かった。
最近は医療の歴史について書いている本を探して読んでいるのだが、あまりしっかりとした記述のある本がない。歴史の本に伝染病が起きた表記があるばかりで、具体的な病気やその治療法がのっていないのだ。
「父上に尋ねて探してみましょうか」
将来的には医療の道に進みたいと考えているし、そのことも含めて話しておけば早くから行動できるはずだ。
「ジーン、帰りましょう」
「かしこまりました」
後ろで控えていた執事に声をかけてユーリは立ち上がる。執事が馬車を呼びに行っている間に本棚に本を戻し、入口に向かった。
(まずは、僕の持ってる知識をまとめましょう。それがあるだけでこれからの医療が随分変わってくるはず)
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16歳になった春、ユーリは王都の小さな研究施設を訪れていた。
ずっと父に『魔法を用いない医療』について訴え続けた結果、理解は得られなかったもののこの世界での成人年齢である16歳になってからは自由にして構わないという許しを得ることができたのだ。
博識である父があちこちに尋ねたり調べてくれたが、現在は医療による病の治療が主で、ユーリの知っているような手法は取られていないらしい。
唯一、それに似た研究をしていそうなのが今ユーリが訪れている研究所だ。研究所と言っても、市井の人間が趣味でやっているだけで国からの援助を受けているわけではないらしい。
建物はごく普通の店のような形をしているが、窓は塞がれており中を覗き込むことはできない。
扉を叩くと、しばらくして古ぼけたローブを纏った40歳ぐらいの男性が顔を出した。
「ようこそ、僕の研究所へ、ユーリ君かな?」
「はい。ユーリ・アストルシアです。お世話になります」
「僕はローガン。話は聞いているよ。僕は僕でしたいことをしてるから自由にしてくれて構わないよ」
ローガンに続いてユーリが部屋に入ると、まず目に入ったのは様々な物の入った瓶や籠、そして怪しげな、だが前世でも見たことのある試験管のようなものだった。
父の言っていたとおり、ここでは魔法ではなく物質を用いた研究を行っているようだ。
(まずは、ここにあるものの把握から、ですね)
自由に外出することが許されなかった子供の間も、ユーリは家に取り寄せれるものや執事に頼んだものを使ってその性質を調べ続けていた。
結果判明したのは、この世界の物質は完全に前世とは一致しないが性質が似たものは多く存在している、ということだった。
例えばこの世界で調味料として使われているガルメ。水には全く溶けない。だが、たしかに前世の塩の味がしているし、特殊な液体同士を混ぜ合わせると水とガルメが出現する。器具のないこの世界で細かい分析は不可能だが、似た性質を持つ物質は確かに存在する以上ユーリの前世の薬は治療法は再現可能だとユーリは考えている。
手術という合理的な手段を広めていくためにも、まずは魔法に頼らない薬を作り、それを広めた上で現代医療の考え方を広める。
それがユーリの描いているこの世界の医療改革のプロセスだ。
だが、早速様々なものを使って実験を始める前にしておくことがある。
「あの、ローガンさん、少しお話を伺いたいんですがよろしいですか?」
机の上の試験管を眺めているローガンにユーリがそう声をかけるとローガンは気だるそうに答える。
「なんだい?」
「この世界で病気になったり怪我をしたときって、どうしているんですか?」
父や、執事達に聞いても『魔法で治す』としか答えを得ることができなかった。だが、仮にも研究をしているという眼の前の男なら何か知っているはずだ。
「そりゃもちろん魔法で治すんだけど、そう言うことじゃないよね、君が聞いてるのは」
「はい。魔法でどう治しているのか、本当に治せているのかを知りたいんです」
「そう言うのは、キョウスケが詳しいんだけど」
遅いね、とローガンが立ち上がりながら言う。
「キョウスケ、さんですか?」
「そうそう、ここに住み着いてるやつなんだけど、あいつも君と同じことを言ってたね。後は『手術』がどうとか。知り合いかい?」
『手術』。その単語を聞いてユーリの心臓が跳ねる。
(現代医療を知っている人?私みたいにこの世界に生まれ変わった人かも。でもそれならちゃんとした医療が広まっているはず…)
「えっと…」
