ding dong~渡せなかったプレゼント~
ここはある地方都市にあるサナトリウム。海が見える小高い丘に建つ、長閑で空気の良い、僕みたいな病弱な人間が暮らすにはいい環境だと思う。何より冬が来るというのに暖かい。
今まで都会で暮らし普通の高校に通っていたけど、元々持っていた持病の喘息が悪化してしまい、療養の為にこの田舎のサナトリウムに入院する事になったんだ。
今は十一月に入ったばかりだけど、冷たい空気が器官に入ると、喘息の発作が起きやすい。季節の変わり目とか特にね。
だから掛かり付けの病院の先生が、より暖かいこの地方のサナトリウムを紹介してくれた。でも、殆ど病室で暮らす事になるのに、外の空気なんてあんまり関係ない気がするけどね。
僕の両親はとにかく忙しい人達で、日本全国どころか海外出張もしょっちゅうで、あんまり家にいる事がない。そんな両親も、僕が家で一人でいるよりも、こういった所に入院している方が安心なんだろうね。
「中々いいところだな。どうだ、ユウ、こっちに移住しちまうか?」
僕をユウと呼ぶこの人は父さんだ。今日は僕が入院するって事で、無理矢理スケジュールを開けてくれたんだ。母さんはどうしても外せない海外出張があって来られないらしい。随分と謝ってたな。
結局殆ど家にいないんだから、家がどこにあっても一緒だろ。そう言って父さんが笑う。
それもそうだなと思い、僕も釣られて笑ってしまった。
父さんの運転で乗って来た車を駐車場に停めて、サナトリウムの中へと入り入院の手続きをする。手荷物は着替えくらい、後はスマホとタブレットPC。そしてWi-Fiルーター。その他の必要な物は、殆ど院内の売店やコンビニで賄えるらしい。
父さんと一緒に手続きを終え、僕は自分の部屋へ案内された。
「個室なの?」
てっきり、四人部屋とか六人部屋みたいなものを想像していた僕は、思わず目を白黒させてしまった。
バストイレ、洗面所。それに冷蔵庫にテレビ。キャビネットまである。空調も完璧だ。ベッドは所謂介護用のヤツで、リモコンで頭と足の方を上下出来る。
介護用ベッドを除けば、まるでビジネスホテルみたいだと僕は思った。
「父さん、こんな豪華な部屋、いいの?」
僕の豪華という一言が可笑しかったのか、引率してきた看護師さんと父さんが噴き出した。
「ここには感染症の方もいるし、ストレスが疾病を悪化させる場合もあるから、全室個室なの。これからは自分のお家だと思ってここで暮らしてもらわなきゃならないしね」
なるほど、看護師さんの言葉に僕は深く納得してしまった。
「私が今日から君を担当する須川 那美です。よろしくね、寺川 裕君」
「はい。こちらこそ、宜しくお願いします、須川さん」
「あら、那美でいいわよ、ユウ君。 それじゃあ、何かあったら呼び出してね? ナースコールのボタン、枕元にあるから」
それだけ言うと、那美さんは病室から出て行った。一人で何人の担当を受け持っているのか分からないけど、忙しいんだろうなぁ。
それから僕は、施設のパンフレットに目を通しながら、サナトリウム指定のパジャマに着替え、寒くならないようにジップアップのパーカを羽織る。
「それじゃあユウ、俺はそろそろ行くが、大丈夫か?」
「うん、問題ない。僕が一人でいるのなんて、いつもの事じゃん」
「ははは、そいつは手厳しいな。まあ、可愛い看護師さんが担当で良かったじゃないか。ちゃんという事を聞くんだぞ?」
「もう、分かってるって!」
そんな会話をして、父さんも病室から出て行った。
さて、急に暇になっちゃったな……
僕は貴重品をキャビネットにしまい、鍵をかけた。その鍵を手首にかけて、スマホと小銭入れだけを持って病室を出る。せっかく海が見えるんだし、屋上へ行ってみようかな。
僕の部屋は五階にあって、病室からでも海は見える。でもどうせなら、遮蔽物のないパノラマで見たいと思ったんだ。
病棟の最上階までエレベーターで行き、そこからは階段を登って屋上に上がる。屋上はぐるりと高いフェンスに囲まれてはいるけど、見晴らしはいい。すごく開放感がある。
そこで僕は出会ったんだ。
寒そうに身を抱きながら栗色の長い髪を潮風に靡かせて、太陽を反射して煌めく海を見ている彼女に。
抜けるように白い肌は、寒さで薄っすらと頬がピンク色に染まっていた。時折長いまつ毛をが上下に振れているけど、視線は飽きもせず煌めく海に固定されたまま。
そして僕も、潮風に溶けてしまいそうなほど儚げなその少女の横顔から目が離せず、じっと見つめてしまった。
「あら?」
ヤバっ!
