外伝①ダルク砂漠を超えたロゼーーーセバスティアヌスの過去ーーー
セバスティアヌスの過去
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少女を守る。守らなければ、いけない。それは、男にとって、いわゆる使命のようなものであった。
プリランテを出て幾日かがたった。
波々と続くダルク砂漠に、終わりはない。
日の光は残酷なほどに照りつけ、そこから立ちのぼる大気はユラメいていた。
少女は、ふらりとよろめく。真っ赤な髪の毛が揺れる。
男は少女を支え、なんとか歩を進める。
俺は、生きなければいけない。この子のために。
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セバスティアヌスの過去①ーー故郷、ダマスケナの異変
男の名前はセバスティアヌス・アレバロと言い、ダマスケナの若い軍人であった。ダマスケナはルート連邦から遠くはなれた島国である。海を挟んでプリランテ、ハマナスと国を面しており、ルートの国の人々は、この三つの国を称して南3国と呼んだ。ダマスケナは島国ということもあって、南三国の中でとりわけ閉鎖的であった。プリランテやハマナスとの交流もほとんどなく、互いの領地への不可侵条約を守っていた。モンスターの出現もなく、四半世紀前に起きたハマナスとの海上戦以来、ずっと平和であった。セバスティアヌスの父ダラディオス・アレバロは、当時の戦いで戦果を上げた優秀な軍人であり、武官のトップとして政治にも参加していた。その息子であるセバスティアヌスもまた、剣術と魔法にすぐれており、特にフェルナンド公爵からの寵愛を受け、将来を嘱望されていた。
フェルナンド公爵には子どもがおらず、すでに年齢は40もいくつか超えていた。
「カリサ、セバスティアヌスが来たぞ」
セバスティアヌスがフェルナンド公爵の家を訪ねたときのこと。庭で水をやる女に、公爵は声をかけた。女が振り返る。肩口まで伸びた赤い髪が小さく揺れる。小麦色に焼けた肌、淀みのない瞳。フェルナンド公爵夫妻の邸宅で召使いをするその若い女は、カリサと言った。
「いらっしゃいませ」
とカリサは丁寧に頭を下げると、花の水やりを再開する。
「カリサ、こちらへ来い。セバスティアヌスも話したかろう」
「いえ、フェルナンド公。カリサさんのお仕事を邪魔するわけには」
セバスティアヌスは恐縮すると
「近頃の若者は頭が固いのか。なら我々がテラスへ出ようではないか。問題ないな?」
と公爵は、セバスティアヌスを見た。公爵の目は影のない、その実直な性格をそのまま表したような真っすぐな目だった。
「フェルナンド公にはかないません」
セバスティアヌスがそう言うと「がっはっは」と公爵は剛胆に笑い、立ち上がった。
テラスへ向かい、腰をかける。
「なんだい、セバスティアヌス、来てたのかい」
とバンダナにエプロン姿の女が現れた。
「フェルナンド公夫人。こんばんわ」
とセバスティアヌスは立ち上がり、丁寧におじぎをする。
「なんだい急に、かたっくるしい呼び方して。あんたのおしめだって変えたんだよ」
とフェルナンド公夫人は言った。フェルナンド公夫人は、フェルナンド公と結婚する前の名前をセリーナ・アレバロといい、セバスティアヌスの叔母さんにあたる人であった。
「紅茶を入れるよ」
とフェルナンド公夫人、セリーナが言うと
「ありがとう、セリーナおばさん」
とセバスティアヌスは、昔からの呼び方でフェルナンド公夫人に言った。
「奥様、私が」
とカリサが花の水やりを止める。
「仕事を途中で投げ出すんじゃないよ、カリサ。あんた、手伝っとくれ」
とセリーナは、夫であるフェルナンド公に言った。
「親方には逆らえませんな」
とフェルナンド公は立ち上がった。去り際に、フェルナンド公はセバスティアヌスの耳元で言う。
「うまくやれよ」
がっはっはと笑い、フェルナンド公はセリーナとテラスを後にした。おおよそ貴族に見えないこの夫婦が、セバスティアヌスは大好きだったが、しかしあの年頃にもなると、若者をなにかとくっつけたがるのがその常なんだろうかと思いながらも、セバスティアヌスも満更ではなかった。
二人が去ると、カリサはセバスティアヌスに小さくお辞儀した。
ーーーあのとき助けた女性が、こんなにも
とセバスティアヌスは、日の下にいるカリサの立ち姿に見とれた。