ユーリが答えようとした直後、研究所の扉が激しく開かれる。
「やあ、キョウスケ。ちょうど君に…」
「怪我人だ」
キョウスケと呼ばれた若い男は、ローガンの言葉を切り捨てて研究室の奥へと向かう。
「怪我人!?」
未だ忘れられぬ前世の癖で、ユーリはキョウスケの後を追って研究室の奥の部屋へと入る。そこは簡素なベッドが一つと椅子、机が一つずつ置かれているだけの小さな部屋だった。
「何があったんですか?」
ユーリがそう声をかけると、キョウスケは抱えていた子供をベッドに寝かしながらちらりと目を向ける。
「お前は?」
「今日からここでお世話になる、ユーリ・アストルシアです」
「ああ、今日から来るっつってたやつか。なんでお前に怪我の様子を言ってやる必要がある?」
「それは…」
医者だったから、とユーリは言えない。前世がありしかもそれが別の世界であると知られたらどうなるかわからないし、何より信じてもらえると思えないからだ。
「僕も、人を治したいからです」
結局、無難な答えを口にする。胡散臭そうにそれを見ていたキョウスケだが、どうせ治療の間も口は開いてるのだとばかりに簡単に説明する。
「馬車の前に飛び出した孤児のガキだ。右足にでかい切り傷と左腕の骨折。ほかも何箇所か中でやってるな。ああ、腹も切ってんな。車輪が引っかかりやがったか?」
手際よく怪我した少女の服を剥いでいくキョウスケを、ユーリはあわてて止める。
「ま、まずは消毒をしないと!」
「ああ?いらねえよ素人は黙って見てろ」
(やっぱり、この世界じゃあ消毒の概念が広まってない!)
「違います。まずはあなたの手を綺麗にしないと、傷の処置をしても意味がないんです!細菌が、病気の原因が入り込んだら悪化します!」
ユーリの訴えを聞いても、キョウスケは少女の服を脱がす手を止めない。
「聞いてるんですか!?まずは消毒をッ!?」
一瞬で振り向いたキョウスケがユーリの胸ぐらを掴んで持ち上げていた。小柄なユーリの体は容易に宙に浮き、首元を釣り上げられて息ができないユーリはジタバタと暴れる。それを一切に意に介さずキョウスケは言い放つ。
「黙って見てろと言ったんだ。いくら魔術師でも、死んだ命は救えない。お前の話は後で聞いてやる」
ユーリの胸元から手を離し、キョウスケは怪我をした少女に向き直る。
床に手をついて荒く呼吸を繰り返すユーリの肩に、ローガンがそっと手を置く。
「大丈夫かい?」
荒い呼吸の下からユーリは尋ねる。
「何なんですか、この人。魔術師って、こんな人ばっかりなんですか」
「治療においては、王都でも10本の指に入るんじゃないかな。他は結構からっきしだけど」
「10本の指で…」
このレベルなのか、とユーリは言葉を飲み込む。この世界の医療のレベルを垣間見てしまい、改めてそのレベルの低さに愕然とした。
フラフラと、その場を後にしようとしたユーリに、治療をしながらキョウスケが声をかける。
「よく見ていろ。これがお前の知らない医療だ」
それを無視して立ち去ろうとするユーリに、ローガンが問いかける。
「見てかなくて良いのかい?君が人を治したいなら、彼の話を聞いておくのは役に立つと思うけどね」
その言葉が、ユーリの心に刺さる。少し迷った後、ユーリはその場に残ることを決めた。キョウスケがあまりにひどい治療をしたときには、殴ってでも自分が変わろうと決意して。
服を脱がし終えたキョウスケは、少女の左胸の下と額に手を当てしばらく動きを止める。何をしているのかとユーリが疑問に思っている間に彼は手をはなし、今度はナイフを手にした。
「『穏やかなる死をもたらし、彼を清めよ』」
そう呟くと、そのナイフで傷口の皮と肉を切り離していく。砂利などのゴミがついている部分は特に大きめに切り取っていく。
その光景を、ユーリは唇を噛みながら見つめる。心は、今すぐキョウスケを殴り倒して自分で治療しろと言っている。だが、頭は、彼の行動にも理由があるはずだと言っているのだ。
「『彼を彼に、障害を排せよ』」
ナイフをおき傷口に手をかざしたキョウスケがそう唱えると、少女の足の切り傷が淡く光る。
「『傷を癒やし、健全なる体を与えよ』」
キョウスケの手から放たれた淡い光が傷口にあたると、急激に傷口の周りの組織が成長し、傷口がふさがり初めた。
ユーリは、目を見張ってそれを見ていた。
(夢、じゃない、よね。トリックでもない。本当に魔法があるの?)