僕があまりにも不躾に見つめすぎていたせいか、彼女が僕の視線に気付いてしまった。
「こんにちは!」
彼女はにっこり笑いながら声を掛けてくれた。横顔からは分からなかった、その少女の綺麗な顔立ちに僕は狼狽えてしまい、とっさに挨拶を返す事もできない。
「新しく入所してきた人?」
「あ、うん。今日入ったばかりで、建物の中を探索してたんだ。というか、なぜ新入りって分かったの?」
あまりにも自然に、まるで以前からの知り合いのように、すっと僕の心の中に入ってくる。不思議な子だ。
にっこりと笑みを浮かべながら問いかけてきた彼女に、僕の心はノーガードだ。挨拶も、敬語を使う事すらも忘れて自然に口から言葉が流れ出た。
「うふふっ、このサナトリウムはおじいちゃんおばあちゃんが多くて、若い人は殆どいないの」
クスクス笑いながらの彼女の答えに、僕はなるほどと思った。
確かに若い人がこういう施設の中で生活するのは珍しいかもしれない。という事は、彼女もかなり重症なんだろうな。
「私、裕愛っていうの。裕福の裕に、愛情の愛ね! 十五歳の女の子! 本当なら、来年から高校生だったんだけどなー」
僕は彼女の自己紹介を苦笑しながら聞いていた。君みたいな美少女顔の男子がいてたまるか。ちゃんと女の子にしか見えないから大丈夫だよ。
歳は僕より一つ下なのか。口ぶりからすると、高校には通えないみたいだけど……
「僕は裕。君と同じ、裕福の裕だね。十六歳。高一だよ」
「わああ! 私と同じ字なんだぁ。同じくらいの歳の人ほとんどいないから、仲良くしてくれたら嬉しいな! ユウ君?」
また、僕の心の壁なんて無かったかのようにスッと入り込んでくる。彼女に警戒心がないのか、僕が人畜無害に見えるのか。
「僕も、友達になってくれたら嬉しいかな。えっと……ユアちゃん?」
「あはは! 嬉しい。よろしく、ユウ君!」
その日から、彼女と一緒にいる事が、僕の日常になった。
「寒くなるから戻ろっか」
「うん!」
僕はそんなに人付き合いが上手い方じゃない。人見知りもまあまあする。でもこのユアちゃんは、まるで昔からの友達のような気軽さで接してくる。もしかしたら、本当に幼馴染か、前世で知り合いだったか、そんな錯覚を覚えるほどだ。
「な~んか、ユウ君て、他人の感じがしない~。あははっ」
屋上から下に降りる階段で、ユアちゃんがそんな事を言うもんだから、思わずドキリとしちゃったよ。心が読まれてるのかな?
「昔からね、知ってるような気がするの」
「奇遇だね。僕もそう思ってた」
そう言いながら僕達は顔を見合わせた。
「あははっ! 実は前世で何か約束してたりしてねー」
そんな事があるもんか。そう思いながらも、彼女も僕と同じことを考えていた事で、もしかしたらとも思ってしまう。
「何階?」
僕達はお互い冗談めかした会話で笑い合いながら、エレベーターへと乗り込んだ。
「五階で」
「あ、僕と一緒だね」
「へー、何号室? 私は505号室!」
「あ、僕は506だよ! お隣かな?」
――ホントに奇遇だねー、やっぱり前世で何か約束してたのかなー?
