外伝① 続き 黒い火、そして赤子の名前
妊娠期間も安定期に入った。カリサもすっかり明るさを取り戻した。アルルとの関係は、向こうから遠ざかっていったようで、以降カリサは彼女に会っていないということだった。
この日は、フェルナンド公邸に二人でお邪魔していた。
カリサはセリーナおばさんと庭の畑にいた。
フェルナンド公とセバスティアヌスは、そんな二人を遠目で見ながら話していた。
「最近は、女占い師の話はどうですか」
とセバスティアヌスは訊ねた。
「ああ、影を潜めておるな。だが王のご執心はなかなかのもので、時折女に話を聞きにいくそうだ」
「そうですか」
安堵とも不安ともつかぬ感情が、セバスティアヌスにはあった。
そのとき、邸宅にセリーナおばさんの悲鳴が響いた。
「どうした!?」
とフェルナンド公とセバスティアヌスが駆ける。
「カリサ!」
セバスティアヌスは、セリーナおばさんに抱えられたカリサを見て叫んだ。カリサの体に、うっすらとだが、赤い瘴気が生じていた。
畑には焦げた匂いが充満していた。黒く燃えたブラックスディッシュの苗木が、そこにあった。
医者を呼び、カリサの容態を見てもらう。
カリサから発せられていた赤い瘴気は、とうに消えていた。
「ふむ。赤子も母体も健康じゃ。すぐに目も覚める」
「げ、原因は!?」
セバスティアヌスが訊ねると、うーんと首を傾げ、医者は言う。
「気付けかなんかかのう。とりあえずは転倒のリスクを考えて、安静にしておいた方がええのう」
と医者は去っていった。
セバスティアヌは、カリサの手を握り続けた。やがて日は落ちた。
「セバスティアヌス。セバスティアヌス」
いつの間にか眠っていたセバスティアヌスは、カリサの声で目を覚ました。
顔色の良い、穏やかな表情のカリサが、ベッドにいた。
「ずっと握っていててくれたのね」
とカリサはセバスティアヌスの手を見た。
「大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫よ。お腹の赤ちゃんは」
「大丈夫だよ」
「そう、よかったわ」
とカリサは心から安堵した。
医者は気付けかもと言ったが、今までカリサにそんな症状はなかった。妊娠によるものだろうか。そんな急に倒れることなど。
「良かった、カリサ、目が覚めたんだね」
とセリーナおばさんが、水とゼリーを持ってきた。
「ありがとう、セリーナさん。でも、私、何が」
「いいんだよ、ゆっくりしておき。お水を飲んで、ゼリーなら食べれるかね」
「うん」
とカリサは頷いた。
「すみません、頼みます」
と帰り際、フェルナンド公爵夫妻にセバスティアヌスは頭を下げた。セバスティアヌスは仕事があるため、当分はカリサは邸宅で過ごすことになったのだ。
「容態は悪くない。血色もいい。ただ、話しておかないといけないことがある」
とセリーナおばさんは声色を落とした。
フェルナンド公も、重い面持ちで頷く。
「なんでしょうか」
とセバスティアヌスは二人を交互に見た。
「カリサは覚えていないみたいだけど、倒れる寸前、あの子の手から黒い火が出たのよ」
「黒い火?」
とセバスティアヌスは焦げた匂いと黒く燃えたブラックスディッシュを思い出した。
「医者には言っておらん。そのほうが良かろうて」
とフェルナンド公が言った。
火は、ダマスケナでは悪魔の象徴であった。
フェルナンド公が、なおも続ける。
「カリサのいた故郷は、山火事にあったな。あれの原因はわかっているのか?」
セバスティアヌスは、フェルナンド公の問いに
「疑っておられるのですか?」
と鋭く問うた。
「そう怖い顔をするな。我々とてカリサを愛しておる。ただ、原因がわからねば問題の解決には至らん」
「すみません。あの山火事の調査では、魔力痕跡は見つかりませんでした。カリサが原因ではありません」
「魔法の発生は考えられるか。しかし、二十歳を超えて新たな魔法が現れるなど、事例がないだろう」
とフェルナンド公も難しい顔をする。
「お腹の子どもが、ってことは考えられないかい。確か、妊娠中に子どもの魔法が一時的に母体に現れる症例があっただろう」
セリーナおばさんが言った。
「それは、あり得なくもないですが」
