リプカン先生、微笑む。
なんて花だろうか。小さな黄色い花がいくつも植えられている。ヤング先生、ああ見えてかわいい花が好きなんだな、と普段は見向きもしない中庭の花壇をちらっと見て思った。
ポックを先頭に中庭を抜け、ヴェリュデュール自然公園の「学習エリア」に入っていく。夕日が高木に遮断され、薄暗い。ひと際大きな木を過ぎ、小川のそばまでやってくるとポックがはたと立ち止まった。
「どうした?」
俺の問いに、ポックは無言で人差し指を立てた。ポックの耳が小さく動いている。
「何かいるな。もう少し近づくぜ」
とポックは言うが、俺には全くいつもの静かな森だが。
小川を慎重に超えていく。
リュウドウがぱしゃりと音を立てると、ポックが睨んだ。
「すまん」
とリュウドウは小さく謝った。
幾ばくか進んだところで、ポックの歩みがさらにゆっくりになった。
木々が開け、ポックの顔に西日が射す。目をやや細めており、口元が少し開いている。視力強化の魔法を使っているときのポックである。
「ロロか?あいつは。おいおい。やべえ、とにかく一旦」
とポックが俺の方を振り返った時、「キイイイイイイイイ」と耳を劈く鳴き声が上空から。
赤黒い体、赤い瘴気、大きな嘴、充血した目。
「リピッドデッドだ!一旦ひくぞ!」
とポックが逃げようとすると
「待て、ロロは、この先に」
とリュウドウがポックの腕を掴む。
「リュウドウ、落ち着け、今はポックの言う通り引くぞ!」
俺のことばをかき消すように、背後からうめき声が響く。ガルイーガの鳴き声だ。リピッドデッドにガルイーガ?一体何が起きている。
ポックはリュウドウの手を振り払いながら言う。
「ガルイーガの群れがくる!リュウドウ、今はひけ、お前でも無理だ!」
ガルイーガの乱雑な、大きな足音が近づいてくる。
「冷静になれ、リュウドウ!無駄死にするぞ!」
俺が叫ぶように言うと、ようやくリュウドウは走り出した。
そのとき、東の方から大きな地響きのような音がなった。あっちには旧訓練所があるが。
「何が起こってんだ、くそ」
ポックが走りながらも舌打ちする。
ガルイーガの足に人間がかなうはずがない。足音はすぐ背後にまできている。
だめだ、追いつかれる。
「くそ、くそ、リピッドデッドに見つかったのは俺のせいだ。もっと慎重にいってれば」
「ポック、反省はあとだ。俺とリュウドウで時間を稼ぐ」
「でも」
いつも冷静なポックだが、責任感が強い分、へまをしたと思い込むと自己犠牲に走ろうとする。しかしここは。
「ポック、お前は助けを呼びに行くんだ、それが多分」
背後をちらりと見る。赤黒い体、赤い瘴気、血走った目、牛よりもでかい体で、ものすごいスピードで突進してくる。見えるだけで5体はいる。その内の一体が、先頭を切って突進してくる。凄まじい殺意、圧力。訓練じゃない。泥でできた作り物でもない。正真正銘本物のモンスター。動け、動け。このまま死んでたまるか。
「最善だ!」
俺は振り返りながら盾を構え、半身になってその突進してくる一体をなんとかいなした。それでも凄まじい衝撃が押し寄せ、ふっ飛ばされる。なんとか態勢を整える。
ガルイーガは俺の盾と衝突し、その進路を外されるとふらりとリュウドウのほうへとよろけた。リュウドウは反射的にその頭を叩き切った。ガルイーガがどしんと地面に落ちる。
リュウドウは、剣についたガルイーガの血を払いながら
「行け」
と静かに、いつもの調子でポックに言った。
ポックは、大きく深呼吸すると、背中を向けて走り出した
5体どころではなかった。さらに後方に4体おり、計ガルイーガが9体。リピッドデッドも上空に何体か見えるが、木々が障壁になって襲ってくる様子はない。
正面から戦っても死ぬだけだ。引きながら、いなしながら、助けを待つしかない。ガルイーガは直進的な動きしかできない。障害の多い森の地形を利用すれば、逃げ切れる。
「中庭まで粘るぞ、リュウドウ」
「おう」
木に隠れるようにしてじりじり下がる。
4体のガルイーガが同時に突進してくる。
ひと際大きな木に隠れるようにして後ろへ下がる。
どしんと一体が木にぶつかると、大木はまるでポッキーのように簡単に折れた。
その倒れてくる大木を避ける。残りの3体はなおも突進をやめない。
「リュウドウ、割れ!」
「おう」