そう言って笑う彼女の顔が眩しくて。僕は初めて、胸のときめきというヤツを感じたんだ。
「じゃあ、また後でね」
506号室の前まで来て別れようとすると、彼女が引き止めてくる。
「あ、ちょっと待ってて?」
そう言いながら彼女は慌てて部屋の中へ行ったかと思うと、すぐにパタパタとスリッパの音を立てながら出てきた。手には可愛い猫のデザインが描かれたスマホケースを持っている。
「ねえユウ君、教えて?」
そう言いながらスマホを差し出してきた。
えっと、番号だろうか。それともメアド? いや、SNSかな?
僕がそれを確認すると、彼女はちょっと困ったような顔で言った。
「う~ん、私、よく分からないの。でも、お互いお部屋にいてもこっそりお話できるように、メールができるのがいいな!」
あはは。なるほど、病室で堂々と通話してたら叱られるかも知れないね。
それで僕は、通話とチャットが出来るSNSアプリを彼女のスマホに入れて、お互いのアカウントを登録した。
「これでいつでも通話とチャットが出来るよ」
「わあい! ありがとう。わたし、こういうお友達初めてだからすごく嬉しい! それじゃあ、後で連絡するね!」
何となく、背中を見ただけでウキウキしているのが分かるくらい上機嫌で、ユアちゃんは部屋に戻っていった。
僕も部屋に戻ってうがいと手洗いをし、ベッドに身体を投げ出したところでスマホに通知が入る。早速ユアちゃんからメッセージが届いたみたいだ。
【こんにちは。今日は友達になってくれてありがとう。初めてだから使い方がよく分からなくて、時間が掛かっちゃった! えへ☆】
それだけの短いメッセージ。絵文字や顔文字を一切使っていないのが、本当に初めてなんだなって思わせる。
それに僕も、短くメッセージを返した。
【こちらこそありがとう。入所初日から友達が出来て、凄く嬉しいよ。これからもよろしくね!】
僕も絵文字の類は使わない。元々僕だって頻繁にメールをする相手とかいなかったし、絵文字だって詳しい訳じゃないからね。このくらいシンプルな方がやりやすいよ。
それから僕達は何度も何度もメッセージを交換し、取り留めのない会話を続けたんだ。自分の事、相手の事、聞きたい事は何でも聞いたし、聞かれた事は話せる範囲で何でも答えた。
毎日毎日、担当の那美さんに叱られるまで僕達は話し込んだ。そして僕達はいつしか、まるで自分の事のように相手の事を深く知るようになったんだ。
ユアちゃんはかなり重篤な症状だったようで、物心ついた頃から入院生活だったらしい。三年程前にこのサナトリウムに転院してきたみたいだけど、事情は僕と似たような感じだった。
都会の汚れた空気を避ける目的と、そして両親がいない事。幼い頃に死別したらしく、おばあちゃんが保護者代わりだったそうだ。でもそのおばあちゃんが三年前に亡くなってしまい、親族会議の末ここに入所する事になったと。
そしてここは空気がよくて自然が多く、温暖。しかも通信設備が整っていて、インターネットによる通信教育も可能。殆ど学校へ通えなかったというユアちゃんにとって、この通信教育というのは重要な要素だっただろうね。
また、これは仕方のない事なんだけど、彼女は外の世界の事を殆ど知らない。もちろんテレビやネット、本などから得られる情報は知っていても、世の中のリアルな事に関してはあまり分かっていない。良く言っても悪く言っても世間知らず。だからあんなに素直に自分の気持ちを表に出せるのかも知れないけどね。
そのせいか、僕は、たまに思いも寄らない質問を受けたりする事があった。
「ねえ、ユウ君、クリスマスって、本当は何をする日なの?」
ある天気の良い日の午後、僕達は屋上で海を眺めながら他愛もない会話をしていた。その時に飛び出したユアちゃんの質問だ。
多分、キリストの誕生を祝う祭りだとか、そういう事を聞きたいんじゃないだろうな。
僕は答えを考えながら、内心そう思った。街で家族や恋人と過ごすクリスマスは、一体どんなものなんだろう。そういう事を知りたいんだろうなと結論付けた。