「黒い火、というのがな。カリサから発せられていた赤い湯気のようなものも気になる」
フェルナンド公のことばに、セバスティアヌスも考え込む。
火の魔法はダマスケナでは禁忌とされている。おとぎ話にある、ある生物が原因だ。海よりやってきた巨大な火のトカゲ。火を発しながら、ダマスケナの国中を荒し回ったという。海のなかでも消えない炎、国民は火を発するものを怖れた。そして火の魔法は禁忌となった。魔法適性の遺伝はまだまだ解明されていないところが多いが、幸いにも、ダマスケナには魔法適性に火を持って生まれるものは極稀であった。その極稀に生まれる火の魔法を適性に持つ子どもたちも、現在ではそれを抑えるプログラミング教育を受けることができた。以前は迫害の的となってしまっていたが、時代が違う。とはいえ、やはり根深く差別意識は残っている。あそこの家の子どもが、火を発したらしい。魔法は最初、子どもたち自身の意識しないところで発生する。制御するには訓練がいるのだ。
しかし、そもそもカリサはもう子どもではない。そして、山火事の件もある。さらに、黒い火。カリサから発せられていた赤い瘴気。わからないことが多い。この事実が公になれば、迫害されるのは眼に見えている。しかし、セバスティアスヌスには、考えても解決方法は見つからなかった。
重い空気の中、フェルナンド公が口を開く。
「カリサは私たちが様子を見ておく。安静にしていれば大丈夫だろう。仕事にいけ、セバスティアヌス。隊長に昇進したんだろう」
「はい。ありがとうございます」
とセバスティアヌスは礼を言い、フェルナンド公邸宅を出た。
幾月かが経った。
未だに強い風が窓を叩いた。
セバスティアヌスは、カーテンから外を覗き、太陽を隠す分厚い雲に眼を細めた。
昨日、ダマスケナを台風が襲った。海岸沿いの被害は甚大で、その復興に軍は忙しかった。セバスティアヌスの部隊もまた招集されており、彼もすぐに家を出なければいけなかった。遠方への出張作業となり、長ければひと月、それ以上の期間家を離れなければならない。セバスティアヌスは葛藤していた。
「そろそろ行かないと、セバスティアヌス」
ソファーに座るカリサが、セバスティアヌスに声をかけた。
「ああ」
とセバスティアヌスは、カリサのほうを心配そうに振り返った。
カリサのお腹は大きく出張っており、いつ生まれてもおかしくないとのことであった。あの小火騒ぎ以降、カリサには何の異変もない。フェルナンド公夫妻もセバスティアヌスも、とりあえずは安心していたが。
「しかし、やはり、仕事を休もうか」
セバスティアヌスのぽつりとおとしたことばに、カリサは言う。
「ダメよ、セバスティアヌス。それに、奥様も来てくださるとおっしゃっているわ。心配しないで」
カリサの言う奥様、とはフェルナンド公の奥様、つまりセリーナおばさんのことである。
「君が、心配で」
「セバスティアヌス」
カリサは、その真っすぐな、いつまでも変わらない純粋な瞳で、セバスティアヌスを見た。
「あなたが、私を山火事から守ってくれた。国を、みんなを、守って」
「俺は、君が守れればそれで」
「私のように、幸せになれる人を、助けてあげて」
セバスティアヌスは、カリサをじっと見た。
肩口まで伸びた赤い髪。小麦色に焼けた肌、淀みのない瞳。強く、美しく、純粋で、真っすぐで。
「愛している。カリサ」
とセバスティアヌスは、カリサを優しく、抱きしめる。
「私もよ、セバスティアヌス」
とカリサは、セバスティアヌスの右手を、自らの大きくなったお腹に触れさせる。
お腹が、動いていた。セバスティアヌスは、優しく、何度もお腹をさすった。
「元気な子だ」
「あなたに似たのね」
「君だよ」
セバスティアヌスのことばに、カリサはふふっと笑って、言う。
「ロゼ」
「ロゼ?」
「昨日決めたの。この子の名前。このダマスケナの土地で、真っすぐに、情熱的に、元気な子に育ってほしい。いい?」
「女の子なんだね」
「女の勘よ」
「ロゼ。いい名前だ」
とセバスティアヌスはカリサにキスをした。長い長い口づけが終ると、カリサは囁くように言う。
「無事に、帰ってきてね」
「わかった。カリサ、君も」
「うん」
セバスティアヌスは、家を出た。
太陽は相変わらず、分厚い雲に隠れていた。