この世界に生まれてから、ユーリは魔法を見たことが無かった。それは、ユーリ自身が書物にふけっていたせいもあるが、この世界での魔法の普及具合のせいでもある。
足の傷を治療し終えたキョウスケは、今度は腹の傷の治療に取り掛かり、先程と同様に治してしまう。
その次に、明らかにおかしな方向を向いている左腕の治療に取り掛かる。
今度は左腕の手のひらと、先程手を当てていた左胸の下側に再び手を当て動きを止める。
15分ほどそうしていると、少女の左手が自然な形へと時間を巻き戻すように動き、通常の状態へと戻る。
最後に胸にも同じように手を当て、今度は20分ほどして手を離した。
「ローガン、なんか柔らかい布なかったか」
「君が普段くるまってる毛布ぐらいじゃないかな。僕のは綺麗とは言えないし」
「ちっ」
舌打ちをしたキョウスケは部屋を出ると、すぐに戻ってきた。手には毛布を抱えている。
「『持ち上げよ』」
キョウスケがそう唱えると少女の体が何の支えもなく宙に浮きあがる。キョウスケがその下に毛布を敷くと少女の体がゆっくりと下降し、ベッドの上に横たわる。
キョウスケは少女の体に毛布をかけてやってからユーリとローガンの方を振り向いた。
「相変わらず、見事な手際だったね」
「バーリー翁には敵わねえよ」
「彼は天才だからねえ。比べること自体が間違っていると言うか」
「ふん」
カラカラと笑いながら言うローガンに鼻を鳴らしたキョウスケは、今度は呆然と治療を見守っていたユーリに向き直る。
「ちょっと話がある。ついてこい」
「…わかりました」
ユーリが頷くのを確認したキョウスケはローガンに一声かける。
「ちょっと奥の部屋借りるぞ」
「またかい?君も大変だね」
「あんたがトラップみたいな研究所やってるからだろうが」
行くぞ、と不機嫌そうにユーリに声をかけると、研究所内の別の部屋に入る。そこは、小さな机が真ん中に一つと、椅子が二つ、他には鍋やパン、チーズなどの食材が置かれた部屋だった。
「ちょっと座って待ってろ」
促されて大人しく座るユーリを置いて、キョウスケは鍋を魔法の火にかける。宙に浮いた鍋の下に何も無い所から火が出ている光景は、ユーリの光景を釘付けにするには十分だった。
「お前もなんか食うか?」
「えっ」
「もう昼だ。腹減ってるだろ」
「は、はい」
ユーリが頷くと、今度はパンとチーズを鍋の横に浮かせて火で炙り、チーズがとろけてきたところで重ねて皿で受け止める。続いて鍋の下の火を消し、中身を木のコップに移してユーリの分と自分の分、机の上に並べる。
「食いながらですまねえな。治療の後は腹がへるんだ」
「あ、はい。別に大丈夫です」
「なら良かった」
いただきます、と手を合わせてキョウスケはパンにかじりつく。それを目にしたユーリは自分も手を合わせようとして驚きで固まった。
「い、まの、って…」
「ん、見慣れなかったか?俺の世界じゃあ飯の前はこうしてたんだが」
こともなげに言うキョウスケに、ユーリは慌てて尋ねる。
「え、じゃああ、あなたも…生まれ変わったんですか?」
「まあ、そうだな。俺はお前と違って一般庶民だったけどな」
「はあ…」
自分以外にも転生者がいたのか、とか、そんな簡単に言うことなのか、とか、ユーリの頭の中で言葉ばかりが踊る。
「聞きたいことがあったんだろ?」
「はい。けど、どこから聞いていいか…」
「そうだな。じゃあまずはさっきの治療の話からしようか」
そう言ってキョウスケは話し始める。
「まず消毒のことだが、きつく言ってしまって悪かったな。どうも治療のときは焦りで口が悪くなるんだ」
「だ、大丈夫です。ちょっと怖かったですけど…」
「悪かったって。それで、消毒がいらないって言った理由だが、この世界ってまず、お前のいた世界が俺と一緒だったかはわからないけど、そこであった感染症みたいなのが無いんだよな」