でも、僕にもそれは答える事が出来ない。両親と過ごした記憶もあんまりないし、友達とわいわいと騒いだ記憶もない。
一人ぼっちの家で、何となく食べなきゃいけなぁっていう気持ちで買ってきた、どうしても食べたい訳でもないショートケーキとチキンを食べて。両親から届けられたクリスマスプレゼントとメッセージカードを開いて。
それだけの日だった。
「ごめん。僕にもよくわかんないや。あはは」
頭を掻きながら、誤魔化すように笑う。
「ここのクリスマスはね、ご飯がいつもより豪華になるの。ケーキも付いてくるんだよ!」
ユアちゃんが嬉しそうに言った。
「あとね、那美さんがお化粧教えてくれたりするの!」
ユアちゃん。君は化粧なんかしなくても、とても綺麗だよ。
僕にそんな事を言える勇気があれば、もっと友達がたくさん出来ていたかな。そんな事を思いながら、ユアちゃんの微笑ましい話を聞いていた。
そこで僕は一つの事に気付いた。ユアちゃんと一緒に過ごすクリスマスは、きっと楽しいだろうなと。
特に何かをするから嬉しいんじゃなくて。
クリスマスという日に、一緒に過ごす事が出来たら、ただそれだけで幸せなんじゃないかって。
そんな事を考えるくらいに、僕はユアちゃんに惹かれていたんだ。
「……クリスマスって、大事な人と、一緒に過ごす為の日かも知れないね」
ユアちゃんにストレートに想いを告げられないヘタレな僕は、ユアちゃんの反応を見るような、遠回しな発言をしてしまった。僕の方が年上なのに、本当にヘタレで自分が嫌になる。
「あはっ、それなら私、ユウ君と一緒がいいな!」
そんな、僕にとって完璧な答えを返してきた彼女の笑顔は無邪気でとても眩しかった。
「よし、これがいいかな?」
僕はタブレットPCであるものを物色していた。
クリスマスイブまであと二週間程。ユアちゃんにクリスマスのプレゼントをするつもりで、彼女に似合いそうなアクセサリーを見ていたんだ。
「あら、こっちの方が可愛いわよ?」
端末の画面をのぞき込みながら、那美さんが僕とは違うものを指差した。
……なんで一緒に見てるのさ、那美さん。
「あの、一応僕はまだ高校生なので、こんなブランド物なんて買えませんよ」
「まあ、そうよね。それにあんまり高価なものは貰う方も遠慮しちゃうわね~、まだ学生だし」
もう、僕が誰に渡すかバレバレな感じだよね。
「あ、これにしようかな!」
ページをスクロールさせていくと、可愛らしいデザインのシルバーリングが目に入った。小さいピンクの石が三つはめ込まれている。うん、これなら値段も手ごろだし、貰う方も気が楽じゃないかな?
「あら、それ可愛いわね! ところでユウ君、指のサイズは知ってるの?」
「……さいず? あーっ!」
そうだ! 僕そんな事も考えないで何やってんだろ? どうしよう、ネックレスとかの方がいいのかな?
「もう、ユウくんったら仕方ないなぁ。ここはお姉さんが後で聞いといてあげよう! あ、ネックレスとかはダメだよ? レントゲンとかの時外さなきゃいけないから面倒!」
うう……考えが読まれてるのかな。
「すみません、お願いします……」
那美さんが言う事はいちいちもっともで、僕は素直にお願いした。那美さんはウインクしながら僕に言う。
「はっはっは。お姉さんに任せなさい! でも、お姉さんもクリスマスにサンタさん来てほしいな?」
……僕はその日、アクセサリーをふたつ、クリックする羽目になった。
今日は天気が悪くて風も強い。こんな日はさすがに屋上から海を眺める事はしないで、僕とユアちゃんは多目的ホールの片隅で雑談をしていた。
サナトリウム、病院、介護ホーム……様々な側面を持つこの施設は、入所している人達が集まってレクリエーションなどをする為のホールがあるんだよね。
僕達の他には、おじいさんが二人、碁盤を挟んで石を打つ音を響かせていたり、おばあさんがテレビを見ていたりしている。そして僕達は、海が見える窓際に座り、温かいペットボトルのミルクティーを飲んでいた。
