リュウドウ、カイ、素振りがやめられない。
「みんな、むむ、ありが、はむ、とうなのです!レイ先生も、リプカン先生も、はふはふ、来てくれて、はむはむ」
ベッド上ではあるが、元気溌剌なユキが白雪饅頭をほおばりながら言った。リプカン先生も来てたのか。
「いや、茶を飲め茶を」
とポックが呆れたように言った。
白雪饅頭。ムツキを思い出すが、ユキの前でムツキということばは出してはいけない事になっている。10分ほど前、ユキの病室へ入ろうとすると、ちょうど出てきたところだったレイ先生と鉢合った。
「今回の一件、本当にすまなかった」
と頭を下げるレイ先生。
「謝罪はグラスからもらった。それに、あんたがいなけりゃやばかったぜ」
「少なくとも、俺は死んでました」
とリュウドウがいつもの調子で言った。リピッドデッドがリュウドウの頭めがけて急降下してきたとき目を瞑ってしまった俺は、レイ先生に感謝しかない。
「私自身、未熟なところが大きかった。それと、お前たちに少し話がある」
ーーーー
「お前たちに少し話がある」
とユキに会う前に待ち合い室へと連れて行かれ、「ユキは、ムツキのことを忘れている」とレイ先生に告げられた。普段から感情の読み取れないリュウドウは置いておいて、ポックとシュナは驚いていたが、俺はピンと来るものがあった。ムツキが、ユキのおでこに触れて発したあの光。
「あの、レイ先生。ムツキの最後の光って」
「カイ、お前なら勘づいても無理はない。そうだ、あれは、11年前、モンスター大恐慌を収めた『大いなる光』と似ていた」
俺は11年前、その『大いなる光』の発生源にいた、とされている。いや、確かに発生源にいたはずだ。しかし、その辺りの記憶が曖昧で、しかもそれ以前の記憶となるとないに等しい。
「ということは、記憶を消す魔法、なのですか?」
俺が問うと
「そ、そんな、ユキにとってあんまりじゃ」
とシュナがレイ先生を見た。
「ユキのなかで完全にムツキの記憶が消えたわけではないと考えている。まだまだ『大いなる光』については研究段階ではあるが、消すのではなく、記憶を閉じ込める、と言った方が今のところは正確だとされている。ムツキがこの魔法を使えたことは驚きだが、しかし彼ならあり得なくもない。ユキは現状、体も、他の記憶も正常だ。だが、ムツキということばを聞くと大きく混乱する。頭を抱え、涙を流す。ドクターとも話したのだが、今脳に大きな刺激を与えるのは良くないということで、ムツキということばを出すのは控えようということになった。他の生徒にも徹底させるつもりだ」
待ち合い室に子どもたちが入ってくると、途端に賑やかになった。
レイ先生は、ユキもロロもお前たちを見れば活力になるだろう、と去って行った。
ーーー
「ごほっごほっ」
「ユキ、大丈夫?」
シュナが背中をさする。
「いや、だから茶を飲めって」
ポックの言い方は、いつもより柔らかい。
「明後日には退院だってな」
「そうなのです、カイ。仮免が近いのです!」
「テストもな」
とポックが言うと、「ううう」とユキは目を細めた。
元気そうなユキの病室を後にする。
ロロの病室前。ロロについては、グラス先生からある程度の状況を聞いていた。曖昧ながらに記憶が残っており、自分のしたことも理解していると。自責の念が強く、かなりふさぎ込んでいる、とも。ロロはユキほど単純な性格じゃない。友人として、なんとかロロの自責の念を取り除き、勇者ライセンスの仮免に一緒に臨みたい。
珍しくリュウドウが先頭を切り、扉をノックして「ロロ」と病室へ入って行く。
ベッドから急いで背中を上げるロロ。少しやつれたように見える。俺たちの顔を見ると
「み、みんな、本当に、ご、ごめんね、ううううう」
と顔をしわくちゃにして泣き始めた。
「ひ、ひひひ、はははは、はらいてえ、泣くのはええってお前、ひひひ」
けたけたと笑うポック。リュウドウが頭にげんこつをおろすと、「いってええ、馬鹿リュウドウ!」と切れたが、「いや、そりゃそうだろ」と俺は細い目をしてポックに言った。
「でも、ロロが元気そうでよかったね!」
とシュナが空気を読んで快活に言った。元気、なのか?とも思ったが、まあ、泣いていても、あんまりふさぎ込んでいるよりかは良かった。
「ロロ、体は大丈夫なのか?」
リュウドウが訊ねた。
「ひっく、うん、ひっく、明後日には退院できるって。でも、僕はみんなにひどいことを。ムツキくんも、うううう」
ムツキのことも知ってんのか。
「んな泣くなよ。操られてたんだからしゃーねえだろ」
「ポックくん、僕がトーリ先生に騙されなければ。ううう」
「ロロ、仮免も近い。体休めて、また来週から頑張ろうぜ」
「か、カイくん、そんな、僕なんかが勇者なんて」
そのとき、がちゃりと扉が開くと、二つの影が入ってくる。
「ロロッち、聞き捨てならないじゃん、まじそのことば」
バンダナに日焼けした小麦色の肌。こんな状況でもリオナのギャルノリは変わらない。
「おいロロ、今更抜けるってのか?」
久しぶりのいじめっ子モードでロロに詰め寄るクルテ。
リュウドウもいるしパーティ勢揃いである。
「いや、でも、僕なんかが」
俯くロロに、リュウドウが口を開く。
「ロロ。ムツキの分まで俺たちで人を助ければいい。そうすればムツキも喜ぶ」