「感染症が、無い、ですか?」
「そう。この世界の人間ってみんな多少なりと魔力を体内に持ってるわけだが、それが免疫に役目をして細菌を弾いてしまうみたいなんだよな。細菌自体がもう殆ど存在してないから細かく検証はできてないんだが。その代わり魔力を餌にするウイルスみたいなのがいるから、それには気をつける必要があるんだ。後はそのままの他人の魔力も、体にとっては有害なものだ。ナイフを使う前に魔法を使ったのはそれを考えて前の患者の魔力を消すためだな。本来人間の魔力って肌の内側に押し込められてるものなんだが、怪我したりすると漏れてしまうんだ。だから…どうした?」
キョウスケの話を手で遮り、困惑を抑えながらユーリは尋ねる。
「魔力、ってこの世界にはそういうのが実在しているんですか?それに、それを持ってるって人間なんですか?別の生き物なんじゃ」
「あーそこからか。まあでも普通はそこからなのか」
一息つくとキョウスケはこの世界の人間について説明を始める。
「まず、俺とかお前のいた魔法のない世界の人間とこの世界の俺やお前みたいな人間は別物だ。流石に自分の体を切ったことは無いから知らないと思うが、内臓の形とか数からして俺の世界の人間とは違ったな」
「じゃあ、人間じゃないんですか?」
「いや、それがこの世界の人間だよ。まあ、あえて人間っていう単語にこだわる必要はないが、それがこの世界の普通だ。それで、後は魔力の話か」
「それも聞きたいです。魔力って、一体?」
「魔力ってのはエネルギーの一種だ。ただし、ちょっとあっちのエネルギーとは性質が異なる。例えば、あっちのエネルギーって言ったら食事からとるのが中心だったよな?」
「はい。他の栄養と一緒に取ってました」
「ああ。だがこの世界でも体を構築する栄養素とかは食事で取るし、動かすエネルギーも基本的には食事から取る。ただ、魔力は空気中の魔素って呼ばれるものから別の内臓が作ってるんだ」
「はあ…」
「まあ想像は難しいと思うが、そんなもんだ。要するに俺たちの知っているエネルギーとはまったく別のものってことだ。で、魔力の性質についてだが、詳しくは後で本を貸してやるから自分で読んでほしいんだが、魔力は基本的に一人ひとり全くの別物であり、かつ他の様々な栄養やエネルギーの代わりになることができる、ていう便利な代物だ」
話を聞いて頭に疑問を浮かべているユーリを見てキョウスケは少し笑ってから話を続ける。
「まあ後で何回でも本を読んでくれ。それより、医療についての話に移るんだが、結局の所俺たちのいた世界の薬や分子を考えた医療なんてのは全く流行ってない。魔力を使って手術っぽいことはしてるがな。薬とかを使って体の物質面に働きかけるぐらいなら、魔力を使うすべを学んでそれを使ったほうが治療は遥かに楽って話だ。例えば心臓の病気のやつを治療するのに、薬を使ってじっくり効果が出るのを待つぐらいなら、直接心臓を弄ってもとに戻したほうが早い。それがこの世界でならできるんだ」
想像を絶する話に、ユーリの頭の中はパニックになっていた。
「そのあたりのことが書いている本を貸してやるから、今日はもう帰れ。あんまり一度に詰め込んでも混乱するだろうしな」
そう言って席を立ったキョウスケは、一冊の本を持って戻ってきた。
「結構珍しい本だから大事にしてくれよ」
「は、はい…」
呆然としながらも、ユーリはその本を受けとる。ぼーっとしているその頭を、キョウスケは優しく撫でた。
「まあ、お前が思ってる医療とは違うだろうが、この世界でもちゃんと命を救う方法が確立されてるし、常に研究されてるんだ。お前も、二度目の人生何かやりたいことを見つけえればいい。ここに来た大概の奴はそうやってやりたいことを探しに行ったぞ」