とリュウドウは木を踏み台にその巨体を高くジャンプさせると、地面にチョウデッカイケンを突刺した。どしんと揺れたかと思うと、地面にひび割れができ、3体が同時に体勢を崩す。俺はうち一体の頭を切り下げ、「逃げるぞ!」と走り出した。中庭まで戻れば、ポックが応援を呼んでいるに違いない。木々を縫うように走る。先に、ヤング先生の畑が見えた。あと少しで中庭だ。
そのとき、大きな影が、日を隠していた木々の葉っぱをものすごいスピードで貫いた。
「リュウドウ、上だ!」
リピッドデッドの大きな嘴がリュウドウの頭めがけて下りてくる。
ピクりと反応するリュウドウ。
ダメだ、間に合わない。
−−−リュウドウ
目を瞑ってしまう。怖い。
「キイイイイイイイイ」
とリピッドデッドの悲鳴が上がる。なんだ。目を開くと、リュウドウはいつも通りのリュウドウで、リュウドウは本当、良かった、生きてる。
「リュウドウ!」
「生きてる、か」
とさすがのリュウドウもふうと息をついた。
リピッドデッドは、弓に貫かれピクピクと痙攣している。
「遅くなった。大丈夫か」
「レイ先生!」
弓を携えたレイ先生が、中庭と学習エリアの境目で夕日に照らされていた。お美しい、あまりに神々しい。
「油断するなカイ、リュウドウ!ガルイーガが来るぞ!」
3体のガルイーガが突進してくる。
『アマルデ・ナスナ』
聞き覚えのある落ち着いたトーンの声が背後からした。薄く丸い光を帯びた気弾が、3体の前にそれぞれ放たれる。それに触れた3体は、ばちんと体を弾かれ、体勢を崩す。レイ先生がすかさず弓を放ち、3体の頭をしとめた。
声の主を見ようと振り返る。
はげ頭が夕日に光っている。
「リプカン先生!」
「カイくん、リュウドウくん、大丈夫でしたか?」
とコーヒーで染まった茶色い歯を見せ、優しく微笑んだ。いつも無表情なリプカン先生が。歴史学のみんなにも見せて上げたい。
残りはガルイーガが6体とリピッドデッドが数体空を舞っている。どちらもこちらの様子を伺っているようで、仕掛けてこない。
再び、大きな地響きが東からした。旧訓練所から進んで来ているような。あっちの学校の外れには確か、ヤング先生の家があったはずだ。
「狙いはヤングですか」
リプカン先生がレイ先生を見た。
「そのようですね」
と言ったそのとき、真反対の西側からも大きなうなり声が響いた。寮のある方向だ。
東と西とここと、3箇所で何かが起きている。
「リプカン先生、寮の方を頼みます。私はヤング先生のもとへ」
「レイくん、寮にはププがいるのでは?」
「ププさんは有休消化です」
「そんなホワイトでしたか?私はまだ使ったことありませんが」
「みんな夏休みに使ってますよ。長期休みに律儀に来ているのはグラスとリプカン先生だけです」
「そうでしたか」
と暢気にしゃべりながら、二人は突進してきたガルイーガを二体倒し、上空のリピッドデッドを倒していく。
「これぐらいで大丈夫だろう。カイ、リュウドウ、残りのガルイーガを頼んだぞ。終り次第避難しろ」
残りはガルイーガが4体。
「ロロが、森のなかに」
リュウドウはレイ先生を見た。走り出そうとしたレイ先生とリプカン先生が、立ち止まる。
「レイくん、他に先生は?」
「いません。リプカン先生はやはり寮の方へ。私はこの子たちとロロを助けに行きます」
「ヤングが死ねば、終わりですよ」
「生徒を守れとヤング先生も言うでしょう」
レイ先生のことばにリプカン先生は口を綻ばせる。
「急ぎましょう」とリプカン先生が走り出したそのとき「おい、大丈夫か!?」とポックがシュナとともに現れた。
4人なら。
「レイ先生、ヤング先生のもとへ向かってください」
「カイ、それは危険だ。私もついていく」
「ポックも、シュナも、リュウドウもいます。俺たちなら、大丈夫です。ロロを救い出してみせます」
「しかし」
「レイくん、彼らに託しましょう。君たちだけで、ロロくんを、仲間を助けに行きなさい」
「はい!」
「しかしリプカン先生。彼らは流星群で」
「流星群だからではありません。ただ私は、彼らの力を信じている」
リプカン先生のことばを受けて、レイ先生は一度目をつぶり大きく息をはくと、再び目を開いた。
「まだまだ私は未熟です」
「さあ、二兎を守れるかは君たち次第だ。頑張りたまえ」
とリプカン先生はいつもの落ちついたトーンで言うと、は走りだした。
「頼んだぞ、お前たち。ただ、深追いはするなよ」
そう言い残し、レイ先生も走り出した。