ロロは、俯いたまま唇を噛む。拳をぎゅっと握る。
「う、うん、本当に、みんな、ありがとう、ううう」
「ロロ、体中の水分出しきっちまうぞ」
ポックの言い方は、やはりいつもより柔らかかった。
病院を出ると、夕日が眩しかった。
「次は、いの一番に俺らを呼べ」
「あの短時間でお前ら自宅組を呼ぶ暇はねえよ馬鹿」
とポックはクルテに言い返した。
「じゃ、また学校でね!あんたたちにはまじ負けないかんネ!」
そう言い残し、リオナとクルテは帰っていった。
鳥が弧を描くように飛んでいる。夕方の蝉の鳴き声はなぜか五月蝿く感じない。
二日間が、あっというまに過ぎた。夢現のなかにいたような感覚である。
新しい明日がすぐそこにある。
たった二日前に、あんな出来事があったのに。
あのとき、俺は。
「リプカン先生、ロロのところにも来てたんだってね」
シュナのことばに、はっと我に返る。
「ユキのとこにも行ってたらしいし、って、噂をすればなんとやら」
とポックは足を止めた。
寮の前に、リプカン先生が立っていた。はげ頭が夕日に眩しい。
「どうしたんですか、リプカン先生」
と俺は訊ねた。
リプカン先生は「みなさん、本当にすみませんでした」と頭を下げた。
「リプカン先生、頭を上げてくれ。今日は謝罪疲れしてんだ」
ポックは、リプカン先生には先生をつける。線引きがわからん。
「あのとき君たちだけで行かせたのは私の責任です」
「いや、俺が行けるっていったんです。先生の責任では」
「カイくん、決して君の責任ではない。生徒を守るのは、先生の第一優先事項だ。私があの選択をしたから、みんなに危害がおよび、ムツキくんが亡くなるという結果になってしまったんです」
「不幸中の幸いっていうかさ、ロロにも言っといたけどよ、ムツキはいい顔で逝ったぜ。先生もそんなに気に病むなよ。禿げるぜ」
「もう禿げていますよ」
リプカン先生は真顔で言った。
「す、すみません。冗談です」とポックは謝った。
あまり食欲が沸かず、早々に布団に入った。
「あんまり気に病むなよ、お前も」
とポックは俺に合わしてか、早い時間に関わらずライトを切ってくれた。
夢現に過ぎた二日間。明日から授業が再開する。ここにきてようやく、色んなことが思い出される。ガルイーガの群れ、リュウドウを襲うリピッドデッド、虚ろなロロ、邪悪に笑うトーリ、マラキマノー、崩壊する森、ユキに憑依するムツキ、透明になっていくムツキ、白雪饅頭を食べるムツキ、にっこりと笑うムツキ。ムツキは、もういないんだ。もう、会えないんだ。枕が濡れる。こめかみが、頬が冷たい。あのとき俺が、違う選択をしていたら。リュウドウは焦っていた。ポックは不安そうにしていた。俺は、先生に行けると言った。違う。行けなかったんだ。ガルイーガとリピッドデッド以外に、何かがいたのはポックの反応で汲み取れたはずだ。ポックはその不安の正体を見たわけではなかった。だから、一言訊ねるだけで良かったんだ。みんなに。俺が独善的に決めたのが、そうだ。もっと、俺が強ければ。俺のヒールがもっとすごければ。あのとき俺が、違う選択をしていれば。俺は、先生に行けると言った。一言訊けば良かったんだ。あのとき独善的な判断を下していなければ。あの時俺が、先生に行けると言った。一言、みんなに、訊けば。俺がもっと強ければ。ムツキはまだ。ムツキはもういないんだ。俺があのとき
「あああああ、おら、起きろ馬鹿!」
明かりがつく。眩しい。
「な、なんだよポック」
自分でも鼻声だとわかる。
「めんどくせえんだよ!ぶつぶつ俺がどうだどうだと!」
やべ、漏れてたのか声。恥ずかしい。
「お前のせいじゃねえ!俺があのときロロのほかに何かいるかもしれねえって言ってりゃ良かったんだ。そもそも、最初にリピッドデッドに見つかったのは俺が変なところで止まったせいだろうよ。俺の五感強化の精度がもっと高くて、スムーズに使えりゃトーリをもっとはやくに見つけられた!俺のせいだ!」
「いや、それは違う。俺が、みんなに訊けば」
「誰のせいにでもできるし、自分のせいにもできんだよ馬鹿。だから、誰のせいでもあるし、自分のせいでもあるんだ!反省したんならそれでいい、次に生かそうぜ!」
「お、おう」
と俺が若干引いたような反応をしてしまい、ポックは顔を赤くする。
「おら!剣を持て、屋上いくぞ!」
「はい」
ポックに渡され、寝巻きのまま屋上へと向かう。
屋上の扉を開く。7月とはいえ、夜は肌寒い。
月明かりの下に、大きな影が一つ。
「リュウドウ、お前いつからやってんだ」
呆れたようにポックが訊ねた。
リュウドウの頬から、ぽたりと汗が落ちる。
「ム、ムツキがいなくなったのは、お、俺のせいだ。俺の焦りが、皆をそうさせた。そして、もっと力があればマラキマノーの足を」
と素振りを止めずに答えるリュウドウに、ポックが言う。
「あああああ、お前らはもう、いいや。素振りだ、ほら、カイ、お前も振れ!」
「ああ、そうするよ。すまんな、ポック」
剣を持つと、重みがあった。剣って、重いんだよな。忘れてた。
何分経ったか、何時間たったか、汗がどばどばと流れて落ちる。
ムツキ、くそ、ムツキ、もっと、やっぱりあのとき俺が!ああ、もういい。涙が汗と混じる。
「おい、お前らさすがにそろそろ寝ようぜ」
ポックの声が静かな夜に小さく響いた。