「ね、ユウ君、クリスマスの時期って、街中はどんな感じなの?」
曇った空に灰色の海。そんなモノクロの景色は見飽きてしまったのか、ユアちゃんがそんな事を聞いてきた。
お店はクリスマス仕様にデコレーションされ、至る所からクリスマスソングが聞こえてくる。なんだかそれだけで浮かれた気分になりそうな、あの独特の雰囲気。店員さんがサンタやトナカイのコスチュームでお仕事をしているお店もある。
僕はそんな事をユアちゃんに話したあと、苦笑を浮かべながらこう言ったんだ。
「でも、家に帰って一人になると、逆に寂しいというか虚しいというか。浮かれた世間と家の静かさのギャップが凄いんだよね、アハハ」
そんな僕の事を、ユアちゃんはくりりとした瞳でじっと見ていた。
「ねえ、イブの日さあ、二人で外出許可貰って、街にいってみようよ! それで、ここに二人で戻ってきたら、寂しくないよ?」
そしてユアちゃんは目尻を下げてニッコリと笑う。
「私、クリスマスの街並みの中、歩いた事ないから楽しみ! ハンバーガーとか食べてみたい!」
そうか……このサナトリウムの中の世界が全て。ユアちゃんとってはそうだった。ハンバーガーショップのチェーン店で食べる事すら楽しみな事。
「よし、二人でウインドゥショッピングして、お昼ご飯たべて、クリスマスデートしようか」
僕は何気なく言ったつもりだった。恋人同士じゃない。告白した訳でもない。ユアちゃんは、他に同世代の友達がいないから、僕に懐いていただけかもしれない。
それに気付いた時、僕はなんて迂闊な事を言ってしまったんだと後悔した。
「デート?」
ほら、ユアちゃんが頭にクエスチョンマークをたくさん浮かべて首を傾げているよ。どうしよう……
「どうしよう……私、デートなんてしたことない……でも! ユウ君とデート! 楽しみ!」
いや、僕もデートなんてしたことないんだけどね……
「那美さんにお願いしておめかししていくよ! ユウ君とデート! 約束だよ?」
僕の心配とは裏腹に、めちゃくちゃテンションが上がったユアちゃんは、僕の小指と自分の小指を絡めた。
「ゆーびきーりげーんまん!」
この時のユアちゃんの満面の笑みは、生涯忘れる事はないだろうと思った。それくらい眩しくて、鮮やかに網膜に焼き付けられた。
イブまであと一週間。ネットで注文していたアクセサリーが届いて、僕はどんなタイミングで渡そうか、それを考えるとソワソワしちゃう。
那美さんにはクリスマスプレゼントじゃなく、日ごろのお礼としてイヤリングを献上した。これからもいろいろとお世話になるだろうしね。そう、ユアちゃんの事で。
「あら、嬉しい! 男の子からプレゼントなんて久しぶり!」
へえ、那美さんて彼氏いないのかなぁ。可愛いし優しいし、モテそうなんだけどね。
「ところで那美さん、二十四日、外出許可欲しいんですけど」
「ふ~ん? 奇遇ねえ。ユアちゃんも外出許可申請してきたんだけど、あらあら~? 偶然かしらね~?」
ああ、そうだった。この人は僕の担当だけど、ユアちゃんの担当でもあるんだった。ニタニタした笑いが思い切りいやらしいなぁ。
「はいはい、一応確認してみるけど、許可が下りても無理しちゃダメだからね? あ~もう、若いっていいわね」
そうして僕は、外出許可申請書に記入した。
ん? 目的? そういうのも書かなきゃダメなんだ?
う~ん……
【外出の目的】
デート
へへへ。これでいいかな?
明日はイブ。
そう思うと気分が昂って中々寝付けない。
僕はスマホを何となく弄りながら、特に用がある訳でもないのにユアちゃんにメッセージを送ってみた。
【明日は約束の日だね! 緊張して眠れないよ(笑)】
だけど、そのメッセージに返信が来ることはなく、しばらく時間が過ぎていく。
疲れて眠ってしまったのかもしれない。
やがて僕は眠りにおちた。
――ガラガラガラ……
静まり返った院内に響く、扉を開く音。そして数人分の足音で僕は目が覚めた。時計を見るとまだ夜明け前。
何かあったのかな?