「え、私の他にも、私みたいな人がいるんですか?」
「ここは珍しく物質を研究していると噂の場所だからな。お前みたいに現代のことを再現してやろうと来る奴は結構いる。大概は魔法が中心になったこの世界では意味のないものだったりするけどな」
「……」
「お前は、お前の生き方をもう一回探せばいい。本は好きなときに返してくれたら良いぞ。俺はもう読み終わったからな」
その後、心ここにあらずといった様子のユーリはローガンとキョウスケに挨拶をして、馬車で家へと戻った。腕に抱えている本の重さが身にしみる。
この世界で医療改革を現代医療を広めると息巻いていたが、そんな必要はなかったのだ。これから何をすれば良いのだろうか。それがユーリにはわからなかった。
(僕…私が、父上の後をついで貴族の一員になるの?それも良いかもね。もう、することは無くなったんだし)
ぼーっとしたユーリを心配する執事たちに休むことを告げ、着替えもそこそこにベッドに飛び込む。
ベッドに飛び込んでからもぐるぐると頭の中をいろんなことが飛び交って、なかなか眠りに落ちることができなかった。
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ユーリと話してから一週間後。キョウスケはドアを叩く音に目を覚ます。ローガンが応対してないのを確認して、かたわらのつい先日救った少女を起こさないように気をつけながら身を起こす。
定期的にドアを叩いているところをみると、ドアを叩いている人物は何か重要な用事があるようだ。
「はいはい、どちら様?…あ」
扉を開けたキョウスケは、扉の外に立っていた以外な顔につい声を漏らす。
「久しぶりだな。本を返しに来たのか?もっと遅くても良かったんだが」
尋ねながらも確信を持ってキョウスケが言うと、来客、ユーリは大きく首を振った。
「他にも用事があって来ました」
「用事?」
「僕にも、魔法を使った医療を教えて下さい」
決意と、確かな情熱を胸にユーリはそう告げる。
予想だにしなかっらユーリの言葉に、キョウスケは目を丸くした。
「この世界じゃあ、現代医療は通用しないし、必要ないんだぞ?」
「だから、魔法を使った医療を知りたいんです」
「別にそこまでしなくてもいいと思うがな」
キョウスケの言葉に、ユーリは再び首を振る。
「違いますよ」
「何がだ?」
顔に、見た人がつい微笑んでしまうような大輪の笑顔を浮かべながらユーリは言う。
「僕は、怪我や病気で困ってる人を助けたいんです。魔法か、現代医療かなんて関係ない。だから僕に、魔法を教えて下さい」
借りた本を読んで、何度も考えたユーリが見つけ直した本当の自分。その自分は、きっと笑顔で病や怪我に苦しむ人々を救って回るのだと。
笑いながら思いを告げるユーリを見たキョウスケは、自分が初めて魔法を学び始めた日を思い出していた。
『魔法を勉強すれば、人が助けれるのか?』
『魔法を勉強しなくても助けれるわい。魔法なんてのはほんの飾りじゃ。大事なのは、ここ』
『わかったから、俺にも魔法を教えてくれ』
『せっかちな小僧じゃのう。まあええわい。お前にもいつかわかる』
ここ。一度30半ばまで生きていたにも関わらず、あの頃のキョウスケはそれの大切さがわからなかった。
今ではわかる。この、目の前の少年はきっと、多くの人を救い笑顔にするのだろうと。
「わかった。朝飯食うから、中で待つか?」
「!はい!」
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医療にこだわった少年は、人を救うことを思い出し、一歩を踏み出した。
やがて彼は、世界中の人々に笑顔を与える青年へと成長するのだが、それはまた別の、物語。