1年前のことだった。実直で優秀、軍のトップにいるダラディオス・アレバロ。その息子であるセバスティアヌス自身も、他と比べると圧倒的に秀でていた。優等生を真っ当にこなしていた。しかし、葛藤があった。
ーーーこのダマスケナという島国で、一生を終える。波乱も何もない。剣を握り、訓練を行う。しかし、こ
の剣はなんのためにある。この狭い島国で、何ができるという。
そんなとき、城下町より少し離れた場所で山火事が起きた。轟々と燃える炎はとどまることを知らず、精鋭部隊であってもその前では無力であった。同僚の止める声も聞かずに、セバスティアヌスは一人、炎を避け、村へと入っていった。ゼバスティアヌスの単独行動は、明らかな命令違反であった。あのセバスティアヌスがなぜ。しかし、セバスティアヌは止まらなかった。
なぜあのとき、同僚の静止も聞かず、自分は火の轟々と燃える森へ駆けたのだろう。日常に感じていた退屈。それもあった。だが、あとになって思う。それだけではない、運命のようなものが、俺を呼んだんだ。
火の中を走る。はたとセバスティアヌスは立ち尽くした。轟々と燃える炎と、焼け崩れた家々が眼前に広がっていた。
ーーーこれでは、生き残っているものはいまい。いや。
倒れた家屋の柱に挟まる女がいた。セバスティアヌスはなんとかその柱を持ち上げ、気を失っている女を担ぎ上げた。柱が落ちてくる。煙が舞う。女を抱え、森を脱した。頬を煤で汚したその女を。
山火事の生き残りは、その女のみであった。家族を失った女の身を按じたセバスティアヌスは、フェルナンド公に相談した。特に、山火事の唯一の生き残りとなると、ダマスケナでは忌み嫌われる可能性がある。火は、ダマスケナでは悪魔の象徴として考えられていた。フェルナンド公爵夫妻は、カリサの話を聞き、家で雇おう、と二つ返事で返してくれた。子どもに恵まれなかった夫妻は、カリサを召使いとして雇いながらも、実の子のように接した。カリサもまた、夫妻の愛情を受け、笑顔が増えた。
セバスティアヌスは、自らが山火事より助けたことをカリサには伏せた。フェルナンド公は不思議がったが、セバスティアヌスは頑固にも、一介の兵士として当然のことをしたまでで、名を名乗るようなことではありません、と言った。それはセバスティアヌスにある、一つの騎士道であった。
山火事より幾月かが経った。
任務に忙しかったセバスティアヌスは、久方ぶりにフェルナンド公の家を訪ねた。
「すみません、お伺いできなくて」
と低姿勢でセバスティアヌスは言うと、フェルナンド公は頬を緩めながら言う。
「やっときおったか、セバスティアヌス。待ちわびたぞ、驚くなよ」
フェルナンド公に導かれ、テラスの席に行くと、セバスティアヌスは唖然と立ち尽くした。
庭先に、女がいた。太陽の光のもと輝く女は、色とりどりの花に囲まれて、そこに慄然と立っていた。
「カリサ」
と公爵が呼ぶ。
女が振り返った。艶やかな赤い髪が小さく風に揺れる。くりっとした丸い目が、やや上目遣いで、伺うようにセバスティアヌスを見た。よどみの全くない、真っすぐな瞳であった。どくんと、セバスティアヌスの心臓が鼓動する。万人が、その女を奇麗だとは言わないだろう。ただ、その純然無垢な表情に、仕草に、魂に、どうしようもなく取り込まれるものも、少なくないであろう。女にはそれほどの魅力があり、そしてその魅力に誰よりも魅了されたのが、セバスティアヌスであった。
ーーー俺は、この女性と出会うために、あの森を駆けたんだ。
セバスティアヌスのこの結論は、軍の標榜する平等の精神とは全く相反するものであった。また、自らが作り上げてきた平等の名の下の騎士道精神など、微塵にもなくなってしまっていた。幾人もの村人が、山火事で死んでいる。それはわかっている。それでも、セバスティアヌスは、思った。というより、どうしようもなく、思ってしまった。山火事の結果、この女性と出会えたことに、感謝してしまっている自分がいた。自己を嫌悪する気持ちはあった。しかしこれはどうしようもなく溢れ出る感想で、セバスティアヌスは遂には諦め、自分はかくも汚い人間であると認める以外に解決方法はなかったのである。
カリサという存在が、自分の世界にいる。それからというもの、セバスティアヌスの退屈な日常は、色鮮やかな世界に変わったのであった。