寝ぼけた頭では状況を正確に把握できる訳もなく、僕は再び眠りについた。
「ユウ君、おはよう」
僕の部屋に入って来たのはいつもの那美さんではなく、違う看護師さんだった。
「須川さんね、ユアちゃんの付き添いで……」
「……え? ユアちゃんがどうかしたんですか!?」
僕は掴みかからんばかりの勢いで、その看護師さんを問い詰めた。ユアちゃんがどうしたっていうんだ?
「ユウ君! 落ち着いて!」
「……すみませんでした」
看護師さんに強い口調で窘められ、僕は崩れるようにベッドに腰かけた。
「今朝早く、ユアちゃんの発作が酷くなってね。とりあえず落ち着いたんだけど、設備の整った大きな病院で手術しなくちゃいけなくなって……それで須川さんも付き添って行ったのよ」
ちょっと待って。
何がなんだか、いろんな事が頭の中で錯綜して、訳が分からない。
今日はユアちゃんと街に出かけて、デートの予定だったんだ。でも、そのユアちゃんがいない?
そして手術ってなにさ? 慌ただしく転院していったって事は、危険な状態って事じゃないの?
分からない。
分からないよ……
「いつ……戻ってくるんですか?」
僕はやっとの事で、それだけを絞り出すように言った。だけど看護師さんは無言で首を横に振るだけ。
「ごめんなさい。私も担当じゃないから詳しい事は分からないし、言えないの。でも、これを預かってるわ」
看護師さんから渡されたのは、紙袋。
「あんまり気を落としちゃダメよ?」
そう言って看護師さんが部屋を出ていく。
僕はといえば、空虚。自分の中の大切なものが、ぽっかりと抜け落ちたみたいだ。
ユアちゃんがいない。
いつも一緒にいた。ここにきて約一か月半、毎日沢山の時間を共に過ごしてきた。今までの人生で、これだけの時間を共に過ごしてきた人はいない。
現実とは思えない時間の流れの中で、現実ではどれくらいの時間が流れたのだろうか。僕は手に持っていたことさえ忘れていた、紙袋の存在に気付いた。
預かっていた――誰からだろう?
ガサガサと音を立てながら袋の中を漁ると、拳大の包みがあった。可愛らしいクリスマス仕様のラッピングがされている。
リボンを解いて包みを開けてみると、そこにはレザーのブレスレットが入っていた。
光沢が抑えられたシックな皮革に、シルバーのリベットが打ち込まれている、ややパンクなデザインなブレスレットだ。
そして僕は、一枚の折り畳まれた黄色い紙が入っていたの見つけた。そこには青いインクのペンでメッセージが書き添えられている。
『ユウ君へ
約束、果たせなくてごめんなさい。
私、これから手術しなくちゃいけないみたいなの。
ユウ君とデート、楽しみだったんだけどな……
もし私が元気になって戻って来れたら、今度こそ、ユウ君に街に連れて行ってほしいな
私からのクリスマスプレゼント、気に入ってくれるかな?
ドキドキする!
それじゃあユウ君、私、頑張ってくるね!
いつか必ず、また会おうね!
ユアより』
発作の後、少し落ち着いたって言ってたけど、その時に書いたのかな……
どこの病院に行ったのか、どんな症状なのか、そういう詳しい事は一切分からない。手紙を読んだ後も、ただひたすらに不安で、寂しくて、怖かった。
僕は何かに取りつかれたように、無意識に服を着替えて、ユアちゃんがくれたプレゼントのブレスレットを左腕に嵌めた。
ダウンジャケットを着込み、ポケットにはユアちゃんに渡すはずだったシルバーリングの入ったケースを忍ばせる。
「渡すあてもないのに、僕は何をやってるんだろうな……」
いつの間にかサナトリウムを出て、僕は一人街を彷徨っていた。街の雑踏。鳴り響く鈴の音や、クリスマスソング。恋人たちの会話や車のクラクションの音。
それら全てがどこか違う世界の事のようで。
――DING DONG
気付けば僕は、鐘の音に誘われるように街はずれのチャペルに来ていた。
正面奥にはステンドグラス、そしてマリア像。
そしてマリア像の前に立つシスターさんに合わせて、参列している人達が讃美歌を歌っていた。僕はクリスチャンじゃないけれど、参列者達が座っている長椅子の最後方に、そっと座った。
いつしか讃美歌は終わり、シスターが何かを説いていたみたいだけど、僕の耳には入らない。僕にあるのはただただ虚しさと喪失感だけ。
椅子に座り俯いていた僕に、ハンカチが差し伸べられた。視線を上げると、そこにはシスターがいた。どうやら僕は、知らないうちに泣いてしまっていたらしい。
「……ありがとうございます。でも大丈夫です」
僕は差し出されたハンカチを丁重にお断りして、自分のハンカチで涙を拭う。
どうして僕は泣いているんだろう?
ユアちゃんはちょっと違う病院へ行っただけ。別に二度と会えない訳じゃない。
なのにどうしてこんな……
「クリスマスプレゼントを渡すはずだった子が……渡せなくなりました」
シスターに何を聞かれた訳じゃないけど、なぜか僕は言葉を零れさせていた。右手には指輪のケースを掴んでいる。赤いビロード風のケースをじっと見る。
同時に手紙の内容を思い起こした。
「どこか、覚悟したような手紙を残して……」
そうなんだ。一見明るい文面のように見えるけど、僕にはどうしても作り笑顔で書いているユアちゃんの姿しか思い浮かばなかったんだ。
僕はマリア像の前にそっと指輪を置いてチャペルを後にした。
この地方にしては珍しく、鉛色の空から白い雪がちらほらと舞いながら降りてくる。
ホワイトクリスマスになるほどじゃないけど、今日がクリスマスイブで、ユアちゃんと一緒に街に出かける約束をした日だったという現実を突きつけてくる。
サナトリウムに戻っても、心は晴れる事はなかった。前にユアちゃんが言ってたように、夕食はいつもより少し豪華だったけど、食べる気にならない。
看護師さん達に心配されたけど、みんな事情を知っているのか、あまり深くは聞かれないのは有難かった。
次の日も、その次の日も、ユアちゃんは戻ってこなかった。初めのうちは送っていたSNSのメッセージも、一週間程返信が来なくなって、送るのをやめた。
いくら送っても返事がないって事は……つまり彼女はもう……そんな事ばかり考えてしまう。
ちなみに、二十五日に那美さんは帰ってきていた。でも個人情報を話す訳にはいかないのか、『大丈夫だよ』と一言だけ言って、それ以外はユアちゃんの話題を出そうともしないし、こっちから聞いてもはぐらかされた。
一体、何が大丈夫なのか全然分かんないよ。
それ以降、ユアちゃんの話題を出さないのが暗黙の了解みたいになって。
やがて彼女が戻らない日々が日常となっていった。
「それじゃあ、お世話になりました」
年が明けて桜の季節。僕の症状もだいぶ緩和されて退院の日がやってきた。
あれから、ユアちゃんから返信が来る事はなかった。でも僕は一日たりとも彼女の事を忘れた日はない。左腕にはレザーのブレスレットが嵌っている。手紙も綺麗に折り畳んで、財布の中に大事にしまってある。今となっては、僕と彼女の思い出を紡ぐ、大事な大事な手書きのメッセージだ。
退院してから、僕は元の高校に復学した。幸い、進級は出来たけど勉強はやっぱり遅れていて、僕はハナから一浪覚悟で大学に行く事にした。この事は父さんも母さんも納得してくれた。
そして、どうにか一浪で志望校に合格し、商社に就職して何年も経って。気付けば僕も二十八歳。
あのサナトリウムでの出会いと別れから十二年も経っていた。
僕はあれから毎年欠かさず、イブの日にはあのチャペルに顔を出している。シスターも毎年温かい笑顔で迎えてくれた。
十二年前のあの日の事を懐かしく話したり、近況を報告したり。
「その様子では、今年も彼女は出来なかったのですね」
シスターがにこやかにそう言う。まあ、イブに一人でここに来るくらいだから、お察しだ。僕は苦笑で返すしかない。正直、干支が一周した今でも、ユアちゃんの事が忘れられないというのが大きい。彼女が出来てもすぐに破局。自分でも未練がましいと思うけど、どうしようもないんだ。
あの日サナトリウムの屋上で彼女を見た瞬間から、僕の心は彼女に支配されてしまっている。
運命なのかな。
それとも、彼女が言ったように、前世で約束してたのかな。
それを考えると、いつかまたユアちゃんに会える気がして、毎年ここに訪れている。
驚いたのは、僕があの日マリア像の前に置いた指輪がそのままになっている事だ。シスター曰く、毎年クリスマスイブの日にあの場所に置いているとの事。
「特に意味はないのですがね。いつかあなたがここに取りにくる事もあるのではないかと思いまして」
気のせいか、シスターがニヤリと笑った気がした。
「ああ、今年は聖歌隊に特別ゲストがいるんですよ。良かったら楽しんでいって下さいな」
「へえ~、それは楽しみです。是非とも!」
そして聖歌の時間になった。例年はシスターがよく通る美声で歌い、参列者がそれに合わせて歌う。でも今年は。
――♪~♪♬
厳かなオルガンの伴奏が入っている。オルガン奏者は背中しか見えないけど、綺麗な栗毛色のロングヘアだ。やめてくれよ。栗毛のロングなんて、彼女を思い出してしまう。
僕も毎年通っていれば、讃美歌もいくつか覚えていて、歌える曲は一緒に歌った。そして今年のイブの最後の曲を歌い終える。
「みなさん、今日のゲストです! 素敵なオルガンの伴奏をして下さった彼女に祝福の拍手を!」
シスターがそう言うと、奏者の彼女は立ち上がり振り向いた。そしてペコリと頭下げ、再び顔を上げる。
「――!!」
「……えっ!?」
僕と奏者の彼女の視線が交錯した。互いの身体に電流が走ったように、硬直して動けない。視線も固定され、見つめ合ったままだ。
間違いない。
彼女だ!
十二年前、約束を果たせずに離れたままになったユアちゃんだ!
あの頃の愛らしさはそのままに、大人びた表情は一段と美しさを増していた。
「ユウ……君?」
「ユアちゃん!」
互いの名を呼び合った後、彼女が涙腺を決壊させながら僕に駆け込んで来た。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 約束を守れなくてごめんなさい!」
ユアちゃんは僕の胸の中で、あの日守れなかった約束の事をひたすらに詫びる。
「いいんだ。またこうして出会えた。僕はそれだけで嬉しいよ」
僕も涙を流しながらユアちゃんを抱きしめた。死んでしまったのかもしれない。そう思っていた時期もあった。でもなぜか、また必ず会える気がして。そして本当に、こうして再会できた。
そこへシスターが歩み寄ってくる。手には赤いビロードのような生地の箱を持ちながら。
「これは、ユアさんにあげる筈だったものでは?」
そう言ってシスターが蓋を開く。中には、とても懐かしい指輪が入っていた。シルバーリングにピンク色の小さい石が三つ。社会人になってそれなりに経済力も手に入れた僕には、今となっては安物に見える。だけど、高校生だったあの頃はとても輝いて見えたんだ。
「これは十二年前のあの日、君にプレゼントするつもりで買ってたんだ。安物で済まない。今度、ちゃんとしたのを買うから、今はこれを受け取って欲しい」
そして僕は左腕の袖をまくり上げ、レザーのブレスレットを見せつけた。十二年間共にあったクリスマスプレゼントと、十二年越しのクリスマスプレゼント。二人のクリスマスが、やっとここで交わった気がした。
「ユウ君がよかったら、ここに……」
ユアちゃんがそっと左手の薬指を差し出した。
僕はそれを見て、少し狼狽えてしまう。こんな美人で可愛いユアちゃんが、今フリーだというのだろうか?
「彼氏がいたら、イブにこんなところにこないよ!」
目に涙を溜めながら、ちょっと頬を膨らませてそういう言う彼女の姿が可愛らしい。
「あの日からずっとずっと、ユウ君の事だけ思っていたよ?」
「俺も、あの日からずっと、ユアちゃんの事だけを思っていた」
「それなら!」
「ああ」
僕は彼女の左手の薬指に、指輪を嵌めた。どうやらあの頃とサイズは変わっていないらしい。
「結婚、しよう」
僕があの日言うはずだった言葉は『僕と付き合って下さい』だった。それが階段を何段か飛び越えて、いきなりプロポーズの言葉になってしまった。
――DING DONG DING DONG
その時ちょうど、チャペルの鐘が鳴った。まるで僕達を祝福するように。